恩返し
翌朝。
王都の空が白み始めるよりも早く、ヒロは目を覚ました。
酒場の中はまだ静かだった。
誰も起きていない。
ヒロは工具箱を静かに開く。
モルドから託された工具たちを、一つひとつ手に取る。
店内を見回した。
椅子が少しだけ揺れている。
扉の蝶番が軋む。
包丁の刃は少し鈍っていた。
「……直そう。」
誰に言うでもなく呟く。
椅子の脚を削り、床との高さを合わせる。
蝶番へ油を差す。
包丁は砥石で丁寧に研ぎ上げた。
さらに魔力を細い糸のように流し込み、傷んだ木材の繊維を内側から補強していく。
ヒロにとって修理とは、壊れたものを戻す作業ではない。
本来あるべき姿へ整えることだった。
◇
「ふぁぁぁ……。」
しばらくしてガレスが降りてきた。
眠そうに欠伸をしながら店内を見回す。
「お。」
すぐに気付いた。
「もう仕事してんのか。」
ヒロは顔も上げない。
「起きたなら手伝って。」
ガレスはニヤッと笑う。
「任せろ。」
そう言うと裏庭へ回った。
積み上げられた薪の前で大剣を抜く。
「よし!」
一閃。
乾いた音が響く。
丸太が綺麗に真っ二つへ割れた。
「まだまだ!」
ズドン。
ズドン。
薪は次々と積み上がっていく。
それは仕事というより、朝の鍛錬だった。
◇
薪を割る音で、女将とセレナが目を覚ました。
「なんだい、朝から……。」
女将は店へ降りる。
そして立ち止まった。
「……あれ。」
椅子は揺れない。
扉も鳴らない。
包丁は新品のような切れ味になっている。
昨日まで使いづらかった道具が、どれも自然に手へ馴染んだ。
「全部……直したのかい。」
ヒロは振り返る。
「勝手に触ってしまいました。」
「すみません。」
女将は少し呆れたように笑う。
「謝るところかい。」
その隣でセレナは目を閉じていた。
店中へ残る魔力を感じ取る。
(……すごい。)
傷んだ木材一本一本へ、丁寧に魔力が通されている。
乱暴さがまるでない。
優しく。
正確で。
どこまでも繊細だった。
裏庭では。
「よっ!」
「せいっ!」
ガレスが楽しそうに薪を割っている。
積み上がった薪は昨日の倍近い。
セレナは思わず笑った。
「二人とも、本当に働き者ですね。」
◇
朝食が並ぶ。
「いただきます。」
二人はあっという間に平らげた。
食べ終わると、すぐに立ち上がる。
「ガレス。」
「皿洗い。」
「おう!」
二人は当然のように流しへ向かった。
ヒロは水の流れを魔法で操り、効率よく汚れを落としていく。
「そこ。」
「まだ油が残ってる。」
「えっ?」
ガレスは皿を光へかざす。
「あ、本当だ。」
真剣な顔で洗い直す。
その姿を見た女将が吹き出した。
「大剣より皿の方が苦戦してるじゃないか。」
「皿は反撃してこねぇのになぁ。」
ガレスも笑う。
店内へ笑い声が響いた。
◇
片付けを終えると、二人は勢いよく店の扉を開いた。
「行ってきます!」
女将が慌てて顔を上げる。
「ちょっと待ちな!」
「冒険者ギルドの場所くらい分かってるのかい!」
返事はない。
もう二人は走り出していた。
すると。
「私が案内します。」
セレナがすぐに後を追う。
扉の前で振り返り、小さく手を振った。
「行ってきます。」
女将は腕を組み、大きくため息をつく。
「まったく。」
その口元には笑みが浮かんでいた。
「昨日来たばかりだってのに。」
「もう店の子みたいじゃないか。」
朝日に照らされながら。
二人の少年は、新しい人生への一歩を踏み出していた。
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