聖剣
翌朝。
まだ日も昇りきらない早朝。
勇者一行は冒険者ギルドの扉を開いた。
ギィ、と静かな音が響く。
昨日とは違い、ギルドの中にはまだ人影がほとんどない。
静まり返った空間。
四人は店内を見渡す。
そして、すぐに目当ての人物を見つけた。
受付の横。
待合用の長椅子。
ヒロが腰掛け、頭を後ろへ預けて目を閉じている。
その後ろには、一人の美しい受付嬢。
黒曜石のように長く艶やかな黒髪。
ラピスラズリのような青い瞳。
透き通るような白い肌。
彼女は慣れた手つきで、ヒロの腰まで届く長い髪を丁寧に梳かしていた。
四人は思わず足を止める。
そのまま静かに歩み寄る。
ヒロは気配に気付き、少し照れくさそうに片手を挙げた。
「すいません。」
「日課なもんで。」
四人は顔を見合わせる。
そして誰からともなく、にやにやと笑い始めた。
エレナは口元を押さえる。
「ふふっ。」
セシリアも微笑む。
「素敵な日課ですね。」
その時だった。
「ヒロ!」
どこからともなく、一人のエルフが現れた。
銀色の長い髪。
長い耳。
頬をぷくっと膨らませながら、ヒロを指差す。
「その髪、切りなさい!」
「……あいつに似ててムカつく!」
ヒロは苦笑する。
「あはは……。」
すると髪を梳かしていた受付嬢が、少し寂しそうに微笑んだ。
「それは……。」
「少し寂しいです。」
ヒロの髪へそっと櫛を通す。
「ヒロくんの髪を梳かすの。」
「なくなっちゃうと思うと。」
エルフは一瞬固まる。
「……。」
そして、ため息をついた。
「リリアちゃんがそう言うなら……。」
肩をすくめる。
「仕方ないか。」
ヒロはそのやり取りを見て、呆れたように笑った。
エレナは、そのエルフの姿を見つめたまま動きを止めた。
次第に目が大きく見開かれていく。
「……まさか。」
信じられないものを見るように呟く。
「そんな……。」
震える声で、その名を口にした。
「……戦姫アンネローゼ様?」
エルフはくすりと笑った。
「あら。」
「この時代の勇者は、可愛らしいのね。」
口元へ手を添え、上品に微笑む。
「ふふっ。」
その瞬間。
エレナ。
セシリア。
グラム。
オズワルド。
四人は一斉に膝をついた。
「失礼いたしました!!」
深々と頭を下げる。
アンネローゼは困ったように笑う。
「いいのよ。」
「そんなことしなくて。」
そう言いながら、ヒロの髪を梳かし終えたリリアの後ろへ回る。
「今度はリリアちゃん。」
櫛を取り、優しく黒髪へ通した。
さらり、と美しい音が響く。
アンネローゼは嬉しそうに目を細める。
「リリアちゃんは、本当に綺麗な髪!」
「艶もあるし、手入れも行き届いてる。」
満足そうに何度も頷く。
そして、ちらりとヒロを見る。
「誰かさんとは、大違いね。」
ヒロは頬を掻きながら苦笑した。
「すいません……。」
リリアは思わず吹き出す。
「ふふっ。」
アンネローゼはさらに櫛を動かしながら満足そうに笑った。
「女の子の髪は、こうじゃないとね。」
リリアは慌てて立ち上がろうとする。
「ゆ、勇者様が……!」
「勇者様とお話を……!」
アンネローゼは気にする様子もなく、櫛を動かし続けた。
「髪は女の子の命よ。」
「もうちょっと待って。」
そう言って丁寧に髪をまとめる。
最後に、小さな髪飾りをそっと留めた。
歯車とネジで作られた、不格好な髪飾り。
けれど、その一つ一つは息を呑むほど精巧に作られていた。
セシリアは思わず息を漏らす。
「……綺麗。」
オズワルドも目を細める。
「なんと精巧な。」
髪飾りをじっと見つめる。
