模擬戦
訓練場は、人で埋め尽くされていた。
「誰が戦うんだ?」
「あのローブの人。」
「王宮魔術師団団長らしいぞ。」
「相手は?」
「Fランク冒険者。」
「ああ。」
「勝負にならないだろ。」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
一方で、ヒロを知る者たちは違った。
「まあ。」
「さすがに勝てはしないだろうが。」
「どんな戦い方をするのか楽しみだな。」
職人たちも。
ギルドマスターも。
セバスも。
静かに訓練場を見つめていた。
向かい合うヒロとアルヴィン。
アルヴィンは思わず苦笑する。
ヒロは模擬戦開始直前だというのに。
頭の中は、さっき見せた論文のことでいっぱいだった。
「……。」
「魔力循環式をああ組み替えるのか。」
「なるほど。」
「いや。」
「でも、こっちの方が効率は――」
完全に上の空だった。
アルヴィンは肩をすくめる。
「そこまで魔法工学が好きなんだね。」
ヒロは真顔で頷く。
「はい。」
開始の合図が響く。
その瞬間だった。
アルヴィンは、一切躊躇なく全魔力を解放した。
轟音。
空気が震える。
天へ向かって魔力が立ち昇る。
厚い雲が吹き飛び、青空が姿を現した。
訓練場へ突風が吹き荒れる。
観客席から悲鳴が上がる。
地面の小石が巻き上げられた。
その一つが。
一直線にリリアへ向かって飛ぶ。
反応したのは三人。
ギルドマスター。
ガレス。
そしてセバス。
全員が同時に動く。
しかし。
(間に合わない。)
その瞬間。
リリアの周囲へ、淡い結界が展開された。
カンッ。
小石は結界へ当たり、粉々に砕け散る。
リリア自身も、一瞬何が起きたのか分からなかった。
アルヴィンは目を丸くする。
そして小さく笑った。
「君。」
「無詠唱魔法も使えるんだね。」
「てっきり、無詠唱はガレス君だけかと思っていたよ。」
ヒロはようやく論文から意識を切り替えたように顔を上げる。
「リリアさんが危なかったので。」
それだけだった。
まるで当たり前のことをしたかのような口調だった。
アルヴィンは小さく笑った。
「まずは。」
「小手調べだ。」
次の瞬間。
無詠唱。
火球。
氷槍。
風刃。
雷撃。
休む間もなく攻撃魔法が放たれる。
訓練場を埋め尽くすように魔法が襲い掛かった。
観客席からどよめきが起こる。
「速い!」
「詠唱してないぞ!」
「全部無詠唱だ!」
しかし。
ヒロは一歩も動かなかった。
右手を軽く振る。
すると飛来していた火球が、音もなく消えた。
続いて氷槍。
風刃。
雷撃。
まるで最初から存在しなかったかのように、次々と霧散していく。
アルヴィンは思わず笑みを浮かべた。
「なるほど。」
「術式を書き換えて。」
「魔法そのものを無効化しているのか。」
ヒロは何も答えない。
視線だけは魔法陣を追い続けている。
アルヴィンは嬉しそうに頷いた。
「面白い。」
「でも。」
「一度に書き換えられる数には限界があるよね。」
右手を掲げる。
「マルチキャスト。」
「十三連撃。」
十三の魔法陣が同時に展開される。
観客席が息を呑む。
「十三……!」
「一度に!?」
一斉に放たれる十三の攻撃魔法。
だが。
すべて消えた。
爆発も。
衝撃も。
何一つ残らない。
静寂だけが訓練場を包む。
アルヴィンは目を細めた。
「……そうか。」
「最初の数発は。」
「術式を書き換えて無効化。」
「そして。」
「処理しきれなかった魔法には。」
「僕と同じ術式を重ねて。」
「完全に相殺したんだね。」
ヒロはようやく小さく頷いた。
「はい。」
「書き換えるより。」
「同じ魔法をぶつけた方が速いと判断しました。」
アルヴィンは楽しそうに目を細めた。
「小手調べは終わりだよ。」
周囲の空気が、再び大きく揺れる。
アルヴィンの背後へ、十三の巨大な魔法陣が展開された。
先ほどまでとは比べものにならない。
一つひとつが複雑な術式で構築され、その内側には膨大な魔力が圧縮されている。
観客席の魔術師たちが息を呑んだ。
「上級魔法……。」
「それを十三、同時に?」
アルヴィンは片手を掲げたまま、ヒロへ問い掛ける。
「上級魔法の十三連撃。」
