新人教育
ある日の朝。
冒険者ギルドの受付前には、いつもとは違う列ができていた。
緊張した面持ちの新人冒険者たち。
その隣には、それぞれの担当となるベテラン冒険者が静かに並んでいる。
その中には、ヒロとガレスの姿もあった。
二人とも二十歳。
年齢だけ見れば、まだ若手だ。
しかし、陽だまり村を出てから十年。
十歳で王都へ来て以来、毎日のように依頼をこなし続けてきた。
ギルドでは紛れもなくベテラン冒険者だった。
受付の前へ立つリリアは、一人ひとりの顔をゆっくりと見渡す。
今日が初日。
何年も考え続けてきた制度が、ようやく形になる日だった。
新人冒険者育成制度。
新人一人につき、ベテラン一人。
一週間、寝食こそ別だが、依頼から報告まで行動を共にする。
技術だけではない。
依頼の受け方。
街での振る舞い。
危険の察知。
帰還するまでがクエストであること。
それらすべてを、一週間で学んでもらう。
冒険者には、必ず帰ってきてほしい。
その願いを形にしたのが、この制度だった。
リリアは静かに息を吸う。
今日という日を迎えるまで、何年もかかった。
胸の奥に、小さな緊張があった。
その少し後ろで、ヒロは黙って立っていた。
手には一冊の分厚いノート。
何度も読み返した跡が残り、角は少し擦り切れている。
リリアから制度の話を聞いた日から。
毎晩遅くまで机へ向かい、自分なりに考え続けた。
新人が困りそうなこと。
自分が十歳だった頃、知りたかったこと。
職人たちから教わった経験。
モルドの言葉。
親方の勘。
それらを一つひとつ書き留めていった。
誰に頼まれたわけでもない。
それでも。
リリアが何年もかけて考えた制度なら。
絶対に成功させたかった。
リリアは手元の名簿へ目を落とした。
「それでは、担当を発表します。」
静かな声がギルドへ響く。
新人の名前。
ベテランの名前。
一組ずつ読み上げられていく。
「ガレスくん。」
「はい。」
「担当は、アレンさんです。」
名前を呼ばれた新人は、一瞬固まった。
「え……。」
「本当に?」
思わず声が漏れる。
次の瞬間には、嬉しさを隠しきれず頭を下げていた。
「よろしくお願いします!」
ガレスは照れくさそうに頭を掻きながら笑う。
「おう。」
ギルド史上最年少。
FランクからAランクまで、すべて最年少昇格記録を更新し続けた男。
新人冒険者たちにとって、憧れの存在だった。
受付のあちこちから羨ましそうな声が聞こえてくる。
「いいなぁ。」
「俺もガレスさんがよかった。」
そんな空気の中、リリアは次の名前を読み上げた。
「ヒロくん。」
「はい。」
「担当は、エリックさんです。」
呼ばれた新人は、首を傾げる。
「……Fランク?」
「僕らと同じじゃないか。」
その声は、静かなギルドによく響いた。
何人かの新人も小さく頷く。
「本当だ。」
「なんで?」
その様子を見ていたベテラン冒険者たちが、思わず吹き出した。
「ははっ。」
「分かってねぇな。」
「新人らしい。」
笑い声が広がる。
ヒロはその反応を見ても、少しも気にした様子はなかった。
ただ静かに新人へ歩み寄る。
怒らない。
言い返さない。
自分がどう見られているのか。
それを誰よりも理解していた。
討伐依頼を受けない。
ランクはF。
事情を知らない新人がそう思うのは、当たり前だった。
だから。
ヒロは小さく微笑むだけだった。
「一週間。」
「よろしくお願いします。」
それぞれの組が散っていく。
ギルドのあちこちで自己紹介が始まった。
「よろしく。」
「こちらこそ。」
そんな声が飛び交う中。
ヒロは自己紹介をしなかった。
工具箱を床へ置き、一冊の分厚いノートを取り出す。
そのままエリックへ差し出した。
「これ。」
「君にあげる。」
エリックは戸惑いながら受け取る。
「え?」
「今は読まなくていい。」
「メモを取る時間がもったいないと思って、先に全部書いてきた。」
エリックは何気なくページを開く。
思わず息を呑んだ。
一ページ目。
二ページ目。
三ページ目。
最後のページまで。
隙間なく文字が並んでいる。
依頼の受け方。
道具の手入れ。
地下での注意点。
街での歩き方。
酒場でのマナー。
失敗例。
ヒロ自身が十年間で学んできたことが、びっしりと書き込まれていた。
「……すごい。」
思わず声が漏れる。
ヒロは少しだけ照れくさそうに笑った。
「じゃあ。」
「始めよう。」
エリックは慌ててノートを抱え直す。
「まずは何をするんですか?」
ヒロは迷いなく受付を指差した。
「冒険者登録の確認。」
「それから最初のクエストを受ける。」
「並ぶ受付は、リリアさん。」
エリックは首を傾げる。
「どの受付でも同じじゃ……。」
「違う。」
ヒロは真面目な顔で首を横に振った。
「リリアさんは仕事が丁寧なんだ。」
「説明が分かりやすい。」
「新人が疑問に思うことを先回りして教えてくれる。」
「依頼内容だけじゃなく、危険な点まで必ず説明してくれる。」
「書類も正確。」
「判断も早い。」
「僕は十年間見てきたけど、受付嬢として本当にすごい人だよ。」
そこまではまだ良かった。
ヒロは止まらない。
「それに。」
「黒髪も綺麗だし。」
「笑顔も素敵だし。」
「声も落ち着くし。」
「仕事中の真剣な表情も――」
エリックは思わず苦笑する。
「あの。」
「ヒロさん。」
「それ、もう仕事の話じゃないですよね?」
ヒロは一瞬だけ固まる。
「……あ。」
少し離れた受付では。
リリアが耳まで真っ赤になっていた。
受付嬢たちは肩を震わせながら笑いを堪えている。
ベテラン冒険者たちは顔を見合わせ、小さく吹き出した。
「始まったな。」
「リリア賞賛完全詠唱。」
「今日は長いぞ。」
受付を終えると、ヒロとエリックは並んでギルドを後にした。
エリックは胸に抱えたノートを何度も見つめている。
その横では、ヒロが歩幅を合わせながら何かを説明していた。
「最初は依頼を成功させることより。」
「無事に帰ってくることを優先して。」
「危ないと思ったら迷わず引いていい。」
「それも立派な判断だから。」
エリックは真剣な表情で何度も頷く。
その後ろ姿を、リリアは受付から静かに見送っていた。
自然と口元が緩む。
リリアが何年もかけて練り上げた新人育成制度。
そのために夜遅くまで書き続けた、あの分厚いノート。
そして。
新人の歩幅に合わせ、一つひとつ丁寧に教えるヒロの姿。
どれも嬉しかった。
「……でも。」
小さく苦笑する。
「私の容姿まで褒め始めるのは、やめてほしいのだけれど。」
先ほどのことを思い出し、頬が少しだけ熱くなる。
隣の受付嬢がくすっと笑った。
リリアもつられて小さく笑う。
「ふふっ。」
そして、ギルドの扉から出ていく二人の背中へ向けて。
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……行ってらっしゃい。」




