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主人公はいつになっても冒険者ランクを上げない  作者: Patriot
成人期:二十歳

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職人の布教活動

初陣


ギルドを出ると、朝の王都はすでに活気に満ちていた。


ヒロはいつもの速度で歩き始める。


エリックも慌ててその後を追った。


歩きながら、エリックは先ほどの出来事を思い返していた。


Fランク冒険者。


なのに、ベテラン冒険者たちは誰一人として見下していない。


新人教育が始まると、いきなり渡された分厚いノート。


最後のページまでびっしりと書き込まれていた文字。


「メモを取る時間がもったいない。」


そう言って、あらかじめ全部まとめてきた。


効率を徹底して考える人。


受付では迷わずリリアを選んだ。


仕事が丁寧で。


説明が上手で。


判断が早いから。


そこまでは納得できた。


……なのに。


最後は容姿まで褒め始めた。


(変な人だな。)


思わず苦笑する。


(でも。)


(きっと、いい人なんだろうな。)


その時だった。


ヒロが前を向いたまま口を開く。


「君は魔剣士だから。」


「装備を整えたいところだけど。」


「今日は、とりあえず地下へ行こう。」


「僕も初日は地下だったからね。」


エリックは足を止めそうになる。


「え?」


「僕が魔剣士なんて、一言も言ってませんよ?」


現に腰には剣すら下げていない。


ヒロは不思議そうに振り返る。


「見れば分かるよ。」


「重心。」


「歩き方。」


「視線。」


「剣を振るう人の身体になってる。」


「それに。」


「魔力の流れ。」


「剣へ魔力を流す癖が残ってる。」


エリックは言葉を失った。


ヒロはゆっくりと近付き、そっとエリックの頭を撫でる。


「幼い頃から、ちゃんと魔法を練習してきたね。」


「魔力の扱いがすごく綺麗だ。」


少し笑う。


「ガレスとは大違いだ。」


エリックは思わず目を丸くした。


「ええっ!?」


その驚いた声が、朝の王都へ響いた。





二人は地下へ降りた。


ひんやりとした空気が肌を撫でる。


地下道には、規則正しく魔力灯が並び、青白い光が静かに通路を照らしていた。


ヒロは工具箱を床へ置く。


右手をゆっくりと前へ差し出した。


淡い魔法陣が静かに広がる。


空間が僅かに揺らぎ、その中から一本の剣が姿を現した。


ヒロは迷うことなくその剣を手に取り、エリックへ差し出す。


「これくらいの大きさが、君の手には馴染むと思うよ。」


エリックは思わず目を見開いた。


「……空間魔法。」


思わず声が漏れる。


「それ、空間魔法ですよね。」


ヒロは嬉しそうに笑った。


「よく知ってるね!」


「知ってる人、あんまりいないんだ。」


自分の魔法を褒められたようには見えなかった。


それよりも、空間魔法を見ただけで見抜いたエリックへ感心しているようだった。


エリックは剣を受け取りながら、心の中で整理する。


(空間魔法。)


(王宮魔術師団でも、一部の人しか扱えない高等魔法。)


(それを。)


(Fランク冒険者が使ってる……?)


頭が追いつかない。


それでも気持ちを切り替え、小さく咳払いをした。


「今日は地下魔力導管整備ですよね?」


ヒロは工具箱を開きながら頷く。


「ああ。」


「それは僕がやる。」


工具を一本取り出す。


「君はひたすら魔物を討伐してくれ。」


エリックは目を丸くする。


「え?」


「一人でですか?」


ヒロは笑って頷いた。


「大丈夫。」


「ずっとそばで見てるから。」


そう言うと、ヒロは何事もないように魔力導管の前へしゃがみ込み、点検を始めた。


工具を握る姿は、冒険者というより、長年地下で働いてきた職人そのものだった。


昼を過ぎた頃。


エリックは肩で大きく息をしていた。


腕が重い。


もう剣が上がらない。


額から汗が滴り落ちる。


目の前では、一匹の大鼠が低く唸りながら間合いを詰めてくる。


(……まずい。)


