働き方の変化
ガレスを送り出し。
エリックの相談にも一通り答える。
それが終わると、ヒロはようやく受付へ向かった。
少し前までは、まずクエストボードの前へ立ち、インフラ整備関係の依頼をまとめて選び、リリアの受付へ持って行くのが日課だった。
地下魔力導管の点検。
水路の補修。
街灯の調整。
橋の補強。
王都を支える、誰も見向きもしない仕事。
しかし今では、その依頼はほとんど姿を消していた。
スラム街の改善が進み、そこで暮らしていた人々が技術を身につけ、職人として働き始めたからだ。
彼らが日常的な補修や整備を担うようになり、ギルドへ回ってくる依頼は目に見えて減っていた。
ヒロは静かにクエストボードを眺める。
そして、小さく微笑んだ。
これでいい。
一人でできることには限界がある。
だからこそ、人を育てた。
その積み重ねが、ようやく形になり始めていた。
ヒロは受付へ歩み寄る。
「おはよう、リリアさん。」
リリアは書類から顔を上げ、柔らかく笑った。
「おはよ、ヒロくん。」
一枚の依頼書を取り出す。
「今日もご指名依頼、来てるよ。」
ヒロは苦笑する。
「また?」
「また。」
リリアも少し呆れたように笑う。
一般向けのインフラ整備依頼が減った代わりに、ヒロを名指しした依頼が増えていた。
元スラムの人々は確かに立派な技術者へと成長した。
日常的な整備や修繕なら、もう十分に任せられる。
だが――。
地下深くを走る魔力導管の精密な調整。
古い魔道設備の修復。
原因不明の魔力異常。
街全体へ影響を及ぼしかねない大規模設備の改修。
そうした高度な仕事だけは、まだ誰にも任せられなかった。
十五年。
地道に積み重ねてきた経験と知識。
それを持つ者は、王都でもヒロしかいなかった。
リリアは依頼書を差し出しながら、少し誇らしそうに笑う。
「ヒロくんにしか頼めないんだって。」
ヒロは照れくさそうに頭を掻く。
「そういう仕事も、早く誰かに任せられるようにならないとな。」
その言葉に、リリアは優しく微笑んだ。
「そう言ってる人が、一番仕事を抱え込んでるんだけどね。」
リリアは依頼書を手渡し、ヒロがギルドを出るまで静かに見守っていた。
ヒロは扉の前まで歩くと、必ず一度だけ振り返る。
そして、小さく手を振る。
「行ってきます。」
リリアも自然と笑みを浮かべ、そっと手を振り返した。
「いってらっしゃい。」
それだけ。
たったそれだけのやり取りだった。
その様子を見ていた受付嬢たちは、堪えきれず口元を押さえる。
「ふふっ……。」
「今日もやってる。」
「もう夫婦じゃん。」
「本人たちだけ気付いてないんだよね。」
皆、にやにやと温かい目で見守っていた。
一方、その後ろで順番を待つ冒険者たちも苦笑する。
「あいつら、早く結婚しろよ……。」
「毎朝あれ見せられてるんだぞ。」
「割って入るの空気読めなさすぎるだろ。」
「『次お願いします』って言いづらいんだよなぁ……。」
列の先頭にいた若い冒険者は頭を掻きながら苦笑する。
「もうちょっとだけ待つか。」
誰一人として急かそうとはしなかった。
たった数秒。
それでもギルド中の誰もが、その時間だけは二人のものだと思っていた。
朝の受付ラッシュがようやく落ち着いた。
最後の依頼書を整理し終えたリリアは、小さく息をつく。
「ふぅ……。」
机の上には、先ほどヒロへ渡した依頼書の写しが置かれていた。
何気なく目を落とす。
指名依頼。
高難度。
そして――
Fランク。
「ふふっ。」
思わず吹き出してしまう。
「高難度なのに、Fランク……。」
冒険者ランクは討伐。
護衛。
危険地帯の調査。
命を懸ける依頼を積み重ねることで上がっていく。
一方、インフラ整備は、どれほど高度な技術を必要としようと分類上は生活支援。
ランクはFのままだった。
だから依頼書だけ見れば、Fランク向け依頼。
けれど、その内容は王都でも数人しか手を出せない難易度。
報酬欄へ目を移す。
そこには、討伐系ならAランク依頼に匹敵する金額が記されていた。
リリアは依頼書をそっと撫でる。
十五年間。
誰にも気づかれない地下で。
毎日、毎日、街を支え続けてきた青年。
少し前までなら、こんな依頼はクエストボードへ貼られ、誰も受けられずに期限切れになっていたかもしれない。
今は違う。
依頼主は最初からヒロを指名してくる。
それが一番確実だと知っているから。
リリアは優しく微笑んだ。
