天敵
それから三か月。
討伐部隊は、一つ、また一つと邪神教団の拠点を制圧していった。
そして、その数日後。
まるで入れ替わるように、別の拠点が壊滅する。
犯人は、例の――謎の男。
まるで示し合わせたかのように。
討伐部隊と謎の男は、交互に邪神教団を追い詰めていった。
⸻
新聞には、謎の男の記事が載らない日はなくなっていた。
『またも邪神教団の拠点壊滅』
『謎の男、その正体は職人か』
記事を読み進めると、その内容は以前とは少しずつ変わり始めていた。
「現場では村の水道が修理されていた。」
「破壊された橋も応急修復され、住民は帰村可能となった。」
「街道や魔力導管まで直されていた。」
「生存者の証言では、腰まで伸びた黒髪の職人だったという。」
⸻
ガレスは新聞を静かに閉じる。
そして、自分の傍らに置かれた赤い工具箱をそっと撫でた。
「……早く届けてやんねぇとな。」
その呟きに、セシリアが微笑む。
「ようやく……私たちへの批判も減ってきましたね。」
オズワルドも新聞から目を離さず、小さく頷く。
「うむ。」
「最近は、討伐部隊の成果も正しく評価され始めておる。」
グラムは腕を組み、苦笑した。
「まあ、各国の精鋭が集まっているんだ。」
「本来なら、もっとこちらが早く片付けるべきなんだがな。」
すると、エレナが首を傾げる。
「でも……なんだか変じゃない?」
「私たちが一つ潰すと、次はあの人。」
「また私たちが潰すと、その次はあの人。」
「まるで、最初から順番を決めてるみたい。」
ガレスは呆れたように鼻で笑った。
「決まってんだろ。」
「わざとやってんだよ。」
一同がガレスを見る。
ガレスは少しだけ口元を緩め、どこか懐かしそうに声色を変えた。
「『君たちの批判が大きくなるのは、効率が悪いからね。』」
ヒロの口調を、そのまま真似る。
一瞬の静寂。
次の瞬間、店内に笑いが広がった。
「ははは!」
「言いそうじゃ!」
オズワルドまで肩を震わせる。
エレナも苦笑しながら首を振った。
「……本当に言いそう。」
三か月ぶりだった。
勇者一行を覆っていた重く暗い空気が、ようやく少しだけ晴れていた。
◇
喫茶店の扉に付いたベルが、小さく鳴る。
「やっぱり、ここにいたか。」
聞き慣れた声だった。
一同が振り向く。
そこに立っていたのは、ヴァルクだった。
「ヴァルクさん。」
エレナが立ち上がろうとするが、ヴァルクは手で制した。
「構わん。」
そう言ってテーブルへ歩み寄る。
「ここ、いいか?」
「もちろんです。」
セシリアが微笑む。
それを見ていた店員は慌てて奥へ駆け込み、新しい椅子を一脚抱えて戻ってきた。
「ただいまお持ちします!」
椅子をテーブルへ並べる。
「ありがとうございます。」
ヴァルクは軽く礼を言い、腰を下ろした。
ヴァルクは椅子に深く腰掛けた。
そして――
憑き物が落ちたような、清々しい笑みを浮かべる。
「決めたよ。」
全員がヴァルクを見る。
ヴァルクは静かに告げた。
「謎の男は、捕まえない。」
「……。」
一瞬、店内の空気が止まる。
「……え?」
エレナが思わず声を漏らした。
グラムも目を見開く。
セシリアは言葉を失い、オズワルドだけが静かにヴァルクを見つめていた。
やがて、オズワルドが口を開く。
「……それは。」
「この討伐部隊の責任者としての発言と受け取ってよいのかの。」
ヴァルクは迷いなく頷く。
「ええ。」
「その判断による処分なら、全部私が受けます。」
その声に、一切の迷いはなかった。
ガレスが腕を組む。
「なんでだ?」
「急に。」
ヴァルクは少しだけ視線を落とし、小さく笑う。
「ヒロ。」
「……だったか。」
その名を聞いた瞬間。
勇者一行の表情が変わる。
ヴァルクは窓の外を眺めながら、静かに続けた。
「会ったよ。」
ガレスは勢いよく立ち上がった。
「どこに――」
だが。
ヴァルクは静かに片手を上げる。
「座れ。」
低く、それでいて穏やかな声だった。
セシリアも立ち上がり、ガレスの肩へそっと手を添える。
「ガレスさん……。」
ガレスは唇を噛み締めながらも、ゆっくりと椅子へ腰を下ろした。
ヴァルクはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「俺の恋人は――」
「不治の奇跡を受けた。」
その一言に。
店内の空気が凍りつく。
エレナが息を呑む。
グラムは拳を握り締めた。
セシリアは口元へ手を当てる。
ヴァルクは静かに続ける。
「俺は、私財をすべて使って延命していた。」
「隠してはいない。」
「有名な話だ。」
自嘲するように笑う。
