勘違い
ヒロはロケットを握ったまま、しばらく黙っていた。
何度か口を開きかけては閉じる。
やがて観念したように小さく息を吐いた。
「……その。」
珍しく歯切れが悪い。
ガレスとセレナは黙って続きを待つ。
「まず。」
「写真を撮ろうって、自分から言うのが恥ずかしい。」
ガレスは吹き出しそうになる。
ヒロはまだ続ける。
「それに。」
「このロケット、写真の大きさが特殊なんだ。」
「写真館で『何に使うんですか?』ってリリアさんな聞かれたら。」
そこまで言って、ヒロは口ごもる。
耳が少し赤くなっていた。
「……答えられないよ。」
ガレスは不思議そうに首を傾げる。
「なんでだ?」
ヒロはしばらく黙っていたが、諦めたようにロケットを開いた。
「自分の写真と。」
「リリアさんの写真が。」
「その……。」
「閉じると。」
「キスしてるみたいになるから。」
酒場が静まり返る。
ガレスは何度か瞬きを繰り返した。
「……なるほど。」
小さく頷く。
「そりゃ恥ずかしいな。」
ヒロは力なく頷いた。
「だから。」
「頼むよ、ガレス。」
「何とかして。」
ガレスは勢いよく立ち上がる。
胸を叩き、自信満々に笑った。
「任せとけ!」
その姿を見たセレナは、ゆっくりとジョッキを置く。
「……私も行くわ。」
ガレスは振り返る。
「なんで?」
セレナは呆れたようにため息を吐いた。
「あなたに全部任せたら。」
「変な写真になりそうだから。」
ガレスは納得いかない顔をする。
「ならねぇよ!」
「絶対なるわ。」
セレナは即答した。
ヒロは二人のやり取りを見ながら、小さく笑う。
翌朝。
酒場の仕込みを終えた頃。
ガレスとセレナは、店の片隅で向かい合って座っていた。
二人の前には、昨夜ヒロから預かったロケットが置かれている。
ガレスは腕を組み、難しい顔をしていた。
「まず。」
セレナが静かに口を開く。
「リリアさん本人には、何に使うのか知られてはいけない。」
ガレスは頷く。
「おう。」
「ヒロは自分から写真を撮ろうなんて言えねぇ。」
「うん。」
「それに、このロケットも見せられない。」
セレナはロケットへ視線を落とす。
王家の紋章。
事情を知れば、リリアなら間違いなく理由を聞くだろう。
それだけは避けなければならない。
しばらく二人とも黙り込んだ。
静かな時間だけが流れる。
やがてガレスが頭を抱える。
「……ああ!」
「もう!」
両手で髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
考えるのは苦手だった。
数秒後。
ガレスは勢いよく立ち上がる。
「考えても分かんねぇ!」
そう言うと、勢いのままセレナの手を掴んだ。
「とりあえず!」
「写真館行こうぜ!」
突然手を引かれたセレナは、思わず身体を強張らせる。
「えっ……。」
頬がみるみる赤く染まっていく。
ガレスはまるで気付いていない。
そのまま店の出口へ向かって歩き出す。
セレナは掴まれた手を見つめ、小さく息を呑んだ。
「……もう。」
困ったように笑いながら、その後を静かについて行った。
ガレスはセレナの手を引いたまま、王都の大通りを歩いていた。
「ちょ、ちょっと……。」
セレナは小さく声を漏らす。
手を離そうとは思わない。
けれど、人通りの多い街中をこうして歩くことには慣れていなかった。
頬が熱い。
俯き加減のまま、ガレスの半歩後ろを歩く。
ガレスはそんなことなど気にも留めず、真っ直ぐ前だけを見ていた。
いつものように。
いつもの歩幅で。
「あれ?」
向こうから歩いてきた魚屋の主人が二人を見るなり笑った。
「おーい! ガレス!」
ガレスも大きく手を振る。
「おう!」
魚屋の主人は二人の手元へ目をやり、にやりと笑う。
「デートか?」
ガレスは一瞬も迷わない。
「おう!」
その即答に、周りから笑い声が上がる。
「ははは!」
「ガレス!」
「いい女捕まえたな!」
ガレスは照れることもなく、大きく頷いた。
「おう!」
セレナは耳まで真っ赤になっていた。
「ち、違っ……。」
否定しようとしても、言葉にならない。
周りの人たちは温かく笑いながら、それぞれの仕事へ戻っていく。
誰も茶化しているわけではない。
ただ、本当に微笑ましく思っているだけだった。
ガレスは最後まで何も気付かない。
「着いたぞ。」
立ち止まった先には、一軒の写真館。
大きなガラス窓へ「営業中」の札が掛かっている。
ガレスは写真館を見上げる。
一度深呼吸をする。
肩を回し。
拳を握る。
その横顔は、まるでこれから凶悪な魔物の討伐へ向かう冒険者そのものだった。
セレナは思わず吹き出しそうになる。
ガレスは真剣な表情のまま、小さく頷いた。