「これは相殺できるかな?」
ヒロは展開された術式を一つずつ見渡した。
ほんのわずかな時間。
それだけで結論を出す。
「無理ですね。」
あまりにも素直な返答だった。
観客席がざわめく。
ヒロは気にせず続けた。
「術式へ干渉できないよう、何重にも保護されています。」
「同じ魔法を再現するにも、構造が複雑すぎる。」
アルヴィンは満足そうに笑った。
「正解。」
掲げていた手を振り下ろす。
十三の上級魔法が、一斉に放たれた。
炎。
氷。
雷。
風。
土。
それぞれが巨大な塊となり、逃げ場を塞ぐようにヒロへ殺到する。
観客席から悲鳴が上がった。
「ヒロ君!」
リリアの声が響く。
次の瞬間。
ヒロの前方で空間が大きく歪んだ。
巨大な魔法の奔流が、その歪みへ次々と吸い込まれていく。
炎も。
雷も。
氷も。
爆発すら起こらない。
十三の上級魔法は、一つ残らず空間の向こうへ消えた。
訓練場に静寂が訪れる。
アルヴィンは目を見開いた。
「……空間魔法か。」
ヒロは何事もなかったように頷く。
「はい。」
「インフラ整備では、大きな資材を運ぶのが大変ですからね。」
「覚えておくと便利なんです。」
あまりにも用途が日常的だった。
観客たちは言葉を失う。
ヒロはそのまま空間へ右手を差し入れた。
一本の剣を取り出し、静かに腰へ差す。
アルヴィンの目が鋭くなる。
「剣?」
ヒロは答えない。
代わりに、複数の魔法陣が身体の周囲へ同時に展開された。
筋力強化。
瞬発力強化。
反応速度強化。
視覚強化。
聴覚強化。
身体保護。
魔力循環の加速。
ヒロが知り得る限りの身体強化魔法が、次々とその身へ重ねられていく。
一つの術式を維持しながら、別の術式を並行して構築する。
さらに、それらを複数同時に発動する。
アルヴィンは、初めてはっきりと驚愕を顔へ浮かべた。
「パラレルキャストと。」
「マルチキャストの併用……!?」
ヒロの全身を、幾重もの魔力が包み込む。
腰の剣へ手を添え、静かにアルヴィンを見据えた。
アルヴィンは思わず笑う。
「ガレス君がとんでもないと思っていたけど。」
「君も大概だね。」
身体強化魔法がすべて掛かり切った、その瞬間だった。
ヒロの姿が消える。
次の瞬間。
居合。
一閃。
鞘へ納まる音が響く。
アルヴィンの腹部へ、峰が深々とめり込んだ。
「……っ!」
アルヴィンはそのまま後方へ吹き飛び、地面へ倒れ込む。
訓練場が静まり返る。
誰もが息を呑んだ。
しかし。
ヒロは剣を鞘へ納めると、小さく頭を下げた。
「僕の負けです。」
観客席がざわつく。
「え?」
「勝っただろ?」
「何言ってるんだ?」
ヒロは訓練場の誰もいない方向へ視線を向けた。
「アルヴィンさん。」
「降参です。」
「出てきてください。」
数秒の沈黙。
やがて。
「参ったな。」
そんな声と共に、客席の一角から一人の男が立ち上がる。
アルヴィンだった。
訓練場へ倒れていたアルヴィンの姿は、ゆっくりと揺らぎ、そのまま霧のように消えていく。
幻影だった。
観客席がどよめく。
「いつの間に……!」
「最初から偽物だったのか!」
アルヴィンは笑いながら訓練場へ降りてくる。
「凄いね。」
「いつ気付いたの?」
ヒロは苦笑した。
「最初からです。」
アルヴィンの目が少しだけ見開かれる。
「やっぱり。」
ヒロは肩をすくめる。
「アルヴィンさんなら。」
「こういう戦い方をするだろうなと思って。」
「探知魔法を使って、本体を探していました。」
少しだけ悔しそうに笑う。
「でも。」
「結局、最後まで見つけられませんでした。」
「魔力切れです。」
「だから。」
「僕の負けです。」
アルヴィンはしばらくヒロを見つめていた。
やがて、心底楽しそうに笑う。
「普通なら。」
「目の前の相手を倒して満足する。」
「君は。」
「最初から僕を探していたんだね。」
静まり返っていた訓練場へ。
突然、大声が響き渡る。
「ヒロ!」
ガレスだった。
目を輝かせながら、身を乗り出している。
「今の剣術は何だ!?」
「抜刀術か!?」
「俺もやりてぇ!」
ヒロは思わず苦笑する。
「ガレス。」
「その大剣で抜刀術は無理があるでしょ。」
