表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
主人公はいつになっても冒険者ランクを上げない  作者: Patriot
青年期

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/106

疑惑


ヒロは何事もなかったようにギルドの扉を開けた。


夕方のロビーは、依頼を終えた冒険者たちで賑わっている。


その喧騒の中で、ヒロは一つだけ見慣れない光景を目にした。


ギルドマスターが受付カウンターにもたれ、腕を組んで立っていた。


(……珍しい。)


普段なら滅多に部屋から出てこない人物だ。


ヒロの姿を認めると、ギルドマスターはほんの一瞬だけ肩の力を抜き、安堵したような表情を浮かべた――ように見えた。


しかし何も言わず、そのまま踵を返して部屋へ戻っていく。


(……なんだろう。)


(前にもこんなことがあったような。)


少しだけ首を傾げる。


もっとも、話をしたことすらない相手だ。


(気のせいか。)


そう結論づけると、ヒロはいつものようにリリアの窓口へ向かった。


「ただいま、リリアさん。」


「……おかえりなさい。」


リリアは穏やかに頷く。


ヒロは依頼書を差し出した。


「報告です。街灯は壊れていませんでした。」


リリアは依頼書へ目を通し、静かに受領印を押す。


「確認しました。」


「報酬はこちらです。」


「ありがとうございます。」


いつもと変わらないやり取りだった。


ヒロは革袋を受け取り、小さく頭を下げる。


「それじゃ、また明日。」


軽く手を上げ、その場を離れようとした、その時だった。


「――ヒロくん!」


悲鳴のような声が、静かなロビーへ響いた。


ヒロは思わず振り返る。


リリアは青ざめた表情のまま、震える指をヒロへ向けていた。


「その腕……!」


ヒロは視線を落とす。


右腕の袖が赤黒く染まっていた。


(……ああ。)


男を蹴り飛ばした瞬間、腕を何かが掠めた感触があった。


(あの時か。)


(切れ味が良すぎたんだ。)


(痛みもなかったし、もう塞がってる。)


傷口はすでに閉じ始めている。


流れた血だけが袖を赤く染めていた。


ヒロは困ったように笑う。


「……作業中にガラスで切っちゃって。」


リリアはその言葉を聞くなりカウンターから飛び出した。


「医務室へ行きます!」


「え、でも――」


「今すぐです!」


有無を言わせない口調だった。


ヒロは抵抗する間もなく腕を掴まれ、そのまま医務室へ連れて行かれてしまう。


受付ロビーでは、その様子を見ていた冒険者たちが顔を見合わせていた。


「あのリリアさんが受付を飛び出したぞ……。」


「今日は二回も珍しいもんを見たな。」


ざわめきが広がる中、リリアだけは周囲の視線などまるで気にしていなかった。


彼女の頭の中には、血に染まったヒロの袖しか映っていなかった。




医務室はギルドの喧騒が嘘のように静かだった。


リリアは消毒液の瓶を開けると、血で汚れたヒロの袖を慎重にまくり上げた。


「少し沁みます。」


「はい。」


傷口はすでに塞がり始めていたが、それでもリリアは一切手を抜かなかった。


消毒液を含ませた布で丁寧に血を拭き取り、傷の周囲を何度も確認する。その手つきは優しく、それでいて迷いがない。


ヒロは何も言わず、その横顔をぼんやりと眺めていた。


(……綺麗だな。)


眼鏡の奥の青い瞳。


長い黒髪。


仕事に集中している時の、少しだけ寄る眉。


どれも無駄がなく、美しかった。


(しかも。)


(さっき、「ヒロくん」って呼んだよね。)


普段は「ヒロさん」。


それが思わず「ヒロくん」になっていた。


本人は気づいているのだろうか。


そんなことを考えているうちに、リリアは包帯を丁寧に巻き終え、小さく息をついた。


「……これで大丈夫です。」


乱れ一つない包帯を軽く押さえ、リリアは真っ直ぐヒロを見つめた。


「無茶はしないでください。」


その言葉には、受付嬢としてではなく、一人の人間としての心配が滲んでいた。


ヒロは少し照れ臭そうに笑い、小さく頭を下げる。


「はい。ありがとうございます、リリアさん。」


リリアも静かに頷いた。


「……また明日。」


「はい。また明日。」


ヒロが医務室の扉を開けた、その瞬間だった。


「ヒロォォォ!!」


廊下中へ響き渡る大声。


話を聞きつけたガレスが、今にも泣きそうな顔で駆け寄ってくる。


「大丈夫か!?」


「腕切ったって聞いたぞ!」


「なんで黙ってたんだよ!」


「死ぬかと思ったじゃねぇか!」


息継ぎもせず一気にまくし立てるガレスに、ヒロは思わず苦笑した。


「いや、死んでないから。」


「そういう問題じゃねぇ!」


あまりにも必死な様子がおかしくて、ヒロは吹き出した。


隣を見ると、リリアも口元へ手を当て、小さく笑っている。


目が合う。


二人はどちらからともなく笑みをこぼした。


その笑い声を聞きながら、ガレスだけが不思議そうに首を傾げていた。


「……なんで笑うんだよ?」




ひと段落し

ギルドを出た二人は、いつものように酒場への帰り道を歩いていた。


「あ。」


ガレスが突然立ち止まる。


「ヒロ、すまん! 先帰っててくれ!」


「忘れもんした!」


そう言い残すと、返事も待たずに踵を返し、再びギルドの中へ駆け込んでいった。


ヒロはその背中を見送り、小さく首を傾げる。


「忘れ物……?」


しばらく考えたものの、思い当たる節はない。


「まあ、いいか。」


そう呟くと、そのまま酒場への道を歩き出した。


一方、ギルドへ戻ったガレスは真っ直ぐ受付へ向かっていた。


いつもの受付嬢がガレスに気づき、笑顔で顔を上げる。


「ガレスさん、どうしま――」


その言葉が終わる前に、ガレスは受付嬢の隣、リリアの窓口の前へ立っていた。


リリアは少しだけ驚く。


「……ヒロくんのお友達、確か、ガレスさん。」


「ヒロが今日受けたクエスト、見せてくれ。」


あまりにも突然の申し出だった。


リリアはガレスの真剣な表情を見つめる。


冗談ではない。


いつもの豪快な笑顔もない。


「……少々、お待ちください。」


リリアは書類棚から今日受理した依頼書を取り出し、静かにカウンターへ置いた。


「こちらです。」


ガレスは依頼書を受け取る。


文字は読めない。


それでも紙をじっと見つめ、鼻を近づけた。


ゆっくりと息を吸う。


そのまま数秒、動かない。


やがて、小さく眉をひそめた。


「……臭ぇな。」


誰にも聞こえないほど小さな独り言だった。


依頼書をリリアへ返すと、ガレスは短く頭を下げる。


「ありがとな。」


それだけ言い残し、足早にギルドを後にした。


残されたリリアは、依頼書を見つめる。


「……臭い?」


ガレスの言葉が頭から離れない。


あれほど真剣な表情を見たのは初めてだった。


胸の奥に、小さな違和感が広がっていく。


(……なんでしょう。)


(この胸騒ぎは。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