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主人公はいつになっても冒険者ランクを上げない  作者: Patriot
戦後:二十歳〜二十七歳

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働き方の変化

ガレスを送り出し。


エリックの相談にも一通り答える。


それが終わると、ヒロはようやく受付へ向かった。


少し前までは、まずクエストボードの前へ立ち、インフラ整備関係の依頼をまとめて選び、リリアの受付へ持って行くのが日課だった。


地下魔力導管の点検。


水路の補修。


街灯の調整。


橋の補強。


王都を支える、誰も見向きもしない仕事。


しかし今では、その依頼はほとんど姿を消していた。


スラム街の改善が進み、そこで暮らしていた人々が技術を身につけ、職人として働き始めたからだ。


彼らが日常的な補修や整備を担うようになり、ギルドへ回ってくる依頼は目に見えて減っていた。


ヒロは静かにクエストボードを眺める。


そして、小さく微笑んだ。


これでいい。


一人でできることには限界がある。


だからこそ、人を育てた。


その積み重ねが、ようやく形になり始めていた。


ヒロは受付へ歩み寄る。


「おはよう、リリアさん。」


リリアは書類から顔を上げ、柔らかく笑った。


「おはよ、ヒロくん。」


一枚の依頼書を取り出す。


「今日もご指名依頼、来てるよ。」


ヒロは苦笑する。


「また?」


「また。」


リリアも少し呆れたように笑う。


一般向けのインフラ整備依頼が減った代わりに、ヒロを名指しした依頼が増えていた。


元スラムの人々は確かに立派な技術者へと成長した。


日常的な整備や修繕なら、もう十分に任せられる。


だが――。


地下深くを走る魔力導管の精密な調整。


古い魔道設備の修復。


原因不明の魔力異常。


街全体へ影響を及ぼしかねない大規模設備の改修。


そうした高度な仕事だけは、まだ誰にも任せられなかった。


十五年。


地道に積み重ねてきた経験と知識。


それを持つ者は、王都でもヒロしかいなかった。


リリアは依頼書を差し出しながら、少し誇らしそうに笑う。


「ヒロくんにしか頼めないんだって。」


ヒロは照れくさそうに頭を掻く。


「そういう仕事も、早く誰かに任せられるようにならないとな。」


その言葉に、リリアは優しく微笑んだ。


「そう言ってる人が、一番仕事を抱え込んでるんだけどね。」


リリアは依頼書を手渡し、ヒロがギルドを出るまで静かに見守っていた。


ヒロは扉の前まで歩くと、必ず一度だけ振り返る。


そして、小さく手を振る。


「行ってきます。」


リリアも自然と笑みを浮かべ、そっと手を振り返した。


「いってらっしゃい。」


それだけ。


たったそれだけのやり取りだった。


その様子を見ていた受付嬢たちは、堪えきれず口元を押さえる。


「ふふっ……。」


「今日もやってる。」


「もう夫婦じゃん。」


「本人たちだけ気付いてないんだよね。」


皆、にやにやと温かい目で見守っていた。


一方、その後ろで順番を待つ冒険者たちも苦笑する。


「あいつら、早く結婚しろよ……。」


「毎朝あれ見せられてるんだぞ。」


「割って入るの空気読めなさすぎるだろ。」


「『次お願いします』って言いづらいんだよなぁ……。」


列の先頭にいた若い冒険者は頭を掻きながら苦笑する。


「もうちょっとだけ待つか。」


誰一人として急かそうとはしなかった。


たった数秒。


それでもギルド中の誰もが、その時間だけは二人のものだと思っていた。


朝の受付ラッシュがようやく落ち着いた。


最後の依頼書を整理し終えたリリアは、小さく息をつく。


「ふぅ……。」


机の上には、先ほどヒロへ渡した依頼書の写しが置かれていた。


何気なく目を落とす。


指名依頼。


高難度。


そして――


Fランク。


「ふふっ。」


思わず吹き出してしまう。


「高難度なのに、Fランク……。」


冒険者ランクは討伐。


護衛。


危険地帯の調査。


命を懸ける依頼を積み重ねることで上がっていく。


一方、インフラ整備は、どれほど高度な技術を必要としようと分類上は生活支援。


ランクはFのままだった。


だから依頼書だけ見れば、Fランク向け依頼。


けれど、その内容は王都でも数人しか手を出せない難易度。


報酬欄へ目を移す。


そこには、討伐系ならAランク依頼に匹敵する金額が記されていた。


リリアは依頼書をそっと撫でる。


十五年間。


誰にも気づかれない地下で。


毎日、毎日、街を支え続けてきた青年。


少し前までなら、こんな依頼はクエストボードへ貼られ、誰も受けられずに期限切れになっていたかもしれない。


