06.赤い髪の魔法使い
さて、私が生まれ育ったのはイレディス王国の南西部、国境近くにある町。この国で最大の湖、ミラヴォーをそのまま名に冠した湖畔の町だ。
今住んでいる学術都市ベルカンティアまでは、列車で一泊しなければならない距離にある。
ここで、私が魔法使いを目指すきっかけになった、十四年前の話をしたいと思う。
当時四歳の私は、珍しい蝶を見かけて吸い寄せられるように入った森の奥深くで途方に暮れていた。
「どうしよう……」
声をあげても、返ってくるのは鳥のさえずりだけ。
別に帰り道がわからなくなったわけではない。蝶を追うのに夢中になっているうちにうっかり斜面から転がり落ち、足を負傷してしまって動けなくなったのだ。
木漏れ日が急に翳りだし、雨の気配を幼いながらも察知した時だった。
風もないのに、頭の上で枝葉が擦れる音がした。
「……ええっ!?」
目の前に現れたのは空飛ぶホウキ。苔むした朽木の前にふんわりと降り立った彼は、ホウキを朽木に立てかけるように置くと、私の方を見た。
「エルシェ・リヴェールは君か?」
名前を呼ばれ、どきっとした。
熟れたリンゴのような赤い髪に、ハチミツみたいな金の瞳を持つ、少年の面影を強く残した男の人。細すぎるともいえる体を真っ黒なローブで包んでいた。
石のついた耳飾りが揺れるたびにちらちらと輝き、かばんの肩紐にも不思議に光る道具がぶら下がっている。首から下げた青い幅広のリボンの先には銀色のメダル……魔法師の証が輝いていた。
「その。僕は別に怪しいものじゃないんだ。君のお父さんに頼まれて、迎えにきた」
魔法使いはいくつか咳き込んでからぎこちなく微笑むと、ゆっくりと近づいてきた。
「あわわわわわ」
すっかり言葉を失い、震えが止まらなかったのは、恐怖からではない。ちなみに、私は人見知りしないことに定評がある。
魔法の先進国と言われるイレディス王国でも、私の住む地方には魔法の素質を持つ人が極めて少ない。つまり、魔法使いには滅多にお目にかかれない。
「すごい! すごい! 本物の魔法使いだっ!! 絵本で見たのとおんなじ!!」
「っ!? う、うん。そうだ……ね」
幼子が突然あげた絶叫じみた声に、魔法使いはびっくりしたのがたじろいでいる。
どうしようどうしよう、本当に魔法使いだ。空飛ぶホウキをもっと近くで見たい!
憧れの存在を目の前にした私は、大興奮のままに立ちあがろうとした。しかし、足首に鋭い痛みが走って尻餅をつく。
自分が途方に暮れていた理由を思い出して、また涙が込み上げてくる。
「いたい……」
「大丈夫。じっとしていて」
魔法使いがうずくまったわたしを見て困ったように笑いながら、私の足首にそっと手をかざした。小さく何かを唱えると、足首が燃えるように熱くなった。痛みがすっかり消え去った。
「君、高いところは平気か……な?」
「ホウキにのせてくれるの!?」
「う、うん……おいで」
彼にひょいと持ち上げられ、ふわふわと浮かぶホウキに乗せてもらった。続けて、私を前に抱えるようにして彼が後ろに乗る。
言われた通りにしっかりと柄を握った手に、大きな手が優しく重ねられる。 魔法使いが地面を蹴ると、ホウキが空をめがけて浮かび上がる。
「わああああ!!」
幸い雨に降られることはなく、それどころか厚い雲の切れ間から一条の光が差した。足元に広がるミラヴォーの湖が、湖に沿うように並ぶいらかがなんだか宝石のように輝きだす。
「怖くないか?」
「ぜんぜん! ねえ見て、きれいっ!! 湖が光ってる!! おうちも!!」
「……そうだな」
魔法使いの声はなぜか少し切羽づまっていた。
彼とのとの出会いの話はもう少し続くけど……私は一旦頭の中の日記帳を閉じた。
◆
「えっ。その魔法使いって、赤髪だったんだ」
ノエミがカードを切りながら目を丸くしたので、私は頷いた。
「うん。リンゴみたいに真っ赤な髪。珍しいよね」
金色の瞳を持つ人はそこまででもないけど、赤い髪はそうとうに珍しい。ちなみに私は亜麻色、ノエミは樺色。その国では一般的。ロウェナは黒髪で、これもちょっと珍しい。まあ、あの女のことはどうでもいいか。
ノエミは切り終わったカードを置き腕を組んだ。
「そういえば、男子が決まって赤い髪になるらしい魔法使いの家系があるんだけどねえ……そうだ、ホウキの王子様と歳が近いかも」
「え、ほんと!?」
まさか、ここに来てあの人の手がかりが手に入るなんて思わなかった。先生に突然声をかけられたことといい、今日はすごい日だ。
けれど、ノエミは何かを思い出したように首を横に振る。
「ごめんごめん。よく考えたら、小さい子を助けるような人じゃないわ。よくない意味で有名なんだよねえ」
「なんだ……」
ノエミは、目の前に慣れた手つきでカードを並べ始めた。占いをするようだ。私はノエミのベッドの横に椅子を持って行って座ると、その様子を見守った。何を見ようとしているのかは、私にはわからない。
「いや。てか、ホウキの王子様って何よ」
「……姫のピンチに現れるのは王子様って決まってるの」
「あの。私ってそんなご身分じゃないけども」
私はミラヴォーで代々薬種商を営む家の娘。もちろん平民である。
「そして恋に落ちるのはお約束ね」
「いや、歳の差がありすぎでしょ」
ツッコミを怠らない私に、ノエミがとうとう怒り出す。
「もう!! 夢がない!!」
「いやいや、よく考えなよ……自分よりお父さんに年が近いと思うんだけど」
当時すでに魔法師の見習いだったのなら、十八歳から二十歳くらいってところ。四歳の私が恋をするには少し年が離れ過ぎていると思う。
ちなみに十四年前の話なので、現在は三十代の前半ということになる。ちなみに、うちの父は四十二歳だ。
ノエミは深く深くため息をついた。
「だってさあ。頼りになる大人の男性とって、一度は夢見ちゃわない?」
「見ない」
「夢がなあい!!」
これ以上私と話しても無駄だと思ったのか、ノエミが肩を落とした。
「うーん、仮に恋だとしてもよ……? さすがにもう結婚してるでしょ。私、そんな度胸ないわ」
三十路を過ぎても独身でいる人なんて、いくら男性でもちょっと珍しい。初対面の子供にあんなに優しくしてくれた人だったんだもの。今頃はきっと家庭を持って、幸せに暮らしているはず。
けれど、その光景を想像してみると胸の奥がちくっとした。
どうしてだろう……痛みの正体を探ろうとしている私の横で、ノエミは手近にあるカードを一枚めくって肩を跳ねさせた。
「いや、ちょっと待って。大変だ……」
「どうしたの?」
「なんだなんだ。これは本当に王子様との再会があるのでは」
ノエミの手には、『再会』と書かれたカードがある。男女が手を取り合う絵柄が、どこか官能的に描かれている。
「私のこと占ってたのか……」
「うん!! だって、気になったんだもん」
ちなみに、ノエミの占いはとんでもなくよく当たると評判だ。
「再会ねえ……」
私は窓の外を見る。真北の空に浮かぶ天標星が、今日はやけに明るく輝いている気がした。




