挟撃
王城。
夜は静かだった。
執事室では、セバスが一人机へ向かっていた。
今日一日の報告書へ静かにペンを走らせる。
部屋には紙をめくる音だけが響いていた。
(……ギルドは動いてくれるでしょうか。)
先日の模擬戦。
ヒロ。
ガレス。
二人なら、あの違和感を見逃さない。
そう信じていた。
ペンを置き、小さく息を吐く。
(どれだけ警戒しても。)
(近衛兵は目立ちます。)
(だから動きを読まれる。)
(警備に穴は必ず生まれる。)
視線は自然と王女の部屋がある方角へ向く。
(私なら。)
(この時間に攻めますね。)
その瞬間だった。
空気が揺れた。
音ではない。
気配でもない。
ほんの一瞬。
空間そのものが、呼吸を乱したような違和感。
セバスの表情が変わる。
椅子を蹴るように立ち上がる。
(来た。)
迷いはなかった。
廊下へ飛び出すと同時に、壁へ備え付けられた警報用の魔道具へ魔力を流し込む。
次の瞬間。
甲高い警報が王城中へ鳴り響いた。
近衛兵たちが一斉に動き始める。
しかし、セバスはその場へ留まらない。
「待っていては間に合いませんね。」
小さく呟く。
窓へ向かって一歩踏み込む。
躊躇なく窓を突き破った。
夜風が一気に吹き込む。
砕け散るガラス片を背に、セバスの身体は闇夜へ飛び出していく。
近衛兵を集めている時間はない。
今この瞬間にも、王女は連れ去られている。
セバスは夜の王都を音もなく駆けていた。
屋根から屋根へ。
迷いはない。
頭の中には王都の地図が広がっている。
(私なら。)
(王女を国外へ連れ出すなら、この経路を選びます。)
最短。
最速。
追手を撒きやすい道。
その全てを繋いだ一本の線を、セバスは寸分違わず辿っていた。
やがて前方に、人影が見える。
黒い外套。
その腕には、一人の少女が抱えられていた。
王女アン。
セバスの表情は変わらない。
ただ、速度だけが上がる。
誘拐犯は王女を抱えたまま走っている。
それでも速い。
距離は縮まらない。
だが、離されもしない。
(……この私が追いつけないとは。)
セバスはさらに一歩踏み込む。
地面を蹴る音すら消える。
速度は限界を超えていた。
一方、その頃。
ヒロとガレスは地下道の分岐で足を止めていた。
王城の地下。
地上へ続く階段の手前。
二人とも武器は抜いていない。
静かな地下には、水の流れる音だけが響いていた。
ガレスは壁へ背中を預けながら、小さく笑う。
「踊らされたな。」
「セバスさんも騙されてる。」
ヒロは地下の地図へ視線を落としたまま、小さく首を横へ振る。
「いや。」
「それでいい。」
「敵は上手くいったと思ってる。」
「セバスさんを引きつけることができた。」
「そう判断するはずだ。」
ヒロは地図の一点を指でなぞる。
「王女を連れて国外へ出るなら、この地下道が最短。」
「地上は近衛兵が動く。」
「屋根も、今頃セバスさんが追ってる。」
「だったら地下へ降りる。」
「僕が相手でも、そうする。」
ガレスは腕を組み、黙って聞いていた。
ヒロは地図を閉じる。
「追いかけても間に合わない。」
「だったら追わない。」
「待つ。」
その一言だけだった。
ガレスは不敵に笑う。
「なるほど。」
「いつものお前だ。」
ヒロも少しだけ笑う。
「王国最強が後ろから追う。」
「僕らが前で待つ。」
「この挟み撃ちから逃げられる相手なんて、そうはいない。」
ガレスはゆっくりと大剣へ手を掛けた。
「難しいことは分かんねぇ。」
「でも。」
「今夜だけは、お前の読みが外れるなよ。」
ヒロは腰へ差した剣へ静かに手を添える。
「外れない。」
「外したら。」
「王女は助けられない。」
二人はそれ以上話さなかった。
地下道には再び静寂が戻る。
やがて。
遠くの闇の向こうから、小さな足音が近づき始めた。