今は違う。


依頼主は最初からヒロを指名してくる。


それが一番確実だと知っているから。


リリアは優しく微笑んだ。


「すごい……。」


誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。


「もう、凄腕の職人ね。」



王都の地下。


魔力導管が幾重にも張り巡らされた整備区画。


ヒロは工具を手に、魔力の流れを確認していた。


「……っ、くしゅん!」


盛大なくしゃみが地下に響く。


近くで作業していた親方が振り返る。


「おい、風邪か?」


すると、周囲の職人たちが一斉に顔を上げた。


「勘弁してくれよ。」


「お前が休んだら作業が進まん。」


「今日は高難度の調整が山ほどあるんだぞ。」


冗談交じりに言うものの、その表情はどこか本気だった。


ヒロは苦笑する。


「大丈夫、大丈夫。」


「誰かが噂してたのかも。」


地下には笑いが広がった。


実のところ、ギルドへ高難度の整備依頼を出しているのは、目の前にいる工房の職人たちと親方だった。


戦姫アンネローゼが眠る魔力炉の改修。


戦争で破壊された南門の修繕。


スラム街の住宅建設。


住民への就業支援。


王都の大規模インフラ整備。


その中心には、いつもこの工房があった。


その実績は王国のみならず、復興支援で訪れた帝国の官僚たちからも高く評価されていた。


「王国最高峰の技術集団。」


そう報告書に記されるほどだった。


その結果、親方をはじめとする工房の職人たちは、王国直属の役職まで与えられることになった。


だが――。


誰一人として工房を離れようとはしなかった。


ある日、王宮の文官が不思議そうに尋ねた。


「これほどの待遇をご用意したというのに、なぜ王宮へ移られないのですか?」


親方は即答した。


「王宮は居心地が悪い。」


職人たちが一斉に頷く。


「毎日礼儀作法なんてやってられるか。」


「工具より書類持つ時間の方が長そうだ。」


「堅苦しい飯なんか落ち着かん。」


工房中が笑いに包まれる。


親方は笑いながら続けた。


「役職だけありゃ十分だ。」


「肩書きがあれば、予算も人も動かせる。」


「だったら俺たちは、好きな場所で好きな仕事をする。」


誰も異論はなかった。


彼らにとって王宮は働く場所ではない。


この油と鉄の匂いが染みついた工房こそが、自分たちの居場所だった。


そして、その工房の真ん中では、ヒロが何事もなかったかのように工具を握り直していた。


「さて、続きやりますか。」


「おう!」


今日も王国最高峰の職人たちは、王都の地下で黙々と街を支え続けていた。


昼過ぎ。


最後の調整を終えたヒロは、工具を片付けながら大きく伸びをした。


「終わった……。」


親方が時計を見る。


「今日はここまでだな。」


「お疲れさま。」


職人たちも次々と工具を置いていく。


ヒロは地下通路を歩きながら、少しだけ感慨に浸っていた。


一昔前までは違った。


午前中いっぱい地下で作業し、一度ギルドへ戻る。


リリアと昼食を食べながら他愛もない話をする。


そして午後になると、また地下へ戻って夜まで働く。


それが当たり前の日常だった。


だが今は違う。


仕事そのものが減った。


元スラムの職人たちが育ち、日常的な整備は彼らだけで回るようになった。


ヒロの仕事は、本当に難しい案件だけ。


だから一件あたりの単価は大きく跳ね上がった。


週に二、三日働くだけで、以前の収入を大きく上回る。


桁が一つ増えたと言ってもいい。


難易度は高い。


だが、十五年積み重ねた技術がある。


ヒロにとっては、長時間かけるような仕事ではなくなっていた。


地下通路の出口で足を止める。


空を見上げる。


まだ昼過ぎ。


陽は高い。


「……。」


ぽつりと呟く。


「することが、ない。」


以前なら「時間が足りない」と思っていた。


今は逆だった。


街は自分がいなくても少しずつ回り始めている。


それは望んでいた未来だった。


だからこそ、少しだけ手持ち無沙汰だった。


ヒロは困ったように笑う。


「さて……どうしようかな。」


悩んでいるうちにギルドへ着いていた。


受付へ歩いていくと、リリアがすぐに気付いて顔を上げる。


「お疲れさま、ヒロくん。」


「ただいま。」


ヒロは依頼完了の書類を差し出した。


リリアは確認を終えると、カウンターの下からずっしりとした革袋を取り出す。


「はい、今回の報酬。」


ヒロは受け取った瞬間、その重さに少し驚いた。


「……多いな。」


革袋を軽く持ち上げ、苦笑する。


「最近ずっとこれ。」


リリアも笑う。


「高難度だからね。」


「でも、仕事時間は半日もかかってないよ?」