足も動かない。


剣も間に合わない。


その時だった。


ヒュッ。


乾いた風を切る音。


次の瞬間、小さな釘が大鼠の眉間へ深々と突き刺さった。


大鼠はその場へ崩れ落ちる。


ヒロは工具箱をしまいながら、何事もなかったように立ち上がった。


「ご飯にしよう!」


そう言うと、そのまま歩き始める。


「えっ、ちょっと!」


エリックは慌てて後を追った。





しばらく歩くと、地下道が少しだけ広くなった場所へ出る。


そこでは職人たちが工具を置き、輪になって昼食の準備をしていた。


「おう、ヒロ。」


「昼だぞ。」


「今日は遅かったな。」


ヒロは嬉しそうに頷く。


工具箱の横へ腰を下ろし、大切そうに弁当箱を取り出した。


蓋を開ける。


その瞬間。


「わぁ!」


思わず目を輝かせる。


「今日も美味しそう!」


色鮮やかに詰められた手作り弁当。


リリアが毎朝作ってくれる弁当だった。


いつからか。


それが当たり前の日常になっていた。


職人たちはその様子を見て笑う。


「また始まった。」


「毎日同じ反応だな。」


「昼飯開けるたびに感動してるぞ。」


工房らしい笑いが広がる。


エリックは弁当とヒロを見比べ、思わず呟いた。


「……リリアさんって。」


「そういうこと、するんですね。」


その瞬間だった。


ヒロがゆっくりと顔を上げる。


今まで見たことがないくらい真剣な表情だった。


「……あげないよ。」


少し間を置く。


「一口も。」


地下が一瞬静まり返る。


次の瞬間。


「はははは!」


職人たちの笑い声が地下中へ響き渡った。


「そこかよ!」


「真顔で言うな!」


「昼飯だけは譲らねぇんだな!」


ヒロも照れくさそうに笑う。


エリックもつられて吹き出した。


地下には、今日も変わらない笑い声が広がっていた。


昼食を終えると、職人たちはそれぞれ湯呑みを片手に一息ついていた。


エリックもようやく息が整い、壁へ背中を預ける。


その様子を見ていた職人たちが笑いながら声を掛ける。


「どうだ。」


「ヒロの教え方は。」


エリックは苦笑する。


「すごいです。」


「何を聞いても答えてくれるし。」


「失敗しても怒らないし。」


「……でも。」


少し笑う。


「話が長いです。」


地下に笑い声が広がる。


「違ぇねぇ!」


「そこだけは昔から変わらねぇ!」


「一つ聞くと十返ってくるからな!」


ヒロは照れくさそうに頭を掻いた。


「ちゃんと説明したいだけだよ。」


その時だった。


カサッ。


物陰から、小さな音が聞こえる。


昼食の匂いにつられたのだろう。


一匹の大鼠が勢いよく飛び出した。


真っ直ぐ親方へ飛び掛かる。


エリックは思わず立ち上がった。


「危な――」


ゴッ。


鈍い音が地下へ響く。


親方は振り返りもしなかった。


湯呑みを持ったまま。


空いていた手で拳骨を一発。


それだけだった。


大鼠はその場へ崩れ落ち、ぴくりとも動かない。


親方は何事もなかったように湯呑みを口へ運ぶ。


「……最近の鼠は礼儀がなってねぇ。」


エリックは口を開けたまま固まっていた。


しばらくして、小さく呟く。


「……職人さんって。」


「みんな、こんな感じなんですか?」


一瞬の静寂。


次の瞬間。


「はははは!」


地下中へ笑い声が響き渡った。


「違ぇよ!」


「親方がおかしいだけだ!」


「俺らまで一緒にすんな!」


親方だけは何も言わず、湯呑みを傾けながら小さく鼻を鳴らした。



その日は、珍しく早い時間に作業を切り上げることになった。


ヒロは弁当箱を片付け終えると、休憩場所に集まっていた職人たちの前へ立った。


