褒美?決闘?
王女アンはひとしきりガレスとの再会を喜ぶと、不意に何かを思い出したように手を合わせた。
「そういえば!」
「まだあの時のお礼をしてなかったね!」
その言葉に、ガレスが「待ってました」と言わんばかりに手を打つ。
「あっ、そうだ!」
「ヒロがやさぐれてたからな!」
「おい。」
ヒロは思わず顔をしかめる。
「あの時のお前、それはもう酷かったぞ!」
「『助けなければよかった』だの、『税金でお礼?』だの!」
「ガレス!」
「言わなくていい!」
ヒロは耳まで赤くなりながら慌てて止める。
アンはその様子を見て、くすりと笑った。
ガレスはそんなことなど気にもせず、胸を張る。
「じゃあ、お礼!」
「剣聖セバスチャンとの決闘を許可してくれ!」
一瞬、その場が静まり返る。
ヒロは額へ手を当てた。
「……馬鹿だろ、本当に。」
するとアンは少しだけセバスを見上げた。
「セバス。」
「用意なさい。」
「ただし、木剣による模擬戦で。」
「かしこまりました。」
セバスは一礼すると、何の迷いもなく頷いた。
ヒロは呆然と二人を見比べる。
「……やるのかよ。」
思わず小さく漏らす。
そして、ふと疑問が浮かんだ。
「そういえば。」
「なんで僕たちの名前、知ってるの?」
「十年前、僕たち名前なんて名乗ってないよね。」
その言葉を聞いた瞬間、アンは目を丸くした。
次の瞬間には、堪えきれず吹き出す。
「ふふっ……!」
「だって!」
笑いを堪えながらヒロとガレスを交互に指差す。
「あなたたち!」
「戦いながら何回も『ヒロ!』、『ガレス!』って呼び合ってたじゃない!」
「しかも息ぴったりなんだもん!」
「あれで名前が分からない方がおかしいよ!」
アンはとうとう声を上げて笑い出した。
その笑い声につられるように、周囲の人々も自然と笑みを浮かべる。
ヒロだけが恥ずかしそうに視線を逸らし、小さくため息をついた。
◇
◇
◇
広場のすぐ脇にある空き地。
普段は子どもたちが走り回るだけのその場所へ、今は王都中の人々が押し寄せていた。
即席で作られた円形の空間。
その中央では、ガレスとセバスが木剣を手に向かい合っている。
空き地の端に置かれた木製のベンチへ、ヒロとアンは並んで腰を下ろしていた。
周囲を見渡せば、人、人、人。
冒険者。
衛兵。
職人。
買い物帰りの住民まで足を止めている。
ギルド史上最年少で昇格記録を更新し続け、今やBランク冒険者となったガレス。
そして王国最強と謳われる現剣聖、セバスチャン。
二人の模擬戦を一目見ようと、王都はかつてない熱気に包まれていた。
その熱狂とは対照的に。
ヒロだけは頬杖をつき、どこか退屈そうにその光景を眺めていた。
アンはそんな横顔を見て、小さく首を傾げる。
「……剣は嫌い?」
ヒロは視線を外さないまま、小さく首を横へ振った。
「嫌いとかじゃないよ。」
「必要なら振る時もある。」
少し間を置いて、静かに続ける。
「ただ、この模擬戦は不毛だね。」
「勝つのは剣聖。」
アンは驚いたようにヒロを見る。
「まだ始まってないのに?」
ヒロは二人が持つ木剣を見る。
「セバスさんの腰にあるのはレイピア。」
「対してガレスは大剣使い。」
「でも今持っているのは、同じ長さの軽い木剣。」
「これじゃ条件が対等じゃない。」
再び視線を二人へ戻す。
「軽い木剣なら、剣聖の持ち味である速度と手数がそのまま活きる。」
「逆にガレスは、大剣だからこその重さ、間合い、威力を全部失ってる。」
「つまり。」
ヒロは肩を竦めた。
「ガレスの戦い方が、何一つできない。」
「勝負としては面白くないね。」
アンはおかしそうに笑った。
「まるで真剣勝負ならガレスが勝つ、みたいな言い方ね。」
ヒロは鼻で笑う。
「当たり前だろ。」
「あの馬鹿なら、体にレイピアが刺さっても、そのままセバスさんをぶっ飛ばすよ。」
アンは一瞬きょとんとした。
次の瞬間、堪えきれず声を上げて笑い出す。
「あははっ!」
「……なんか分かる気がする!」
笑いながら目尻の涙を拭う。
その姿を見て、ヒロも少しだけ口元を緩めた。
「じゃあ、僕は行くよ。」