ガレスは自分の背中に背負った大剣を見上げる。
「……そうなのか?」
「そうだよ。」
ヒロは真顔で頷いた。
ガレスは少しだけ残念そうな顔をした。
しかし次の瞬間には、いつもの笑顔へ戻る。
「でも!」
「やっぱり剣はいいな!」
「村での修行を思い出す!」
勢いよく立ち上がり、ヒロの肩を叩く。
「よし!」
「ヒロ!」
「今から剣の修行だ!」
ヒロは呆れたように笑う。
「いや。」
「模擬戦終わったばかりだから。」
そのやり取りを見ていたアルヴィンは、大きくため息を吐いた。
「……結局。」
「ガレス君は剣なんだね。」
そう言いながらも、考えを改める。
(勧誘するなら。)
(やっぱりガレス君じゃない。)
視線は自然とヒロへ向いた。
(魔力量は決して多くない。)
(攻撃魔法も、ほとんど知らない。)
(でも。)
(パラレルキャスト。)
(マルチキャスト。)
(無詠唱。)
(空間魔法。)
(そして、あの術式解析能力。)
アルヴィンは小さく笑う。
「うん。」
「やっぱり。」
「ヒロ君は王宮魔術師団へ入れよう。」
その言葉を聞いた瞬間だった。
「お待ちなさい。」
セバスが一歩前へ出る。
アルヴィンを見る。
「先ほどの抜刀術。」
「そして。」
「おそらく、ご自身で鍛え上げたのであろう、その剣。」
「ヒロ君。」
「あなたは剣士になるべきです。」
アルヴィンが眉をひそめる。
「いやいや。」
「魔術師でしょう。」
「剣士です。」
「魔術師です。」
二人が真剣に言い合う中。
当の本人は困ったように頭を掻いた。
「いえ。」
「僕は職人ですよ。」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
ガレスが腹の底から叫んだ。
「いや!」
「冒険者だろ!!」
訓練場中に笑い声が響き渡った。
その後、一同はギルドの食堂へ移動していた。
理由は単純だった。
議論が白熱する中、ヒロが静かに口を開いたのである。
「すみません。」
「リリアさんとの食事の時間なので、失礼します。」
そう言うと。
返事を待つことなく、リリアの手をそっと取った。
「行きましょう。」
「えっ、ちょ、ヒロくん!」
リリアが慌てる間もなく、二人はそのまま食堂へ歩いて行ってしまう。
残されたアルヴィンとセバスは顔を見合わせた。
「……。」
「行ってしまいましたね。」
「ええ。」
「見事に会話を切られました。」
アルヴィンは苦笑するしかなかった。
「魔術師団への勧誘も。」
「剣士への勧誘も。」
「全部後回しだね。」
セバスも静かに笑う。
「彼らしい。」
食堂へ入ると、そこはすでに賑わっていた。
セバスの周りには剣士たちが集まり始める。
「剣聖!」
「さっきの居合、どう思いました?」
「ぜひ一度ご指導を!」
一方。
アルヴィンの周りには魔術師たちが集まっていた。
「団長!」
「さっきの十三連撃!」
「術式保護はどう構築されたんですか!」
「空間魔法をどう攻略すれば――」
二人とも、あっという間に人だかりの中心になってしまう。
その少し離れた席では。
ヒロとリリアが向かい合って昼食を食べていた。
いつもの手作り弁当。
「今日も美味しいです。」
「ありがとうございます。」
「口に合ってよかった。」
穏やかな空気が流れる。
しかし。
その隣では、エリックがノートを片手に身を乗り出していた。
「ヒロさん!」
「さっき術式を書き換えてましたよね!」
「でも途中から相殺に切り替えました!」
「あれはどういう判断だったんですか!」
ヒロは箸を止める。
「いい質問だね。」
嬉しそうに笑う。
「術式を書き換える方が魔力効率はいい。」
「でも。」
「上級魔法になると解析時間の方が長くなる。」
「だから今回は――」
エリックは必死に頷きながらノートへ書き込んでいく。
質問。
回答。
また質問。
また回答。
ヒロは一つひとつ丁寧に答えていた。
リリアはその様子を見ながら、小さく微笑む。
「……ふふっ。」
いつもの昼食。
いつものヒロ。
魔力炉も。
模擬戦も。
王宮魔術師団団長も。
今この席では関係ない。
今日もヒロは、誰かに何かを教えながら、穏やかな昼食を楽しんでいた。




