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46.揺れる心〈失敗〉

「そう、です……」


 私は男の人の言葉に、戸惑いながら頷いた。


 そもそもの話。この街に来てから私はそのことを外で話したことはほとんどない。依頼者さんや町の人との世間話の中で、南部の生まれだとは明かしたことはあるけれど、それ以上を知っているのは先生とマルタさんくらいだ。


 魔法学校時代だって、私の具体的な出身地や実家の家業まで把握しているのは、ノエミを覗けば教員くらいではないかと思う。それなのに、今出会ったはずの人がどうしてそれを知っている?


 可能性はひとつしかないけれど、果たしてそんなことがあり得るのだろうか。


「あれえ、俺のこと覚えてないかな? えっと、何年前だっけ……いやあ、君や、君のご両親にはお世話になったよね」


 男の人が続けた言葉に驚いた私はとうとう持っていた本を落とし……とっさに無詠唱の魔法を使う。さいわい発動が間に合って、雪で濡れた地面すれすれで宙に浮いた本を拾い上げた。


 男の人は、私が驚きで何も言えずにいても、品のいい笑みを崩さない。


 ああ、この人はやっぱりそ(・)う(・)なんだ……確信したとたん、鼓動がさらに速さを増す。


「も、もしかして、あの時の魔法使いさん……?」


 戸惑いで震える唇でようやく言葉にする。すると男の人はたちまち雪を溶かしそうなほどの眩しい笑顔を見せた。


「そう!! ああ良かった!! 覚えていてくれた!! ずっと君に会いたいと思ってたんだ!!」

 

 男の人はお芝居の主人公のように高らかに言って、私の手を握る。手袋をしていないからか手は氷のように冷たいが、肌はびっくりするほどになめらかだ。


「ほ、本当ですか……?」


 私がほとんど夢見心地のまま顔を上げた先で、金色の瞳が熱っぽく潤んでいた。


「本当さ!! まさか、こんなところで会えるなんて、運命だ……ああ、神よ!!」


 彼は声を詰まらせながら、空いている方の手で目頭を押さえた。私も思わず涙をこぼしてしまいそうになる。もしまた彼に会えたときに伝えたいと思っていた言葉がほとばしる。


「わ、私、あなたに憧れて魔法使いになりました!」


「ああ、とても上手に魔法を使っていたね。そうか、俺が……うれしいなあ」


 男の人は目を細め、絞り出すように言った。


「そうだ、私はエルシェです。エルシェ・リヴェール。あの、あなたの名前を教えて」


 私が名乗ると、金の瞳が明らかに揺れる。十四年前、母が何度尋ねても彼は決して名乗らなかったのだと言っていたのを思い出した。やはり、名乗りたくない事情があるんだろうか?


 しかし少しだけ間を置いて、彼は意を決したように口を開いた。


「そうか、名乗ってなかったっけな……俺はブラン。ブラン・グレイアだ」


 ようやく知ることができた。ブランさんの声が、何度も頭の中で反響する。


 いつのまにか道行く人からの注目を浴びていたことに気がつく。恥ずかしくなった私の手を、ブランさんは広場まで引っ張っていってくれた。そこでさらに言葉を交わす。


 ブランさんは仕事でたまたまこの街を訪れたそうで、今日から数日滞在するらしい。『お茶でもしながらゆっくり話そう』と誘われたけれど、あいにく今日は午後から仕事で乗ることはできないと伝える。ブランさんは肩を落としてしまった。


「そうか……残念だな」


「あっ、明後日なら一日お休みです。ぜひお話ししたいです」


 ブランさんはパッと笑顔になる。


「よし!決まりだ! じゃあ今日と同じ時間に、同じ場所で待ってるよ」


 私はブランさんといったん別れ、家路を急いだ。幼い頃に出会った思い出の人と、故郷からは遠い街で再会する……こんな物語のような偶然があるなんて夢みたいだと思う。


 胸の高鳴りを原動力に、行きはあれだけ進むのに苦労した雪道をずんずんと進んでいく。


 家に帰り着いて玄関ドアを勢いのままに開けると、ちょうど廊下を歩いていた先生が出迎えてくれた。


「おかえり……ずいぶん早かったな」


「たっ、ただいま戻りました」


 立ち止まったままはあはあと息を切らしている私に、先生は近づいてきた。最初はまるで探るように私を見ていた青い目が、ゆっくりと細められていく。


「もっとゆっくりしてきても良かったのに」


「えっ、えっと……あっ」


 ここでようやく、文房具やお菓子を買ってないことに気がついた。どんだけ慌ててるんだよ、私……カバンを下ろしてコートを脱ぐと、先生がそれを受け取ってスタンドに引っ掛けてくれる。


「……何かいいことでもあったのか?」


 いいことも何も。赤髪の魔法使い……私が魔法師の道に入るきっかけになった人に出会ったんです! 名前も教えていただけて!