「それだけヒロくんの技術が評価されてるってこと。」


ヒロは照れくさそうに頭を掻いた。


「なんか、慣れないな。」


報酬をしまうと、二人は食堂へ向かう。


いつもの席。


リリアは鞄から手作りのお弁当を取り出した。


「今日は煮込みハンバーグだよ。」


「わぁ、美味しそう。」


二人は向かい合って昼食を食べる。


仕事の話。


ガレスの話。


エリックの話。


他愛もない会話を交わしながら、穏やかな時間が流れていく。


やがて食べ終えると、リリアは時計を見た。


「それじゃ、戻るね。」


「うん、頑張って。」


リリアは食器を片付け、受付へ戻っていく。


冒険者たちが並び始めると、すぐにいつもの受付嬢の顔へ戻っていた。


ヒロはその背中を見送りながら、小さく笑う。


「なんか……。」


頭を掻きながら呟く。


「僕だけサボってるみたいで、申し訳ないな。」


朝には仕事を終え。


報酬も受け取り。


昼食まで済ませた。


それなのに、リリアはまだ仕事中。


ギルドの中も、工房も、街も動き続けている。


ヒロだけがぽっかりと時間を持て余していた。


ヒロがぼんやりと食堂に残っていると、不意に声を掛けられた。


「ヒロくん。」


顔を上げる。


一人の女性冒険者が、にこりと笑う。


「隣、いい?」


「え? あ、うん。」


ヒロが頷くと、女性は自然な仕草で腰を下ろした。


その瞬間。


反対側の椅子が引かれる。


「じゃあ、私はこっち。」


もう一人の女性冒険者が、当然のように座る。


ヒロは左右を見比べて目を丸くした。


「えっと……。」


ギルド中の冒険者たちは、その様子を横目で見ながら苦笑していた。


「始まったな。」


「最近増えたよな。」


「そりゃ狙われるわ。」


以前のヒロは違った。


毎日のように朝から晩まで働いても、受け取る報酬は決して多くない。


地味なインフラ整備。


目立たない仕事。


誰も注目しなかった。


だが今は違う。


週に二、三日働くだけ。


受け取る報酬は高額。


しかも毎日のようにガレスへ助言し、最近ではエリックまで教え始めた。


「あの二人があそこまで信頼してる。」


それだけでヒロの評価は大きく変わった。


そして女性冒険者たちが一番見ていたのは、別のところだった。


危険な討伐依頼ではない。


インフラ整備という安定した仕事。


収入は高い。


休日も多い。


昼にはギルドへ帰ってくる。


穏やかな性格。


何より、十五年間一つの仕事を続けてきた誠実さ。


伴侶として考えるなら、これ以上ないほどの優良物件だった。


そんな噂は、女性冒険者たちの間で静かに広まっていた。


「ねぇヒロくん。」


左隣の女性が笑顔で話しかける。


「今日はもう仕事終わりなんでしょ?」


右隣の女性も身を乗り出す。


「午後から時間ある?」


ヒロは困ったように笑うしかなかった。


「えっと……そうなんだけど。」


その様子を受付から見ていたリリアは、書類を整理する手を止める。


「……。」


何も言わない。


ただ、ほんの少しだけ。


ペンを持つ手に力が入っていた。


左隣の女性冒険者が、興味津々といった様子で身を乗り出した。


「ねえ、ヒロくん。」


「うん?」


「ヒロくんって、どんな女の子がタイプなの?」


突然の質問だった。


ヒロは少し考え込む。


「女の子のタイプかぁ……。」


腕を組み、真剣に考え始める。


「黒曜石みたいに綺麗で、長い髪。」


「ラピスラズリを埋め込んだみたいな、青くて綺麗な瞳。」


「それで……透き通るように白い肌かな。」


ヒロはそこまで言って首を傾げた。


「……かな?」


左右の女性冒険者は顔を見合わせる。


数秒の沈黙。


そして同時に吹き出した。


「ぷっ!」


「あはははは!」


ヒロはきょとんとする。


「え? な、何?」


左の女性が笑いながら言う。


「それ。」


右の女性も呆れたように笑う。


「完全にリリアさんじゃん。」


「……え?」


ヒロは本気で驚いた顔をする。


「そうなの?」


二人は揃って大きく頷く。


「そうなの?じゃないよ!」


「髪も!」


「瞳も!」


「肌も!」


「全部リリアさん!」


ヒロは少し考え込む。


「あれ……ほんとだ。」


「今気付いたの!?」


また食堂に笑いが起きる。


近くで食事をしていた冒険者たちも会話が耳に入り、思わず吹き出していた。


「本人、無自覚かよ。」


「これは重症だ。」


「もう結婚しろって。」


受付では書類を書いていたリリアの耳にも、その笑い声が届く。


「…..もうっ」

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