「すごい……。」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「もう、凄腕の職人ね。」
◇
王都の地下。
魔力導管が幾重にも張り巡らされた整備区画。
ヒロは工具を手に、魔力の流れを確認していた。
「……っ、くしゅん!」
盛大なくしゃみが地下に響く。
近くで作業していた親方が振り返る。
「おい、風邪か?」
すると、周囲の職人たちが一斉に顔を上げた。
「勘弁してくれよ。」
「お前が休んだら作業が進まん。」
「今日は高難度の調整が山ほどあるんだぞ。」
冗談交じりに言うものの、その表情はどこか本気だった。
ヒロは苦笑する。
「大丈夫、大丈夫。」
「誰かが噂してたのかも。」
地下には笑いが広がった。
実のところ、ギルドへ高難度の整備依頼を出しているのは、目の前にいる工房の職人たちと親方だった。
戦姫アンネローゼが眠る魔力炉の改修。
戦争で破壊された南門の修繕。
スラム街の住宅建設。
住民への就業支援。
王都の大規模インフラ整備。
その中心には、いつもこの工房があった。
その実績は王国のみならず、復興支援で訪れた帝国の官僚たちからも高く評価されていた。
「王国最高峰の技術集団。」
そう報告書に記されるほどだった。
その結果、親方をはじめとする工房の職人たちは、王国直属の役職まで与えられることになった。
だが――。
誰一人として工房を離れようとはしなかった。
ある日、王宮の文官が不思議そうに尋ねた。
「これほどの待遇をご用意したというのに、なぜ王宮へ移られないのですか?」
親方は即答した。
「王宮は居心地が悪い。」
職人たちが一斉に頷く。
「毎日礼儀作法なんてやってられるか。」
「工具より書類持つ時間の方が長そうだ。」
「堅苦しい飯なんか落ち着かん。」
工房中が笑いに包まれる。
親方は笑いながら続けた。
「役職だけありゃ十分だ。」
「肩書きがあれば、予算も人も動かせる。」
「だったら俺たちは、好きな場所で好きな仕事をする。」
誰も異論はなかった。
彼らにとって王宮は働く場所ではない。
この油と鉄の匂いが染みついた工房こそが、自分たちの居場所だった。
そして、その工房の真ん中では、ヒロが何事もなかったかのように工具を握り直していた。
「さて、続きやりますか。」
「おう!」
今日も王国最高峰の職人たちは、王都の地下で黙々と街を支え続けていた。
昼過ぎ。
最後の調整を終えたヒロは、工具を片付けながら大きく伸びをした。
「終わった……。」
親方が時計を見る。
「今日はここまでだな。」
「お疲れさま。」
職人たちも次々と工具を置いていく。
ヒロは地下通路を歩きながら、少しだけ感慨に浸っていた。
一昔前までは違った。
午前中いっぱい地下で作業し、一度ギルドへ戻る。
リリアと昼食を食べながら他愛もない話をする。
そして午後になると、また地下へ戻って夜まで働く。
それが当たり前の日常だった。
だが今は違う。
仕事そのものが減った。
元スラムの職人たちが育ち、日常的な整備は彼らだけで回るようになった。
ヒロの仕事は、本当に難しい案件だけ。
だから一件あたりの単価は大きく跳ね上がった。
週に二、三日働くだけで、以前の収入を大きく上回る。
桁が一つ増えたと言ってもいい。
難易度は高い。
だが、十五年積み重ねた技術がある。
ヒロにとっては、長時間かけるような仕事ではなくなっていた。
地下通路の出口で足を止める。
空を見上げる。
まだ昼過ぎ。
陽は高い。
「……。」
ぽつりと呟く。
「することが、ない。」
以前なら「時間が足りない」と思っていた。
今は逆だった。
街は自分がいなくても少しずつ回り始めている。
それは望んでいた未来だった。
だからこそ、少しだけ手持ち無沙汰だった。
ヒロは困ったように笑う。
「さて……どうしようかな。」
悩んでいるうちにギルドへ着いていた。
受付へ歩いていくと、リリアがすぐに気付いて顔を上げる。
「お疲れさま、ヒロくん。」
「ただいま。」
ヒロは依頼完了の書類を差し出した。
リリアは確認を終えると、カウンターの下からずっしりとした革袋を取り出す。
「はい、今回の報酬。」
ヒロは受け取った瞬間、その重さに少し驚いた。
「……多いな。」
革袋を軽く持ち上げ、苦笑する。
「最近ずっとこれ。」
リリアも笑う。
「高難度だからね。」
「でも、仕事時間は半日もかかってないよ?」
「それだけヒロくんの技術が評価されてるってこと。」
ヒロは照れくさそうに頭を掻いた。
「なんか、慣れないな。」
報酬をしまうと、二人は食堂へ向かう。
