ガレスとエリック
その日から、二人の日常は少しだけ変わった。
いつものように朝一番でギルドへ向かう。
ヒロは掲示板の前で足を止め、何枚もの依頼書へ目を通す。
討伐対象。
移動距離。
地形。
報酬。
危険度。
一枚ずつ吟味した末に、ガレスへ依頼書を差し出した。
本来なら、そのまま受付へ向かう。
しかし二人は、その前に必ず食堂の隅のテーブルへ腰を下ろすようになった。
ヒロは依頼書を広げる。
「今回の相手は――」
静かな声で、依頼内容を一つずつ説明していく。
討伐対象の生態。
縄張り。
攻撃の癖。
怒り狂った時の行動。
弱点。
そして最後に。
「ガレスなら、正面から押し切るより、一度ここへ誘導した方がいい。狭い地形だから、大剣を振り抜いたあとに隙ができにくい。」
「もし突進してきたら、受け止めない。半歩ずらして首筋を狙えば終わる。」
ガレスは一言も挟まない。
ただ黙って頷き、頭の中で戦いを組み立てていく。
説明が終わると、今度は装備の点検だった。
剣の刃こぼれ。
柄の緩み。
鎧の留め具。
革紐。
荷物。
最後に工具箱から砥石を取り出し、刃を軽く整える。
「うん、問題なし。」
その一言で、ようやく二人は受付へ向かった。
そんな光景を、ギルド中の冒険者たちが不思議そうに眺めていた。
「……なんだ、あれ。」
「ガレスだよな?」
「Aランクのガレスが……。」
「Fランク冒険者から作戦を教わってる……?」
誰も理解できなかった。
普通なら逆だ。
高ランク冒険者が新人へ助言する。
それがギルドの常識だった。
だが目の前では、その常識が当たり前のように覆されている。
それでもガレスの表情に迷いはない。
ヒロの言葉を一つも疑わず、すべてを受け入れている。
ヒロは最後にガレスの肩当てへ軽く触れ、緩みがないことを確かめる。
そして、背中を思い切り叩いた。
バシッ。
「行ってらっしゃい!」
ガレスは振り返り、大きく笑う。
「おう!」
そのまま依頼書を片手に受付へ駆け出していく。
ヒロは少し離れた場所で、その背中を静かに見送る。
無事に帰ってこい。
口には出さず、心の中だけで呟いた。
その時だった。
「先生!」
聞き慣れた声に、ヒロは振り返る。
そこにはエリックが立っていた。
「やあ、エリック。どうしたの?」
エリックは少し照れくさそうに頭をかきながら、それでも真っ直ぐヒロを見る。
「先生。」
「僕も、ガレスさんみたいに……。」
「アドバイスや、装備の確認をしてほしいです。」
ヒロは思わず苦笑した。
「参ったな……。」
頭を掻きながら食堂を見渡す。
「一旦、座ろうか。」
「はい!」
二人は先ほどまでヒロとガレスが使っていたテーブルへ向かう。
その様子を見ていた冒険者たちは、再びざわつき始めた。
エリックが席へ腰を下ろく。
その胸元で、冒険者プレートが陽の光を受けて輝いた。
Cランク。
ヒロは思わず目を細める。
「もうCランクか。」
小さく笑みを浮かべる。
「新世代のガレス、なんて呼ばれるだけはあるね。」
戦争で一度は降格処分を受けた。
それでも腐ることなく依頼を積み重ね、瞬く間に元のランクまで駆け上がった。
そして今では、さらにその上――Cランクにまで昇格している。
その成長速度は、かつてのガレスを思わせるものだった。
ヒロは苦笑しながら依頼書を見つめる。
「君にはもう、アドバイスなんて必要ないと思うんだけど……。」
するとエリックは勢いよく首を振った。
「そんなことありません!」
ギルド中に響くほどの大きな声だった。
「だって先生、ガレスさんのことは全部見てるじゃないですか!」
エリックは真っ直ぐヒロを見つめる。
「ガレスさんはAランクですよ!」
「そのガレスさんが毎回先生の話を聞いて、それで迷いなくクエストへ向かってる。」
「だったら僕だって、教えてもらいたいです!」
食堂が静まり返る。
周囲の冒険者たちは息を呑んで二人を見つめていた。
ガレス本人は決して口にしない。
だが、毎朝その様子を見続けていた者は、少しずつ気付き始めていた。
Aランク冒険者ガレスは、出発前に必ずヒロの助言を受けている。
その事実を、エリックは誰よりも真っ直ぐ口にしたのだった。
ヒロは頭を掻きながら、少し照れくさそうに笑った。
「ガレスのことは、昔から見てるからね。」
穏やかな口調で続ける。
「剣も、癖も、考え方も……全部分かってる。」
だからこそ、何を言えばガレスが一番戦いやすいのか分かる。
それだけの話だった。
ヒロはエリックへ向き直る。
「でも、エリックのことは違う。」
少し申し訳なさそうに笑う。
「君を見てたのは、新人教育の一週間だけ。」
「それも、もう五年も前の話だし。」
依頼書を指で軽く叩く。
「今の君がどんな剣を振るうのか。」
「どんな癖があって、どんな場面で迷うのか。」
「僕は知らない。」
ヒロは肩をすくめた。
「だから助言をしても、見当はずれなことを言う可能性が高いよ。」
「それじゃ、かえって君の邪魔になっちゃうからね。」
その言葉に、エリックは少しだけ俯いた。
「分かりました。」
エリックは素直に頷いた。
一度視線を落とし――
再び顔を上げる。
「でも!」
その目は諦めていなかった。
「質問とか、悩み相談はしてもいいですか?」
ヒロは一瞬考え込む。
「うーん……。」
腕を組み、小さく唸る。
やがて苦笑して頷いた。
「それぐらいなら、いいかな。」
「ありがとうございます!」
エリックは満面の笑みを浮かべた。
◇
その日から。
ガレスを送り出した後の時間は、エリックとの時間になった。
エリックは毎朝、大切そうに一冊のノートを抱えてやって来る。
新人教育の最後の日。
ヒロから手渡された、あのノートだった。
何度も読み返したのだろう。
角は丸くなり、紙には何度も書き込みが重ねられている。
エリックはノートを開き、真剣な表情で問いかける。
「先生、この戦術なんですけど……。」
自分で考えた作戦。
その問題点。
「今の僕の戦闘スタイルだと、どこを伸ばした方がいいですか?」
現在の戦い方への相談。
「この戦術なら、どんな装備が合いますか?」
戦術に合わせた装備選び。
「この剣、重心を少し変えたいんですけど……。」
装備の調整方法。
ヒロは答えを押し付けることはしなかった。
「どうしてそう考えたの?」
「他に方法はあると思う?」
「相手がこう動いたら?」
問いを返し、考えさせる。
エリックは悩み、考え、答えを出す。
ヒロはその答えを少しだけ磨く。
その積み重ねが、毎日のように続いていた。
ギルドの冒険者たちは、その光景を遠巻きに眺めながら、少しずつ理解し始める。
ガレスが強い理由。
そして、新世代と呼ばれるエリックが、なおもヒロのもとへ通い続ける理由を。
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