怒り
医務室。
扉を開けた瞬間。
ヒロの足が止まった。
部屋の中央。
ベッドの上には、白い布をかけられた一つの塊。
胸の奥がざわつく。
嫌な予感だけが膨らんでいく。
壁際では、ギルドマスターが腕を組み、天井を見上げたまま立っていた。
何も言わない。
リリアは肩を震わせながら俯いている。
ヒロに気づくと、ゆっくりと近づいてきた。
震える手を差し出す。
「……これ。」
渡されたのは、一冊のノート。
何度も握り締められたのか、表紙はくしゃくしゃになっていた。
ヒロは黙って受け取る。
その瞬間。
後ろから、ガレスの手が肩に置かれた。
いつもよりずっと重い手だった。
リリアは顔を上げる。
ヒロの顔を見た、その瞬間。
さっと血の気が引いた。
ヒロは何も言わない。
ノートを強く握り締めたまま、ベッドへ向かって歩き出す。
ガレスの手に力が入る。
「……お前は、見んな。」
低い声だった。
ヒロは答えない。
肩に置かれた手を、静かに振り払う。
一歩。
また一歩。
ベッドの前に立つ。
白い布へ手を伸ばす。
ゆっくりと持ち上げる。
塊だと思っていたそれを、静かに見下ろした。
部屋の空気が凍りつく。
長い沈黙の後。
ギルドマスターが苦しそうに口を開いた。
「……他の、その……部分は。」
言葉を詰まらせる。
「今、探してる。」
ヒロは何も言わなかった。
ただ、そっと手を伸ばす。
見開かれたままだった瞳へ、優しく指先を添えた。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
その目を閉じてあげる。
しばらくそのまま動かない。
やがて、静かに白い布を持ち上げる。
乱さないように。
眠っている人へ布団を掛けるように。
そっと被せ直した。
手を離す。
誰も、何も言えなかった。
部屋には、重苦しい沈黙だけが流れていた。
数日後。
エリックの葬儀は、静かに執り行われた。
誰も騒がない。
誰も泣き叫ばない。
祈りだけが淡々と響き、式は粛々と進んでいく。
やがて棺は炉へと送られた。
重い扉が閉まる。
それだけだった。
あまりにも簡単に。
あまりにも呆気なく。
火葬は終わった。
王都の空へ、白い煙が静かに昇っていく。
ヒロはその煙を見つめながら、一冊のノートを開いた。
くしゃくしゃになった新人研修ノート。
エリックがメモを取る時間すら惜しい。
そう思ったヒロが、新人研修の一週間前から少しずつ書き込んでいたものだった。
最初のページ。
『まずは受付から。』
『リリアさんの列に並ぶこと。』
その横には、後から書き足された幼い字。
『リリアさんは王都一の美人。』
一枚。
また一枚。
ページをめくる。
文字は日を追うごとに増えていた。
ヒロの字。
その横へ書き足されるエリックの小さなメモ。
何度も読み返した跡。
擦り切れた角。
その一冊だけが、エリックがそこにいた時間を静かに語っていた。
少し離れた場所では。
ガレス。
セレナ。
リリア。
三人が何も言わず、その背中を見守っていた。
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