「少し相談があります。」


職人たちは手を止め、ヒロを見る。


ヒロは隣に立つエリックへ視線を向けた。


「エリックの装備を整えたいんです。」


「今日は借り物の剣で戦ってもらいました。」


「でも、身体の使い方を見る限り、今の装備ではこの子の良さを活かせません。」


「剣だけじゃなくて、防具も魔力の流れを邪魔しないものが必要です。」


一人ひとりの顔を見ながら、丁寧に事情を説明していく。


職人たちは何も言わずに聞いていた。


やがて親方が工具箱を閉じる。


「じゃあ、工房へ行くか。」


その一言を合図にしたように、職人たちも次々と立ち上がった。


作業着についた埃を払い、工具をまとめ始める。


あまりにも自然な動きだった。


エリックは慌てて両手を振る。


「待ってください!」


「そんな……僕なんかのために、皆さんの仕事を止めてまで!」


職人たちの手が止まる。


全員が不思議そうにエリックを見た。


一人が首を傾げる。


「お前のため?」


別の職人も顔を見合わせる。


「何言ってんだ、こいつ。」


エリックは戸惑いながらヒロを見る。


すると親方が工具箱を肩へ担ぎ、ぶっきらぼうに言った。


「お前のためじゃねぇよ。」


少し間を置き、ヒロへ顎を向ける。


「ヒロのためだ。」


職人たちは当然のことのように頷いた。


「ヒロが頼んできたんだ。」


「だったら断る理由ねぇだろ。」


「それに、あいつがそこまで言うなら、ちゃんとしたもん作らねぇとな。」


ヒロは少し困ったように笑う。


「ありがとうございます。」


親方は返事をせず、そのまま地下道の出口へ向かって歩き始めた。


「ほら、行くぞ。」


職人たちも次々と後へ続く。


エリックだけが、その場に立ち尽くしていた。


目の前を歩いていく職人たち。


その中心にいるFランク冒険者。


ギルドではまだよく知られていない。


けれど、この地下では。


誰よりも信頼されている。


エリックは胸に抱えたノートを見つめる。


そして慌てて顔を上げると、ヒロたちの後を追って走り出した。





ギルドへ戻る頃には、まだ日は高かった。


いつもよりずっと早い帰還だった。


ヒロは受付へ向かうと、工具箱の横へ弁当箱をそっと置く。


「今日も美味しかったです。」


「ごちそうさまでした。」


リリアは受け取った弁当箱を胸の前で抱え、小さく微笑む。


「おかえりなさい。」


「お疲れ様でした。」


いつものやり取り。


それだけで二人とも自然と笑顔になる。


その様子を見ていた受付嬢たちが、くすっと笑った。


「今日もごちそうさまです。」


「毎日見せつけられるね。」


「もう慣れたけど。」


受付の奥では、小さな笑い声が弾けていた。


その少し後ろ。


新しい装備を身につけたエリックは、一人立ち尽くしていた。


今日一日を、何度も思い返している。


地下で見た親方。


自分が必死に剣で倒していた大鼠を。


振り返ることもなく、拳骨一発で倒した。


工房では、もっと驚いた。


剣を作る者。


鞘を作る者。


革を扱う者。


金具を作る者。


それぞれが何も相談することなく動き始め、まるで長年決まっていた仕事のように、自分だけの装備を仕上げていった。


誰一人、自分の腕を自慢しない。


ただ黙々と、自分の仕事をしていた。


そして、その光景を一番嬉しそうに見ていたのがヒロだった。


自分が褒められても照れて終わる。


自分の技術を誇ることもない。


なのに。


職人たちが働く姿を見ると、少年のように目を輝かせて笑う。


「すごいでしょ!」


まるで、自分のことのように誇らしそうだった。


エリックはその横顔を思い出し、小さく笑う。


(……変な人だ。)