 ……と、少し前の私なら、嬉々として先生にも報告していただろう。


 言葉が出ないのは、鼓動がなかなか鎮まらないせいではなく、どうしようか迷っているからだった。先生はそれ以上は何も言わず、じっと私の言葉を待っている。


 雪に落ちた影のような色の銀髪。晴れた日の湖面のような澄んだ青の瞳。見た目こそあの魔法使いとは全くかけ離れているけれど、やっぱり纏っているものがよく似ている。だけど、違った。私の思い出の人はブランさんだった。


 けど、あの人が先生だったらいいのにって、思っていたんだよね……それも含めて謎の後ろめたさがあって、先ほどの出来事は先生には知られたくなかった。ようやく呼吸が整ってきた私は、カバンを開いて、買ったばかりの本を取り出して見せた。


「おかげさまで本が買えました。残り少しだったんです」


先生は、表紙と私の顔を交互に見て言った。


「そうか、間に合って良かった。次に入るのは春になるかもしれないからな。今日の仕事は昼食後からでいいので」


「はい、ありがとうございました」


「それ、読んだら感想を聞かせてくれ」


 仕事部屋に入る先生を見送ってから、上着のポケットから懐中時計を出して開いて驚いた。最初に家を出てから、まだ二時間も経っていなかった。


 ◆


 先生の厚意でせっかく買えた小説の新刊は開けぬまま、翌日になっていた。正直、本を読むどころではなかった、と言わざるを得ないというか。


 あのあと任されたのは、いつもの魔力量計算と、論文の清書だ。今日も引き続きそれらに取り組んでいる。量はとにかく多いけれど計算自体は単純だったからか、ブランさんと会ったらどう過ごすか考えながらそろばんを弾いていた。


 街を案内したら喜んでもらえるかな。どこでお茶をしようかな。どんな話をしようかな。


 楽しい時間を思い描きながらする仕事はとても捗った。今日いっぱいかかるだろうと見込んでいた仕事は、なんと午後のお茶休憩までには終わった。私は嬉々として先生に提出し、他には仕事がないことを確認してから、協会から届いた封筒を開いた。


 中からは文字がびっしり書かれた書類が何枚も出てくる。『特例での開業に関わる届出について』と書かれた書類を一生懸命目を通す。用意しなければならないものは多いし、正式な手続きには王都にある協会本部に出向かないといけないらしい。


 春になったらお休みをもらって実家に顔を出そうかな、なんて考えていたけれど、どうやらそんな暇はなさそうだ。家族に会えないのは寂しいけれど、だからといって悲しくはない。


 だって、野ねずみと呼ばれて笑われた私が、魔法を永遠に取られるかもしれなかった私が、一国一城の主に……はまだまだ大袈裟だけれど、意地になって高めた魔法の専門性を認めてもらえて、それを専門の仕事にできそうだというところまできた。


 ブランさんが、先生が、私をここまで連れてきてくれた。そうだ、このこともブランさんに話そう、びっくりしてくれるかな……と思った時だった。


「……君、ちょっと来てくれないか」


「はいっ!」


 書類を置いて顔を上げると、先生が何か困ったような顔で私を手招きしている。


 あれ? 何だろう? 珍しいこともあるなと思いながら、先生の机へ向かうと、先生は先ほど私が提出した紙を目の前に差し出した。


「これを見てくれ」


「……はい?」


「ここからここまで、計算値が間違っているように思う。すべてやり直してくれ。それと清書の方も、誤字や脱字が何カ所もあって……」


 先生は、私が並べた文字や数字を指でするするとなぞりながら言った。


「えっ、嘘……?」


 ひとつふたつならまだしも、こんな量を間違えちゃうなんて、そんなことある? と思いつつ紙の束を手に取り、冷静な目でよく確かめる。


「どうだ?」


 思わず手が震えた。残念ながら先生の指摘は事実で、くだらない計算ミスばかりしている。いやそうじゃない。使用する計算式からして間違っていた。もはや、でたらめな数字が並んでいるだけだった。


 清書の方も、信じられない誤字や脱字を連発していた。これではまったく使い物にならない。浮かれた気分から、一気に氷点下まで転がり落ちてしまう。


「も、申し訳ありません! 今すぐやり直します!」


 いくら楽しくても、手元をおろそかにすることがあってはならない。ああもう、最悪だ。

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