「そして……なんと美しい魔力が流れておる。」
「まるで髪飾りそのものが生きておるようじゃ。」
リリアは嬉しそうに髪飾りへ触れた。
「ありがとうございます。」
優しく撫でる。
まるで宝物を扱うように。
アンネローゼは満足そうに微笑む。
そしてヒロを振り返った。
「だってさ。」
ヒロは照れくさそうに頬を掻く。
「からかわないでくださいよ。」
アンネローゼはくすりと笑った。
「褒められてるんだから、もう少し素直になりなさい。」
リリアは名残惜しそうに席を立った。
「私は受付業務の準備がありますので……。」
「ごゆっくり。」
軽く頭を下げると、受付へ戻っていく。
ヒロたちは食堂のテーブルへ。
全員が席に着く。
アンネローゼは頬杖をつきながら、四人を見回した。
「それで?」
にやりと笑う。
「何の用なの?」
少し首を傾げる。
「聖剣、無くしちゃった?」
「ふふっ。」
悪戯っぽく笑う。
しかし。
四人は誰一人笑わなかった。
俯いたまま、言葉も出ない。
アンネローゼの笑みがゆっくりと消えていく。
空気だけで察した。
ヒロはその様子を静かに見守っている。
エレナは震える手で懐へ手を入れた。
大切そうに抱えていた包みをテーブルへ置く。
ゆっくりと布を開いた。
中から現れたのは――
粉々に砕けた一本の剣。
柄。
鍔。
そして無数の刀身の欠片。
アンネローゼは何も言わず、それを見つめた。
そっと一つの欠片へ触れる。
指先が微かに震える。
寂しそうに。
悲しそうに。
部屋には誰一人として声を発しない。
長い沈黙が流れる。
やがてアンネローゼは静かに口を開いた。
「……これは。」
欠片から手を離す。
「治せないわ。」
静まり返る食堂。
誰も言葉を発せない。
その中で、ヒロだけが静かに口を開いた。
「これを元に、打ち直すことはできますよね?」
アンネローゼを見る。
「アンネローゼさん?」
アンネローゼは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……そうね。」
しばらく砕けた聖剣を見つめる。
そして静かに頷いた。
「できるわ。」
ヒロは確認するように続ける。
「これを溶かしてもいいですか?」
その問いに、エレナたちは息を呑む。
聖剣を溶かす。
普通なら考えもしない選択だった。
アンネローゼは欠片へ優しく触れる。
「……。」
しばらく黙っていた。
やがて小さく笑う。
「好きにしなさい。」
その声には、迷いはなかった。
そしてヒロを見て、柔らかく微笑む。
「手伝ってあげるから。」
一同は工房の前に立っていた。
ヒロが扉を開ける。
カラン、と鈴が鳴る。
工房の中では、親方が図面へ目を落としていた。
気配に気づくと、ゆっくり顔を上げる。
言葉はない。
目だけでヒロへ挨拶を送る。
ヒロも小さく頷き返した。
一方、作業中だった職人たちはすぐに手を止める。
「おう、ヒロ!」
「どうした?」
「おっ、アンネローゼ様も一緒か!」
「椅子用意しないとな。」
「おい、お前、茶だせ茶!」
工房の中が一気に慌ただしくなる。
「待ってください。」
ヒロの一言で、全員の動きが止まった。
工具箱から一つの包みを取り出し、作業台の上へ置く。
布を静かに開いた。
砕け散った剣。
大小様々な刀身の欠片。
柄。
鍔。
作業台の上へ並べられる。
「これを。」
ヒロは親方を見た。
「溶かして、剣を打ち直してほしいんです。」
職人たちが自然と集まってくる。
誰も軽々しく手を出さない。
まずは目で見る。
そして、ゆっくりと一つの欠片を持ち上げた。
「……なんだ、この地鉄。」