そう思いながらも。


その笑顔は、どこか少しだけ羨ましかった。


夕方。


新人とベテランの組が、一組、また一組とギルドへ戻ってくる。


疲れ切った新人。


どこか誇らしげなベテラン。


ギルドは朝とは違う活気に包まれていた。


リリアは受付から一歩前へ出る。


「皆さん、お疲れさまでした。」


「それでは、本日の報告を始めます。」


新人たちが輪になる。


担当したベテランは、その少し後ろに立った。


最初の組。


「薬草採集です!」


「無事終了しました!」


拍手が起こる。


次の組。


「迷子の猫探し!」


「見つけました!」


「おお!」


また拍手。


その後も報告は続く。


「買い物のお使い。」


「街道の掃除。」


「薪割り。」


派手ではない。


しかし、新人が冒険者として生きていくために必要な依頼ばかりだった。


リリアは満足そうに頷く。


「皆さん、よく頑張りました。」


次にガレスが一歩前へ出る。


胸を張り、大きな声で報告する。


「ゴブリン退治だ!」


「三体!」


「どうだ!」


「すげぇだろ!」


担当していた新人は、その横で肩で息をしていた。


汗だくで、今にも倒れそうである。


周囲から感嘆の声が上がる。


「おお!」


「初日でゴブリンか!」


「さすがガレス!」


ガレスは得意げに笑った。


「だろ!」


そして最後。


ヒロが静かに前へ出る。


リリアは依頼書へ目を落とす。


「地下魔力導管整備。」


ヒロは頷く。


「はい。」


少しだけ考えてから続けた。


「……の、ついでに。」


「大鼠討伐。」


「百二十八体です。」


ギルドが静まり返る。


「…………。」


誰も言葉が出ない。


その沈黙を破ったのは、エリックだった。


「ち、違うんです!」


慌てて一歩前へ出る。


「今日一日、本当に驚くことばかりで……。」


興奮したまま言葉を続ける。


「僕が必死で剣を振って倒していた大鼠を。」


「昼休みに親方さんが。」


「振り返りもしないで、拳骨一発で倒したんです!」


ベテランたちは吹き出した。


「またやったのか。」


「親方らしいな。」


エリックはまだ止まらない。


「それから工房へ行ったら!」


「職人さん全員が仕事を止めて。」


「それぞれの得意分野で、僕の装備を作ってくれました!」


「誰も自分の腕を自慢しないのに。」


「ものすごく手際がよくて。」


「本当にすごかったんです!」


ヒロは少し照れくさそうに笑う。


「だから言ったでしょ。」


「職人さんたちはすごいって。」


エリックは力いっぱい頷いた。


「はい!」


「本当にすごかったです!」


ガレスは額へ手を当て、大きくため息を吐く。


「……お前。」


「新人教育してんのかと思ったら。」


「職人の布教活動してんじゃねぇか。」


ギルド中に笑い声が響き渡った。





その日の仕事を終えると。


ガレスとヒロは、それぞれ担当している新人を連れ、木漏れ日の酒場へやって来た。


扉を開けるなり、ガレスは店内を大きく見渡す。


「覚えとけ!」


「ここが王都一番の酒場だ!」


新人は思わず辺りを見回す。


「そうなんですか?」


ガレスは胸を張る。


「おう!」


「間違いねぇ!」


その横でヒロが静かに補足する。


「なんでかって言うとね、ギルドから近い。」


「料理の提供も早い。」


「値段も良心的。」


「料理の質も安定してる。」


「お酒の濃さをその人に合ったように調整してくれるから、翌日に仕事があっても安心。」


「冒険者には一番――」


ガレスが途中で遮る。


「ああ!」


「難しいことはいいんだ!」


ヒロは話を止める。


ガレスは満面の笑みで言い切った。


「セレナが美人だ!」


店内が一瞬静まり返る。


次の瞬間。


ヒロが勢いよく立ち上がった。


「リリアさんの方が美人だ!」


ガレスも負けじと立ち上がる。


「いや!」


「セレナだ!」


「リリアさん!」


「セレナ!」


「リリアさん!」


二人は真剣そのものだった。


新人たちは呆気に取られている。


当のセレナは、カウンターの奥で耳まで真っ赤だった。


「も、もう……。」


困ったように俯く。


その時だった。


「うるさいよ!」


厨房の奥から女将が顔を出す。


腕を組み、大きくため息を吐く。


「まったく。」


「毎日毎日、飽きないねぇ。」


店中に笑い声が響く。


新人たちは顔を見合わせ、小さく笑った。


(……なるほど。)


(ここが王都一番の酒場なんだ。)

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