十歳:天才と凡才
村長から魔法書を譲り受けてからというもの、岩場での修行は大きく変わった。
ヒロは岩の上に魔法書を広げ、夢中でページをめくる。
魔力の流れ。
属性。
術式。
詠唱。
そこに書かれている理論を、一つひとつ自分の中へ落とし込んでいく。
「風の流速……魔力の圧縮率……術式固定……」
指先で空中に魔法陣を描き、詠唱を紡ぐ。
「――ウィンド」
風が吹く。
「――ファイア」
小さな火種が灯る。
「よし。」
思い描いた通りの結果だった。
魔法とは、世界の理を組み立てる技術。
ヒロにとって、それは最高に面白い論理パズルだった。
その隣では。
「せいっ!」
「おらっ!」
ガレスが大剣を振り回している。
本には一切興味を示さない。
「ガレス。」
「ん?」
「少しは魔法も勉強した方がいいよ。」
「やだ。」
即答だった。
「字、多いし。」
「君ねぇ……。」
ヒロは苦笑する。
「魔法は剣にも応用できるんだよ。」
「へぇ。」
「聞いてないね。」
「聞いてない。」
悪びれる様子もない。
そんなある日だった。
ヒロは魔法書を読みながら、火球の術式を構築していた。
魔法陣を描き。
魔力を循環させ。
詠唱を紡ぐ。
「――火よ」
ぽっ、と小さな火球が生まれる。
「もう少し出力を……」
「あー!」
横で見ていたガレスが急に叫んだ。
「まどろっこしい!」
そう言うなり、大剣を地面へ突き立てる。
右手を前へ突き出した。
「出ろ。」
ボウッ!
何の前触れもなく、巨大な炎が岩へ直撃した。
轟音とともに岩肌が黒く焦げる。
ヒロは固まった。
「……え?」
頭が真っ白になる。
「今……何をした?」
「ん?」
「だから!」
ヒロはガレスへ詰め寄る。
「詠唱は!?」
「魔法陣は!?」
「術式は!?」
「知らねぇ。」
ガレスは首を傾げた。
「熱いって思ったら出た。」
「…………。」
ヒロの思考が止まる。
魔法書には書いていない。
こんな使い方は存在しない。
「もう一回。」
「いいぞ。」
ボウッ。
「もう一回!」
ボウッ。
「もう一回!」
ボウッ。
何度やっても同じだった。
詠唱はない。
術式もない。
ただ”出ろ”と思うだけ。
それだけで魔法が発動している。
「……意味が分からない。」
ヒロは頭を抱えた。
◇
それから数日。
ヒロは岩場へ通い続けた。
魔法書を読み返す。
術式を書き写す。
魔力の流れを計算する。
何度も挑戦する。
失敗。
また失敗。
詠唱を短くしてみる。
失敗。
術式を簡略化する。
失敗。
言葉を減らす。
失敗。
夜になっても帰らない。
月明かりだけが岩場を照らしていた。
「まだやってんの?」
ガレスが呆れたようにやって来る。
「あと少しなんだ。」
ヒロは魔法書から目を離さない。
「君はどうやってる?」
「だから知らねぇって。」
「考えたこともない?」
「ない。」
即答だった。
ヒロは苦笑する。
「……君らしいね。」
それでも諦めない。
ガレスの呼吸。
視線。
魔力。
感情。
一つひとつ観察する。
そして、ある瞬間。
ヒロは気づいた。
「違う。」
魔法を動かしているのは言葉じゃない。
術式でもない。
魔力を動かす”意志”そのものだ。
詠唱は、その補助。
だから。
ヒロは魔法書を閉じた。
深く息を吸う。
詠唱しない。
術式も描かない。
ただ一つだけ。
火を灯したい。
その意思だけを魔力へ乗せる。
指先へ集中する。
静寂。
そして――
ぽっ。
小さな火が灯った。
「……できた。」
ほんの小さな炎だった。
火球ですらない。
それでも。
無詠唱だった。
「おお!」
ガレスが目を丸くする。
「できたじゃねぇか!」
ヒロは炎を見つめたまま、小さく笑う。
「違う。」
「僕は君を真似しただけだ。」
「最初からできていた君の方が、ずっとすごい。」
ガレスは照れくさそうに頭を掻く。
「へへっ。」
◇
その日からだった。
二人の成長速度は、一気に加速する。
ヒロは無詠唱を理論として整理し、剣術と魔法を融合させていく。
魔法で身体能力を高め。
最適な剣筋を導き出し。
一撃で敵を仕留める。
誰が見ても理にかなった戦い方だった。
一方、ガレスは相変わらずだった。
「ほらよ!」
氷塊を飛ばす。
その氷より速く自分が走る。
大剣を振り下ろす。
岩が粉々に砕け散る。
「どうだ、ヒロ!」
「魔法より俺の方が速い!」
「君は本当に滅茶苦茶だね。」
呆れながらも、ヒロは笑う。
理論では届かない場所へ。
ガレスは今日も本能だけで駆け抜けていく。
「そうだ!」
ガレスが思い出したように言う。
「木こりの爺さんが言ってた!」
「十歳になったら冒険者になれるんだって!」
ヒロも笑う。
「もうすぐだね。」
「王都へ行こう!」
「そして世界一の冒険者になる!」
「最高ランクまでね。」
ガレスは首を傾げた。
「最高ランクって何?」
ヒロは思わず吹き出した。
「さあ。」
「でも、一番上まで行けば分かるよ。」
「よし!」
ガレスは大剣を肩へ担ぐ。
「じゃあ一番上まで行く!」
夕日に照らされた二人の笑い声が、いつまでも岩場へ響いていた。
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