アンは驚いて振り返る。
「え?」
「見ないの?」
ヒロは立ち上がり、軽く服の埃を払う。
「ガレスが負けるところなんて見たくない。」
「それに。」
「やることができた。」
その言葉を残し、人混みへ足を向ける。
ふと視線を感じた。
セバスだった。
模擬戦を前に木剣を構えたまま、静かにこちらを見ている。
ほんの僅かに。
誰にも分からないほど小さく頷いた。
ヒロも小さく息を吐く。
(……まったく。)
(買い被りすぎだよ。)
そう思いながらも、自然と口元が緩む。
(ただ。)
(魔力探知には、自信があるんでね。)
ヒロは何事もなかったかのように踵を返し、静かに人混みの中へ姿を消した。
ヒロは広場を離れると、人混みを縫うように歩き始めた。
足は止めない。
左手を軽く下げ、魔力探知だけを静かに広げていく。
最初は微かな反応があった。
広場を囲む建物の屋根。
そのさらに奥。
(いた。)
ヒロは視線を向けることなく歩き続ける。
追うのは目ではない。
魔力だけ。
反応が一つ、屋根から屋根へと移る。
(速い。)
それでも、まだ追える。
ヒロは人混みを離れ、一本裏の路地へ入った。
探知範囲をさらに広げる。
反応はまだある。
あと少し。
その距離が縮まろうとした瞬間だった。
「……っ。」
魔力が消えた。
ヒロは思わず足を止める。
もう一度。
探知を広げる。
王都中へ魔力を伸ばす。
屋根。
路地。
地下。
人混み。
何度探っても、反応は返ってこない。
「……そんな。」
さらに範囲を広げる。
それでも。
いない。
「くそっ……。」
珍しく感情がそのまま口をついた。
途中までは確かに追えていた。
なのに、一瞬で消えた。
いや。
消えたのではない。
探知の外へ逃げられた。
ヒロはゆっくりと息を吐く。
十年間。
魔力探知だけは誰にも負けないと思っていた。
その自信が、初めて揺らぐ。
しばらくその場へ立ち尽くした後、ヒロは静かに踵を返した。
広場へ戻る。
人混みを抜け、石階段の上まで戻ると、ちょうどガレスとセバスが木剣を構えようとしているところだった。
セバスは木剣を構えたまま、視線だけを静かに動かしていた。
正面にはガレス。
その向こうには王女アン。
さらに、その周囲を埋め尽くす人々。
誰一人として異変には気付いていない。
だが、セバスだけは違った。
(消えましたか。)
先ほどまで感じていた視線が、跡形もなく消えている。
屋根の上。
建物の窓。
路地裏。
人混み。
どこにもいない。
それが逆に不気味だった。
(逃げたのか。)
(それとも、目的を果たしたのか。)
セバスは表情を変えない。
その一方で、ガレスは木剣を肩へ担ぎ、鼻をひくつかせていた。
「……。」
何も言わない。
しかし、その表情から笑みは消えている。
セバスはその様子を横目で見て、小さく息を吐いた。
(やはり、君も気付きましたか。)
ガレスは木剣を握り直すと、困ったように頭を掻いた。
「なあ。」
「やっぱ、やめねぇ?」
その一言に、周囲がざわつく。
「え?」
「どういうことだ?」
「始まるんじゃなかったのか?」
ガレスは照れ笑いを浮かべる。
「なんか急に怖くなっちまった。」
「ははっ。」
あまりにも白々しい芝居だった。
セバスは思わず苦笑する。
(……大根役者ですね。)
それでも、その不器用な優しさは嫌いではなかった。
ガレスは周囲へ向けて笑っている。
本当は、ここで模擬戦をしている場合ではないと分かっているからだ。
セバスは静かに木剣を下ろした。
「本日の模擬戦は、ここまでといたします。」
その一言に、広場は一気にざわめいた。
「まだ始まってもねぇぞ!」
「ええっ?」
「何でだよ!」
不満の声が次々と上がる。
しかしセバスは何も説明しない。
王女へ一礼すると、近衛兵へ視線を送る。
それだけで隊長たちは何かを察し、それぞれ持ち場へ散っていった。
広場には、理由の分からないまま取り残された人々のざわめきだけが、いつまでも残っていた。
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