08.列車の旅
振り向くと、まず目に入ったのは綺麗な青。
「君」
声を掛けてきたのは、なんとラインハルト先生。今日は黒い帽子に長いマントという、式典用の真っ黒い正装姿だった。魔法使いの正装は人混みの中でもよく目立つし、何より珍しい。明らかに行き交う人々の注目を浴びていた。
「せ、せせせ先生!? いらっしゃってたんですか?」
先生は、答えるより先に肩掛けの大きなカバンをかけ直す。息が明らかにあがっている。
「いや。昨日の卒業式にも出ていたし、先ほど見送りにも立っていたのだが」
「はっ!! そうだったんですか!?」
……全然気づかなかった。
「しかし、君は歩くのが速いな。見失うところだった」
先生が帽子を傾けると、眉をはっきりをしかめた表情が見えた。
「あわわわわわ」
ヤバい。どうやら私は、お師匠さんがきちんとお迎えに来てくださっていたにもかかわらず、放置して駅までやって来たらしい。血の気がさーっと引いた。
「す、すみません!!」
「……迎えに行くとは言わなかったからな」
にこりともせずに言うものだから、怒ってるのか怒ってないのかわからない。あれ? そういえば、魔法使いが汽車に乗るの? ホウキは? 転移魔法は? いや、私がちゃんと列車に乗れるか見に来ただけとか?
帰省なんかで列車には乗り慣れている。まあ、二等車は今日が初めてだけど、乗り方は同じなはずだし……。
先生の視線が、私が右手に持っているエビサンドに釘付けになっているのに気づく。師匠をほっぽってのんきに食い物なんか選びやがって……とでも言われるだろうかと小さくなった私。
「ああっ、ごめんなさい……」
「食堂車に連れて行くつもりでいたが、君がそれがいいというなら」
先生は目の前にたくさん並んだパンの中からハチミツパンと焼きリンゴパイを迷うことなく選び、それから新聞を掴む。瞬きするほどの速さで私の分と一緒に支払いを済ませてしまった。
私は、店員さんが差し出してくれた私と先生の分の昼食が入った紙袋を抱え、トランクを……トランクがなくなっている!?
「あわわ!? って……」
すられたかと思いきや、私のトランクは確かに先生の手の中にあった。持ってくれたの? どちらかというと、弟子である私が先生の荷物を持つべきなのに?
「どうした? 行くぞ」
「まっ、待ってください!!」
質問する隙を与えてくれなかった先生は、人混みをものともせずスイスイと進んでいく。先生だって歩くの早いじゃないか! なんて思いながら、私は真っ黒すぎて目立つ背中を必死で追った。
◆
どうしよう。
定刻から少し遅れて発車した列車は、ゴトゴトと北に向かって進んでいた。二等車の座席は背もたれまでふかふかと快適で、とっても乗り心地がいい。窓の外を初春の景色がめまぐるしく流れていく。
終点である『北の果て』ノールヴェイルは観光で有名な街なので、列車の中は観光客とおぼしき人でたいへん賑わっていた。その証拠に、通路を挟んで向こうの席では、家族連れがガイドブックを広げながら会話を弾ませる様子が見える。
しかし私はといえば……まさに借りてきた猫……ではなくて野ねずみだった。目の前に正装している先生がいる状態で、旅行気分ではしゃげるはずがない。ぶっちゃけちゃうと、卒業審査会の時よりもずっと緊張している。
先生は窓の外でも私でもなく、新聞を読んでいる。
今日の先生は、正装に合わせて髪を固めていた。おでこを出しているからか、瞳の青が前に会った時より少し明るく見える。肌は抜けるように白く、目元や口元にもシワはない。男の人にこういうのも変だけど、綺麗な人だなあと思う。
……いったい何歳なんだろう? 一等魔法師の資格をストレートで取ったのだとしたら二十八歳だけど……。
「……私の顔に何か?」
「ひいっ、なんにもありません!」
図太さには自信がある私だけど、このしかめ面に『おいくつなんですか?』と聞く度胸はない。疑問はいったん頭の隅にやった。
「今さらだが、君はなぜ魔法師になろうと思ったんだ?」
魔法師との面談でお決まりの質問を突然投げられ、私は今まで何度も繰り返した答えを反射的に返す。
「四歳の時、魔法使いに傷を癒してもらって、ホウキに乗せてもらいました」
「……それだけなのか」
「ええ。魔法が絵本の中だけじゃなくて現実にあると知ったら、いてもたってもいられなかったんです。もし魔力がなかったらただ夢を見るだけで終わってたんですけど……そうじゃなかったので、どうしても諦められなくて」
まあ、野ねずみでしたけれども。
とはいえ、南部の生まれなのに魔力を持っていたのは奇跡に近かった。だからなおのこと、魔法の道への強い運命を感じていたのだ。
「そうか。昔助けた子供がそんなことになっているなんて、彼も思ってないだろうな」
先生は心動かされたような様子もなく言うと、流れる車窓に目を向けた。いつの間にか窓の外は冬に巻き戻ったような雪景色になっていた。北に向かっているのだと実感する。
残念ながら、会話はここで終わってしまった。先生が昼食を食べ始めたので、私も昼食のエビサンドを黙々と食していた。
お腹の底に汽車の振動が妙に響いて、食べたものがうまく入っていかない。あとどのくらいでシュネハイムに着くんだろうと思ったけれど、時計を持っていないので皆目見当がつかない。だけど、窓の外では景色が変わらず流れ続けている。
私より先に食事を終えた先生は、涼しい顔をして駅売りの新聞を広げていた。私の存在なんか気にも掛けてませんと言わんばかりに、静かに情報の海を泳いでいる。
私もエビサンドをできるだけ音を立てないようにしてお腹に収め、「ごちそうさまでした」と挨拶をすると、バッグの中をごそごそ漁る。小説を取り出そうとして、思いとどまる。娯楽小説なんか、読まないほうがいいかも……。
チラリと先生を伺うと、目が合ってしまった。新聞を読んでいるとばかり思っていたのに、私のことを見ていたらしい。先生は、ほんの少しだけ眉を動かした。
「いちいち硬くならなくていい。やりにくいので」
「ごめんなさい」
「私は好きに過ごすから、君も好きに過ごしてくれ」
先生はぼそぼそと言うと、何事もなかったようにまた新聞を読み始めた。
変わり者、という言葉が頭をよぎる。ノエミも、エッジワース先生もラインハルト先生をそう評していた。
あと私が知っていることは、アストリウスでは古代魔法語を教えていた、弟子を取らない主義を貫いていた、ということくらいか。
知り合ったばかりの人の前で、硬くならないのって難しいな。
ため息を飲み込んで、肩掛けカバンから小説本を取り出して開いた。目が滑る。ページの向こうにいる先生のことが気になって仕方がなかった。
向かい合わせでいても、どこか遠い場所にいるようで。暖かいような、冷たいような。まるで流れる水のように、つかみ所のない不思議な人。
本当、どうして私を選んだのだろうという問いが再び頭に浮かんでくる。
謎解きは大好きだけど、この謎を解き明かすのは難しそうだ。




