敵か味方か
王国包囲が始まって三ヶ月が経とうとしていたある日。
見張りの兵士が目を見開く。
「……土煙?」
帝国軍の包囲陣。
その、はるか後方。
地平線の彼方から。
巨大な土煙が上がっていた。
「敵襲か!?」
双眼鏡を覗いた兵士が言葉を失う。
「な……。」
「何だ、あれは。」
数は。
わずか三百ほど。
しかし。
一人ひとりから立ち上る魔力が、あまりにも異常だった。
その後方には。
大量の荷馬車。
山のような食料。
医薬品。
生活物資。
「物資部隊だと……?」
誰も理解できなかった。
次の瞬間。
帝国軍の包囲網へ、その集団が一直線に突撃する。
轟音。
衝撃。
帝国軍が築いた包囲陣は。
まるで砂の城のように崩れ始めた。
最前線。
一人の男が静かに立つ。
魔王。
誰よりも前で。
誰よりも静かに。
ただ歩いていた。
魔族たちは武器を構える。
その時。
魔王は振り返らずに命じる。
「誰も。」
「殺めるな。」
全員の動きが止まる。
「無駄な憎しみを生むだけだ。」
静かな声だった。
しかし。
誰一人として逆らわない。
魔王は前だけを見据えたまま続ける。
「ただ、邪魔するようであれば。」
「蹴散らせ。」
その一言だけで十分だった。
「応っ!!」
三百の魔族が一斉に駆け出す。
その日。
魔王軍は。
千年ぶりの進軍。
かつての戦地へ赴いていた。
帝国軍本陣。
軍議の最中だった。
バンッ!
軍幕が勢いよく開かれる。
「ご報告!」
伝令は息を切らしながら叫んだ。
「魔王軍、出陣!」
会議の空気が一変する。
「何だと?」
軍務大臣が立ち上がる。
「包囲網が突破されました!」
「そのまま王国へ向けて進軍中!」
「現在もなお、こちらの包囲陣を突破し続けています!」
「馬鹿な!」
将軍が机を叩く。
「魔王軍は三百ではなかったのか!」
「はい!」
「しかし……!」
伝令は震える声で続ける。
「止まりません!」
「まるで何事もないかのように、我が軍を蹴散らし、そのまま王国へ向かっております!」
皇帝は静かに目を細めた。
「……千年。」
小さく呟く。
「千年もの間、大人しくしていた魔王が。」
「よりにもよって、このタイミングで動くとは……。」
誰も答えられなかった。
◇
◇
◇
一方。
王宮。
軍議の間。
こちらも、伝令が飛び込んでくる。
「ご報告!」
「魔王軍!」
「王都へ向けて進軍中です!」
会議室がざわつく。
「魔王軍だと?」
「帝国の包囲はどうした!」
伝令は首を横へ振る。
「包囲軍は……。」
「何事もなかったかのように蹴散らし、そのまま突破しました!」
「現在も一直線に王都へ向かっております!」
会議室が静まり返る。
帝国軍でもない。
周辺諸国軍でもない。
魔王軍。
誰も、その目的が分からなかった。
敵か。
味方か。
あるいは、そのどちらでもないのか。
国王アルバスは静かに目を閉じる。
「……魔王。」
「何を考えておる。」
その答えを知る者は。
まだ誰一人としていなかった。
魔王軍は止まらない。
帝国軍の包囲を突破し。
一直線に王都へ迫る。
王都を覆う巨大な結界。
王宮魔術師団が幾重にも張り巡らせた、防衛結界。
魔族たちは、その前で足を止めることもない。
一人の若い魔族が眉をひそめた。
「……何だ。」
「少しピリピリするな。」
隣の魔族が笑う。
「結界か。」
「人間の作る結界とは。」
「こんなに脆いものなのか。」
「ははは。」
笑いながら、そのまま歩き続ける。
結界は。
まるで存在しないかのように、全員が通り抜けていった。
王都城門。
固く閉ざされた巨大な門を前に。
魔王は静かに口を開く。
「城門は壊すな。」
魔族たちが一斉に振り返る。
「大事な守りだ。」
短い一言だった。
「はっ。」
老魔族が前へ出る。
静かに片手を掲げる。
魔法陣すら現れない。
次の瞬間。
ギギギ……。
巨大な城門が、ひとりでにゆっくりと開き始めた。
老魔族は静かに一礼する。
「開門いたしました。」
魔王は小さく頷く。
「行くぞ。」
三百の魔族が静かに王都へ足を踏み入れる。
誰も叫ばない。
誰も暴れない。
王都へ入ると。
先頭を歩いていた魔族たちが、大量の荷馬車を入口へ並べ始めた。
食料。
水。
薬。
毛布。
生活用品。
山のような物資が積み上げられる。
魔王は歩き始める。
「行くぞ。」
三百の魔族が、その後へ続く。
向かう先は一つ。
王都の地下深く。
千年の時を経て。
宿敵。
戦鬼アンネローゼのもとへ。
魔王は王都の地下深くを歩いていた。
認識阻害。
偽装魔法。
王宮魔術師団団長アルヴィンが築いた結界。
そのすべてを。
まるで存在しないかのように通り抜ける。
やがて。
巨大な扉の前へ辿り着いた。
魔王は静かに立ち止まる。
重厚な結界を前に。
ただ、静かに目を閉じた。
後ろへ並ぶ魔族たちは。
誰一人、口を開かない。
魔力炉。
その意味を知っている。
千年間。
宿敵が、たった一人で国を支え続けてきた場所。
誰もが痛ましい表情を浮かべていた。
しばらくの沈黙。
やがて魔王が静かに口を開く。
「……戦鬼。」
「お前は来ぬのか。」
その声は、結界を越え。
魔力炉の奥へ届く。
少しして。
優しい声が返ってきた。
「ごめんね。」
「まだ出られないの。」
「でも。」
「分身なら出せるわよ。」
魔王は静かに頷いた。
「……心強い。」
その一言だけだった。
後ろにいた魔族たちは、一斉に頭を垂れる。
誰も敵を見る目ではなかった。
敬意だった。
千年前。
命を懸けて戦い続けた相手。
その宿敵が。
今なお、たった一人で国を支え続けている。
その事実へ向けた敬礼だった。
その光景を見て。
魔王は静かに目を細める。
かつてなら。
決してあり得なかった。
宿敵へ頭を下げる日が来るとは。
長い時が。
互いの憎しみを、敬意へ変えていた。
魔王はゆっくりと振り返る。
「行くぞ。」
「はっ!」
三百の魔族が一斉に顔を上げる。
彼らは再び歩き始めた。
宿敵の国を。
守るために。
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