鍛冶工房
三年の歳月が流れた。
ヒロとガレスは十三歳になっていた。
王都での暮らしはすっかり日常となり、二人は若き冒険者として王都でも少しずつ名を知られる存在になっていた。
もっとも、ヒロの冒険者ランクだけは、三年前と変わらずFランクのままだった。
理由は単純である。
討伐クエストを、一度も受けていないからだ。
ヒロが受ける依頼は、魔力導管の補修、橋や道路の修繕、水路整備、魔力設備の保守、職人の補助――そんな王都の暮らしを支える仕事ばかりだった。
ギルドの規定では、それらだけでは冒険者ランクはほとんど、いや全く上がらない。
本人も、そのことを気にしたことは一度もなかった。
その日、ヒロは王都の一角にある鍛冶工房を訪れていた。
王都へ来たばかりの頃、魔力導管の補修依頼で出会った職人たちの工房である。
工具の調整や修繕。
工事に必要な部品の購入。
特殊部材の製作依頼。
三年という歳月の中で、その関係は単なる客と職人ではなくなっていた。
必要な部品を注文しに来れば、そのまま工房へ入り、図面を広げて職人たちと相談しながら設計を進める。
人手が足りない日は、そのまま槌を振るい、加工を手伝うことも珍しくない。
ヒロの技術は巷では高く評価され、工房の人手が足りなくなると、ギルドにはヒロを指名する依頼が届くほどになっていた。
依頼とは関係なく私用で工房を訪れることも、今では珍しいことではない。
そのたびに空いた炉を借り、工具を手に取り、一人で何かを作り始める。
そんな姿は、職人たちにとって見慣れた日常だった。
ヒロが工房の扉を開ける。
熱気と鉄の匂いが身体を包み込んだ。
「おう、ヒロ!」
「今日は依頼じゃねぇ顔だな。」
親方が槌を止め、笑いながら振り返る。
周囲の職人たちも軽く手を上げた。
「今日は何作るんだ?」
「また面白ぇもんか?」
「どうせまたガレスがなんか壊したんだろ!」
ヒロは小さく頭を下げる。
「今日は私用です。」
「少し、工房をお借りしてもいいですか?」
親方は豪快に笑った。
「今さら何言ってやがる。」
「好きに使え。」
「材料も工具も勝手に持ってけ。」
「ありがとうございます。」
ヒロは静かに工具箱を開き、炉へ火を入れた。
職人たちは最初こそ気にも留めず、それぞれの仕事へ戻っていく。
「またヒロが何か始めたな。」
そんな程度の認識だった。
工房には再び槌音が響き始める。
しかし、その音の中へ、一つだけ違う音が混じり始めた。
カン。
カン。
一定の間隔で響く、澄み切った金属音。
熱した鋼を伸ばし、折り返し、また熱し、また打つ。
その工程が、寸分の狂いもなく繰り返されていく。
一人の職人が手を止めた。
「……ん?」
隣の職人も顔を上げる。
「何やってる?」
気付けば工房中の槌音が一つ、また一つと止み、職人たちの視線は自然とヒロへ集まっていた。
ヒロは額へ汗を滲ませながら、炉だけを見つめて槌を振るう。
周囲など、まるで目に入っていない。
親方が腕を組み、小さく呟いた。
「……折り返し鍛錬か。」
その場にいた職人たちは、その技法自体は知っていた。
古い鍛冶師たちが受け継いできた鍛錬法。
鉄を折り返して鍛え続けることで内部の不純物を追い出し、鋼の組織を均一に整えていく技術だった。
だが、それを実際に目の前で行う者は、王都にはもうほとんど残っていない。
「……何を作る気だ?」
誰かが思わず呟く。
ヒロは三年間、この工房で導管の補修部品や特殊工具、魔力機構の試作品ばかり作ってきた。
武器を作りたいなど、一度たりとも口にしたことはない。
だから職人たちの頭の中に、「剣」という答えは存在しなかった。
それでも、折り返される鋼は少しずつ細長く姿を変え、その輪郭は工具とも部品とも違う形を見せ始める。
親方は一歩、また一歩と炉へ近づいた。
誰も声を発しない。
職人としての本能だけが、その場を支配していた。
やがて、ヒロは炉から二本目の鋼材を取り出した。
「……二種類の鉄?」
職人の一人が目を細める。
一方は高炭素鋼。
もう一方は粘りの強い低炭素鋼。
性質の異なる二種類の鋼だった。
ヒロは高炭素鋼を芯へ据え、その外側から低炭素鋼を包み込むように鍛え始める。
槌を振るうたび、二種類の鋼は境界を失い、一つの鋼へと姿を変えていく。
「包んでる……」
「いや。」
親方が静かに首を振った。
「芯を守ってる。」
誰もが息を呑む。
やがて赤熱した鋼は細く、長く、その輪郭を整えていく。
「……剣?」
誰かが思わず呟いた。
その瞬間、工房中の職人たちが顔を見合わせる。
「そういや……」
「こいつ、冒険者だったな。」
誰もが苦笑した。
三年間、工具や導管ばかり作る姿を見続けてきたせいで、目の前の少年が冒険者だったことを忘れていたのだ。
しかし、その苦笑いはすぐ驚愕へ変わる。
「待て……」
「その形……」
「真っ直ぐじゃない。」
完成へ近づく刀身は、王都で一般的な剣とはまるで違っていた。
細く。
片刃。
そして、美しく反り始めている。
「こんな剣……見たことがねぇ。」
親方は思わず炉の前まで歩み寄った。
ヒロは無言のまま、小さな器から粘土を指ですくい上げる。
「……土?」
職人たちがざわめく。
ヒロは峰へ厚く、刃へは薄く、迷いなく粘土を塗り広げていく。
その塗り方には、一切の迷いがなかった。
親方の瞳が大きく見開かれる。
「……そういうことか。」
「刃だけを硬く焼く。」
「峰には粘りを残す気だ。」
誰も思いつかなかった発想だった。
硬さだけを追えば折れる。
柔らかさだけを求めれば切れない。
その相反する性質を、一振りの剣へ共存させようとしている。
親方は呆然と刀身を見つめた。
「こいつは……曲刀とも違う。」
「まったく新しい剣だ……。」