「……うし!」
店の扉を開けると、小さな鈴が静かに鳴った。
店内には古い木の香りが漂っている。
壁一面には、様々な家族写真や夫婦の肖像画が飾られていた。
「いらっしゃい。」
店の奥から、一人の老人がゆっくりと姿を現す。
真っ白な髪。
深く刻まれた皺。
長い年月を写真と共に生きてきたことが、一目で分かる顔だった。
ガレスは迷うことなく前へ出る。
「じいさん!」
「頼みがある!」
老人は静かに頷く。
ガレスは両手で大きさを作る。
「これくらいの写真って作れるか?」
ロケットは見せない。
見せられない。
だから大きさだけを手で伝える。
老人はその仕草を黙って見つめていた。
やがて小さく目を細める。
「もちろんだとも。」
「さあ。」
「こちらへ。」
老人は何の迷いもなく撮影室へ案内する。
ガレスとセレナは顔を見合わせながら後を追った。
椅子が二つ並べられている。
老人は当たり前のように二人を座らせた。
「ほら。」
「笑って。」
ガレスはきょとんとする。
数秒後。
「……俺らじゃねぇ!」
勢いよく立ち上がる。
「おい!」
「じじい!」
「俺らじゃねぇ!」
老人は少しも慌てない。
「そうかい?」
穏やかに笑うだけだった。
その横で、セレナは堪えきれず小さく笑う。
「ふふっ。」
そっとガレスの手を握る。
「もう。」
「一枚くらい、いいじゃない。」
ガレスは耳を赤くしながら頭を掻いた。
「……まあ。」
「一枚だけなら。」
そう言うと、照れくさそうに椅子へ座り直す。
老人は静かにカメラを覗き込む。
「そのままで。」
「いい顔だ。」
小さくシャッターが切られた。
ガレスとセレナは店の片隅へ並んで座っていた。
主人が淹れてくれた温かいお茶から、ゆっくりと湯気が立ち上る。
ガレスは湯呑みを持ったまま、不満そうに口を尖らせた。
「ったく。」
「俺らじゃねぇって言ってんのに。」
「ありゃ完全にボケてんのか?」
セレナは思わず吹き出す。
「ふふっ。」
「いいじゃない。」
ガレスは納得がいかない顔のまま、お茶を一口飲んだ。
「良くねぇよ。」
そのやり取りをよそに、店の奥では主人が静かに写真を眺めていた。
出来上がった一枚。
いや。
同じ写真が二枚。
老人は目を細め、小さく微笑む。
やがて作業机の引き出しをゆっくりと開けた。
中には、二つの古びたペンダント。
何十年も大切にしまわれてきたことが、一目で分かる。
主人は二つのペンダントを静かに開いた。
中には若き日の自分。
そして、その隣には優しく微笑む一人の女性。
もう何年も見慣れた笑顔だった。
主人はしばらくその写真を見つめる。
やがて指先だけで丁寧に取り出し、小さな箱へそっと納めた。
「……すまんな。」
「婆さんや。」
静かな独り言だった。
主人は完成した二枚の写真を、それぞれのペンダントへ差し込む。
蓋を閉じる。
その時だった。
店の入口から、聞き慣れた大きな声が響く。
「じいさん!」
「まだかよ!」
主人は苦笑しながらペンダントを握り締める。
「……今、行くとも。」
主人は二つのペンダントを掌へ乗せると、ゆっくりと二人の前まで歩いてきた。
「ほれ。」
穏やかな声だった。
ガレスは不思議そうな顔で立ち上がる。
主人は何も言わず、その首へペンダントを掛けた。
続いてセレナの前へ立つ。
長い髪を傷つけないよう、そっと鎖を回し、静かに留め具を閉じた。
二人とも一瞬だけ言葉を失う。
ガレスは胸元へ下がったペンダントを見つめ、照れくさそうに頭を掻いた。
「だから俺らじゃねぇって……。」
最後まで言い切れず、小さく笑う。
セレナは両手でペンダントを包み込むように握り、頬を赤らめた。
そして深く頭を下げる。
「……ありがとうございます。」
主人は優しく微笑んだ。
「お代はいらないよ。」
ガレスは驚いて顔を上げる。
「え?」
主人は二人を見比べ、少しだけ意地悪そうに笑う。
「そうだ。」
「本当に撮ってほしい相手は、誰だね?」
ガレスは目を丸くする。
主人はさらに続けた。
「出張撮影もやっとるが?」
数秒。
店の中が静まり返る。
ガレスはようやく全部を理解した。
勢いよく立ち上がり、主人を指差す。
「おい!」
「じじい!」
「最初から分かってて、からかいやがったな!」
主人は肩を揺らしながら笑う。
「写真屋を何十年やっとると思っとる。」
「若いもんの顔くらい、見りゃ分かる。」
その言葉を聞いたセレナは、堪えきれず吹き出した。
「ふふっ……。」
「もう……。」
店の中には、穏やかな笑い声が静かに広がっていった。
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