「見たことねぇ鍛え方だ。」
「いつの時代の剣だ?」
別の職人が刀身の断面を覗き込む。
「積層の数がおかしい。」
「とんでもねぇ腕だぞ、これを打った奴。」
さらに一人が目を細める。
「……魔力が流れてる。」
欠片になった今なお、微かな輝きが失われていなかった。
工房の空気が変わる。
全員が無言になる。
親方は一つの欠片を手に取り、ゆっくりと光へかざした。
その瞳が細くなる。
「……。」
しばらく見つめた後、小さく呟く。
「なんだ。」
欠片をそっと作業台へ戻す。
「この剣は。」
静まり返った工房。
その空気を破るように、一歩前へ出たのはエレナだった。
胸へ手を当て、深く頭を下げる。
「まずは、名乗らせてください。」
ゆっくりと顔を上げる。
「私は勇者、エレナと申します。」
工房中の職人たちが目を丸くした。
勇者。
その言葉だけで十分だった。
しかし、誰も騒がない。
全員がエレナの次の言葉を待っていた。
エレナは作業台の上へ目を向ける。
「これは、代々勇者へ受け継がれてきた聖剣です。」
静かな声だった。
「ですが……。」
一度言葉を切る。
「邪神教徒との戦いで、砕けました。」
工房の空気がさらに重くなる。
「未熟だった私の責任です。」
エレナは深く頭を下げた。
「どうか、お力を貸してください。」
「この聖剣を、もう一度甦らせたいのです。」
頭を下げたまま、動かない。
工房には、誰一人として口を開く者はいなかった。
工房には、誰一人として口を開く者はいなかった。
やがて、一人の職人が砕けた刀身を手に取る。
「こっち貸せ。」
「鍔も見せろ。」
「柄は折れてねぇな。」
次々と職人たちが集まり、本格的に聖剣の破片を調べ始める。
断面を見て。
魔力の流れを確かめ。
指で材質を確かめる。
勇者であるエレナには、誰一人として目もくれなかった。
エレナは戸惑う。
「え……。」
親方が一つの欠片を光へかざしたまま口を開く。
「悪もんじゃねぇってことが分かれば十分だ。」
ぶっきらぼうに言い放つ。
「打ち直してやる。」
その一言だけだった。
エレナが思わず顔を上げる。
「本当ですか……!」
親方は視線を欠片から外さない。
「ただな。」
ようやく顔を上げる。
「邪魔だから帰れ。」
工房中の職人たちが一斉に頷いた。
「そうそう。」
「集中できねぇ。」
「出来上がったら呼んでやる。」
「工房は見世物小屋じゃねぇ。」
再び全員の視線は、砕けた聖剣へ戻っていった。
オズワルドは長い髭を撫でながら、愉快そうに笑った。
「ふぉっふぉっふぉ。」
「いい職人たちじゃのう。」
その言葉に、グラムは肩をすくめる。
「俺たち……勇者一行だよな?」
工房を見回す。
誰一人としてこちらを見ていない。
全員が聖剣へ夢中だった。
「まるで置物みてぇな扱いだ。」
セシリアはくすりと笑う。
「さぁさぁ、行きましょう。」
「邪魔になってはいけません。」
エレナも小さく頷く。
「……そうですね。」
四人は静かに工房を後にしようとした。
その時だった。
工房の奥から、怒鳴り声が飛ぶ。
「小僧!!」
ヒロが振り返る。
「おめぇは手伝え!!」
工房中の職人たちが吹き出した。
ヒロは困ったように笑う。
「はいはい。」
勇者一行へ軽く手を振る。
「じゃあ、行ってらっしゃい。」
四人は苦笑しながら手を振り返した。
そのまま工房を後にする。
そしてヒロは振り返ることなく、職人たちの輪の中へ入っていった。
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