「不治の奇跡を受けて、生き残った者はいない。」
「医師も、神官も、皆そう言った。」
誰も口を挟めない。
「大量の輸血を続けることで……。」
「辛うじて、生きながらえているだけだった。」
ヴァルクは静かに目を閉じた。
「あれは、生きているとは呼べなかった。」
ヴァルクは遠くを見つめるように語り始めた。
「そんなある日のことだ。」
「見舞いに行くと……。」
「病室のベッドの脇に、一人の黒髪の男が立っていた。」
店内が静まり返る。
「腰まで伸びた黒髪。」
「その男は何も言わず、恋人の傷へ手をかざした。」
「そして――。」
ヴァルクはゆっくり息を吐く。
「見たこともない魔法を使った。」
「神官の治癒魔法のようにも見えた。」
「だが、まったく別のものだった。」
「傷口を閉じるのではない。」
「あの男は……傷そのものを”修復”していた。」
セシリアが思わず息を呑む。
ヴァルクは続ける。
「光が消えたあと、その男は何事もなかったように部屋を出ていこうとした。」
「俺は呆然と立ち尽くいていた。」
ゆっくりと天を仰ぐ。
「……治ってたよ。」
その一言が震える。
「もう……。」
「もう、治らないと思ってた……。」
ヴァルクの肩が震え始める。
堪えきれなかった涙が頬を伝った。
「俺は……。」
「何もできなかったのに……。」
店内には、静かな嗚咽だけが響いていた。
誰も言葉を掛けられなかった。
ヴァルクの涙は、長い年月押し殺してきたものだった。
エレナは静かに立ち上がる。
何も言わず、その肩へそっと手を置いた。
ヴァルクは顔を上げない。
それでも、その手の温もりだけは伝わっていた。
グラムも立ち上がる。
無骨な手で、ヴァルクが固く握り締めていた拳を力強く包み込んだ。
「……。」
言葉はいらなかった。
オズワルドは静かに帽子を深く被る。
その表情を誰にも見られないように。
ただ、小さく鼻をすすった。
その時。
店員がそっと湯気の立つ湯呑みをセシリアへ差し出した。
「どうぞ。」
セシリアは小さく頭を下げる。
「ありがとうございます。」
両手で受け取り、ヴァルクの前へ静かに置いた。
「温かいうちに、お飲みください。」
ヴァルクは震える手で湯呑みを持つ。
湯気が頬を撫でる。
「……ありがとう。」
その一言だけを、ようやく口にすることができた。
ヴァルクは湯呑みを静かに置いた。
何度か深呼吸を繰り返し、ようやく気持ちを落ち着かせる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「邪神教徒の奇跡は……神官の治癒にとって天敵だ。」
セシリアは静かに頷く。
「ええ。」
ヴァルクは続ける。
「理由は単純だ。」
「奴らの力は、破壊だからだ。」
「だから治癒では追いつかない。」
店内は静まり返る。
ヴァルクは一人ひとりの顔を見回した。
「だが、あの男の魔法は違った。」
「治癒じゃない。」
「修繕だ。」
その一言に、オズワルドの目が見開かれる。
「……なるほど。」
ヴァルクは力強く頷いた。
「破壊されたものを癒やすんじゃない。」
「壊れたものを、元に戻している。」
「だから、不治の奇跡すら修復できる。」
誰も言葉を発しない。
ヴァルクは静かに締めくくった。
「つまり――」
「あの男は。」
「邪神教徒にとっての唯一の天敵なんだよ。」
◇
◇
◇
数日後。
一通の通達が、各国へ送られた。
『謎の男の捜索を打ち切る。』
討伐部隊総指揮官――ヴァルクの名で発せられた、公式声明だった。
しかも彼は、その決定を各国へ正式に報告するよりも先に、各新聞社へ声明として公表した。
翌朝。
各紙の一面には同じ見出しが躍る。
『討伐部隊、謎の男の捜索打ち切りを正式発表』
世界中へ、その事実が知れ渡った。
こうなってしまえば、もう後戻りはできない。
本来であれば。
ヴァルクは独断専行の責任を問われ、即座に総指揮官を解任。
後任が任命され、改めて謎の男の捜索命令が下されるはずだった。
だが――。
その話は、不思議なほど進まなかった。
王国では、国王アルバスが。
帝国では、皇帝自らが。
水面下で各国へ根回しを行っていたのである。
「今は邪神教団討伐を最優先とすべき。」
「不要な混乱を招くべきではない。」
その一言で、多くの国が沈黙した。
表向きは、誰も賛成とは言わない。
だが、反対する者もいない。
こうして。
ヴァルクの独断は、誰にも覆されることなく――
曖昧なまま、受け入れられた。
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