冒険者?いや、職人だ!
その日の夜。
仕事を終えた親方と職人たちは、ヒロを飲みに誘っていた。
「今日は奢ってやる。」
そう言われたヒロは少し考えた後、小さく首を横へ振った。
「せっかくなら、うちへ来ませんか。」
「うち?」
「『木漏れ日の酒場』です。」
親方たちは顔を見合わせる。
「いいのか?」
「はい。」
その一言で話は決まった。
夕暮れを過ぎた酒場では、セレナが事情を聞くなり、いつもの隅のテーブルへ次々と机を繋げ始めていた。
普段はヒロとガレスだけが座る席。
そこへ大きな長机を足し、椅子を並べていく。
「これで全員座れます。」
女将はその様子を見て苦笑した。
「まったく……今日は随分と賑やかになりそうだねぇ。」
やがて親方たちが酒場へ到着する。
常連たちは「今日は工房の連中か」と笑いながら席を譲り、酒場はいつも以上の賑わいに包まれた。
ジョッキが配られ、一通り乾杯が済んだ頃。
親方が静かにジョッキを置いた。
「ヒロ。」
酒場の空気が少しだけ静かになる。
「今まで、お前が何を作ろうが口は出さなかった。」
「導管の部品だろうが、工具だろうが、街のためになる物だって分かってたからな。」
親方はヒロを真っ直ぐ見つめる。
「だが、今回は違う。」
「あれは武器だ。」
「あの剣を作った理由を聞かせてもらおうか。」
ヒロは少しだけ考え、ゆっくりとジョッキを置いた。
「地下です。」
親方が眉を動かす。
「地下や路地裏のような狭い場所で作業することが増えました。」
「左手では探知魔法を維持して、導管や損傷箇所を探します。」
ヒロは左手を軽く上げた。
「右手では工具を持つか、修繕魔法を使います。」
続いて右手を見せる。
「つまり、作業中は両手が塞がります。」
職人たちは静かに耳を傾けていた。
「その状態で魔力鼠や魔力蛇が現れることがあります。」
「魔法で迎撃することもできますが、地下導管の近くで攻撃魔法を使うのは危険です。」
「だから剣を使います。」
ヒロは静かに続ける。
「ですが、王都で一般的な長剣では地下では振れません。」
「狭い通路では壁や天井へ当たります。」
「必要なのは狭い場所でも抜けること。」
「そして、一撃で終わらせられること。」
「だから、抜刀術を前提にした形へしました。」
親方は何も言わない。
ヒロは続ける。
「地下の魔物は強くありません。」
「ネズミや蛇が魔力で肥大化した程度です。」
「親方なら拳で倒せます。」
何人かの職人が苦笑した。
「ですが数が多い。」
「囲まれれば作業は止まります。」
「僕は、それが嫌なんです。」
「修理が止まる。」
「工事が遅れる。」
「街が不便になる。」
「だから。」
ヒロは真っ直ぐ親方を見つめた。
「一番効率よく地下で仕事を続けられる道具として、この剣を作りました。」
酒場が静まり返る。
親方はしばらく何も言わなかった。
やがて、大きく息を吐く。
「……はぁ。」
頭を掻きながら笑った。
「心配して損した。」
周囲の職人たちも肩の力を抜く。
「武器なんか作り始めたから、冒険者らしく討伐でも始めるのかと思ったぜ。」
「やっぱり違ったな。」
親方は酒を一口飲み、豪快に笑った。
「お前は。」
「やっぱり冒険者じゃねぇ。」
ヒロが首を傾げる。
親方は笑いながら続けた。
「職人だ。」
その一言に、工房の職人たち全員が大きく頷いた。
「違いねぇ。」
「どう考えても職人だ。」
「武器までインフラ整備のために作る奴なんか、お前くらいだ。」
酒場中が笑いに包まれる。
ガレスは胸を張って大笑いした。
「当たり前だ!」
「ヒロは世界一の職人なんだからな!」
その言葉に、ヒロは照れ臭そうに目を逸らした。
その横で女将は苦笑し、セレナは静かに微笑んでいた。二人にとって「仕事」とは、生きるための手段ではない。誰かの日常を守るための、生き方そのものなのだと、改めて感じながら。
(みんな、剣のことばかりに気を取られてるけど……)
セレナはジョッキを運ぶ手を止めることなく、静かにヒロの横顔を見つめた。
(本当におかしいのは、そこじゃないのよ。)
ヒロは当たり前のように言っていた。
左手で探知魔法を維持しながら。
右手で修繕魔法を使う。
それを、まるで呼吸でもするように。
普通なら、それだけで十分に異常だった。
魔法とは、一つの術式を安定して維持するだけでも、高度な集中力を要する。
二つ以上の異なる魔法を同時に制御するなど、本来であれば長年鍛錬を積んだ王宮魔法師だけがようやく辿り着く領域。
多種類同時魔法制御――《パラレルキャスト》。
それを、あの少年は「インフラ整備を効率化するため」という理由だけで、いつの間にか身につけてしまっていた。
(しかも、本人はそれがどれだけ異常か分かってない。)
セレナは小さく肩をすくめた。
工房の職人たちは、折り返し鍛錬や見たことのない剣に夢中になっている。
それも無理はない。
彼らは鍛冶の専門家だ。
だからこそ、魔法の異常さには気づかない。
(あの様子だと……)
セレナの視線は、静かに酒を飲むヒロの指先へ向く。
(多重魔法制御――《マルチキャスト》も、もう使えるんじゃないかしら。)
複数の術式を同時に展開し、それぞれを独立して制御する究極の魔法技術。
王宮でも使い手は片手で数えられるほどしか存在しない。
それをもし、本当に習得しているのだとしたら――。
(この子、本当に何者なの……。)
セレナは誰にも聞こえないように、小さく息を吐いた。
酒場では今日も笑い声が響いている。
けれど、その輪の中心で照れ臭そうに笑う少年が、自分でも気づかないうちに、とてつもない領域へ足を踏み入れていることを理解している者は、この場にはまだ誰もいなかった。