いつもの席。
リリアは鞄から手作りのお弁当を取り出した。
「今日は煮込みハンバーグだよ。」
「わぁ、美味しそう。」
二人は向かい合って昼食を食べる。
仕事の話。
ガレスの話。
エリックの話。
他愛もない会話を交わしながら、穏やかな時間が流れていく。
やがて食べ終えると、リリアは時計を見た。
「それじゃ、戻るね。」
「うん、頑張って。」
リリアは食器を片付け、受付へ戻っていく。
冒険者たちが並び始めると、すぐにいつもの受付嬢の顔へ戻っていた。
ヒロはその背中を見送りながら、小さく笑う。
「なんか……。」
頭を掻きながら呟く。
「僕だけサボってるみたいで、申し訳ないな。」
朝には仕事を終え。
報酬も受け取り。
昼食まで済ませた。
それなのに、リリアはまだ仕事中。
ギルドの中も、工房も、街も動き続けている。
ヒロだけがぽっかりと時間を持て余していた。
ヒロがぼんやりと食堂に残っていると、不意に声を掛けられた。
「ヒロくん。」
顔を上げる。
一人の女性冒険者が、にこりと笑う。
「隣、いい?」
「え? あ、うん。」
ヒロが頷くと、女性は自然な仕草で腰を下ろした。
その瞬間。
反対側の椅子が引かれる。
「じゃあ、私はこっち。」
もう一人の女性冒険者が、当然のように座る。
ヒロは左右を見比べて目を丸くした。
「えっと……。」
ギルド中の冒険者たちは、その様子を横目で見ながら苦笑していた。
「始まったな。」
「最近増えたよな。」
「そりゃ狙われるわ。」
以前のヒロは違った。
毎日のように朝から晩まで働いても、受け取る報酬は決して多くない。
地味なインフラ整備。
目立たない仕事。
誰も注目しなかった。
だが今は違う。
週に二、三日働くだけ。
受け取る報酬は高額。
しかも毎日のようにガレスへ助言し、最近ではエリックまで教え始めた。
「あの二人があそこまで信頼してる。」
それだけでヒロの評価は大きく変わった。
そして女性冒険者たちが一番見ていたのは、別のところだった。
危険な討伐依頼ではない。
インフラ整備という安定した仕事。
収入は高い。
休日も多い。
昼にはギルドへ帰ってくる。
穏やかな性格。
何より、十五年間一つの仕事を続けてきた誠実さ。
伴侶として考えるなら、これ以上ないほどの優良物件だった。
そんな噂は、女性冒険者たちの間で静かに広まっていた。
「ねぇヒロくん。」
左隣の女性が笑顔で話しかける。
「今日はもう仕事終わりなんでしょ?」
右隣の女性も身を乗り出す。
「午後から時間ある?」
ヒロは困ったように笑うしかなかった。
「えっと……そうなんだけど。」
その様子を受付から見ていたリリアは、書類を整理する手を止める。
「……。」
何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ。
ペンを持つ手に力が入っていた。
左隣の女性冒険者が、興味津々といった様子で身を乗り出した。
「ねえ、ヒロくん。」
「うん?」
「ヒロくんって、どんな女の子がタイプなの?」
突然の質問だった。
ヒロは少し考え込む。
「女の子のタイプかぁ……。」
腕を組み、真剣に考え始める。
「黒曜石みたいに綺麗で、長い髪。」
「ラピスラズリを埋め込んだみたいな、青くて綺麗な瞳。」
「それで……透き通るように白い肌かな。」
ヒロはそこまで言って首を傾げた。
「……かな?」
左右の女性冒険者は顔を見合わせる。
数秒の沈黙。
そして同時に吹き出した。
「ぷっ!」
「あはははは!」
ヒロはきょとんとする。
「え? な、何?」
左の女性が笑いながら言う。
「それ。」
右の女性も呆れたように笑う。
「完全にリリアさんじゃん。」
「……え?」
ヒロは本気で驚いた顔をする。
「そうなの?」
二人は揃って大きく頷く。
「そうなの?じゃないよ!」
「髪も!」
「瞳も!」
「肌も!」
「全部リリアさん!」
ヒロは少し考え込む。
「あれ……ほんとだ。」
「今気付いたの!?」
また食堂に笑いが起きる。
近くで食事をしていた冒険者たちも会話が耳に入り、思わず吹き出していた。
「本人、無自覚かよ。」
「これは重症だ。」
「もう結婚しろって。」
受付では書類を書いていたリリアの耳にも、その笑い声が届く。
「…..もうっ」
お読みいただきありがとうございました!「続きが気になる」「面白い」と思っていただけましたら、画面下の「ブックマーク登録」や「★(評価)」で応援していただけると励みになります。




