45.揺れる心〈再会〉
「わあ、真っ白!!」
十二月も半ばを過ぎ、シュネハイムには本格的な冬が訪れていた。しんしんと降る雪が、景色を白く染めている。雪が降らない地方生まれの私にとっては、まるで夢の中にいるようで驚いてしまうけど、ここではこれが日常なのだ。
「寒いー、けど、寒くないー」
想像以上に厳しい冬が立ちはだかっても、私には意味のわからない歌を歌いながら、冬景色を楽しむ余裕があった。
だって、ふかふかのお布団に毛布を重ね、部屋の隅には魔石が入った火鉢が置いてあるから。先生によって炎の魔法が込められていて、私の部屋をほどよい暖かさに保ってくれる。私がかなりの寒がりだと知った先生が、あれやこれやと気を配ってくれたのだ。
目覚めたときにひとつも震えずに済む幸せ。そのことについていくら感謝の言葉を伝えても、『風邪を引かれたら困る』とそっけなくおっしゃるだけ。まあ、先生からしたら、ただ義務を果たしているだけということなんでしょうけども。
けれど、私は夢見てしまう。私に向けられる思いやりが、愛情ならいいのにと。私は相変わらず先生が好きで、その気持ちは坂を転がる雪玉のように日々大きくなっている。
今にも溢れてしまいそうな思いを押さえながら、黙々と仕事で応え続けると決めた。
非力な自分は相変わらず変えられないけれど、頼られていると感じることが増えてきたことが嬉しい。
今日も朝食の席で、意見を求められる。
「なるほどな。そのような考え方もあるか……私には考えつかない。とりあえず検証してみることにしよう。ありがとう」
「も、もったいないお言葉です」
「行き詰まった時に、ひとりで悩まなくてもよいのは心強いものだな……」
先生は、ごく自然に私に微笑んでくれるようになった。眩しい。凍てつく冬の寒さが気にならないのは、こうして常に心を焦がされているからかもしれない。
すっかりぬるくなってしまったお茶といっしょに、込み上げてきた思いを飲み込む。先生は、ハッとした顔をして一度食卓から離れた。私はそれを目で追う。先生はリビングテーブルから何かを取ると、食卓に戻ってきた。
「例の件について協会から返答があった」
「ど、どうでした……?」
先生の言葉に、すっかり恋に焦げた心をあわてて仕事モードに引き戻した。
「特例で許可が降りる見通しだそうだ。修行期間内は私が責任者というか、窓口になる必要があるが、それで構わないか?」
「もちろんです! ありがとうございます」
きっかけは、先生が『小物の修復を専門にする魔法師として、自分の仕事を今のうちから受けるのはどうか』と勧めてくれたことだった。
とはいえ、師匠の補助以外の仕事をすることは通常認められない。たとえば先生のもとにそういった仕事が持ち込まれて、手伝いという形でなら受けることができる。しかし、それでは私のためにならないと先生は考えたらしい。
先生の元から独立した後に自力でいちから動くよりも、弟子でいる今から少しずつ地盤を固めたほうがいい……先生の後押しのおかげで協会が動いてくれたのだ。
「これ。まだ必要な手続きはあるが、少しずつ勧めていくといい」
先生の手には、協会から届いた封筒がふたつ握られていた。先生はそのうちのひとつを私に差し出す。さっそく封筒を開けて中身を確かめた。
びっしりと難しい文言が並んでいて、なんだか目にしみる。いつもよりたくさん目をしばたせながら、最後まで読みきった。先生はカップを傾けながら、何かを考えているようだった。
「君への依頼が増えれば、同じ仕事部屋では手狭にもなるだろうな」
「そ、そうですね」
「そのときは庭の離れを使おう。狭いし少しガタが来ているが、独り立ちまでの仮住まいには十分だろう……今は物置にしてしまっているので、雪が溶けたら片付けと修繕をしないといけないな」
仮住まい、という言葉が胸にトゲになって刺さる。
「では、食事の片付けをよろしく」
先生が食卓を立ち、私も少し遅れて立ち上がる。お皿を集めて、台所へ。流しでお皿を洗いながら、いろいろなことを考えた。
修行期間は通常二年だ。とはいえ、先生がルーカス先生の元に四年間いたと語ったように、師匠や弟子の事情によってはその期間が明けた後も共に過ごすことはよくあることだ。
だけど、私たちはどうなるだろう……近づけたと思ったのに、先生は少しずつ遠くなっているように感じる。
思えば先生は、もともとひとりで仕事をしていた人だ。先生のそばを離れたくないのは私だけ。先生は私の早い巣立ちを強く望んでいるのだろう。
私と先生はあくまでも師匠と弟子という関係だから、当然といえば当然、だけど。私は少しでも長くそばにいたい。
想いを言葉にすれば何かが変わるだろうか…………いいや、と私はお皿を拭く手を止める。もし恋心をぶつけてしまえば。まるでお皿が割れるように、今のささやかな幸せを壊してしまうだけだ。割れたお皿は魔法でくっつければいいけれど、離れてしまった人の心はそうはいかないだろう。
好きな人と、ひとつ屋根の下でときどき笑い合いながら暮らす。いつかくる別れの日までは、このもどかしくもあたたかい日々を守りたい。
◆
朝食の片付けを終えた後、身支度をした私は先生と玄関で向かい合っていた。いつもと違って今日は私が見送られる方だ。
今日は私にとってちょっと特別な日。午前中の数時間でいいからお休みがほしいとダメでもともとで申し出たところ、先生は快く頷いてくださった。こんな地方に住んでいると、楽しみも少ないだろうからと仰って。
「今日はわがままを聞いてくださってありがとうございます。行って参ります」
私が頭を下げると、先生は表情を柔らかくした。
「ああ、雪道は慣れていないだろうから、気をつけるように。万が一のことがあったら手紙鳥で知らせなさい。すぐに助けに行くので」
「もう。子供じゃないですから大丈夫ですよ。けど、心配してくださってありがとうございます」
玄関ドアを開くと、先生が小さく手を振ってくださった。私は手を振りかえして、一歩外に出た。目の前が白く輝いた。
「わあ、いい天気」
久しぶりの晴れ間がまぶしかったけれど、寒いことには変わりない。マフラーをきつく巻き直し、私は真っ白の道に足跡をつけていった。雪道を歩くのはまだ慣れていなくて、足取りはどうしてもたどたどしくなる。
時々雪に足を取られながらも歩いて歩いて、ようやく目的地
にたどり着いたのは、家を出てから四十分ほどたった頃だった。雪が積もると、いつもの倍くらいかかるらしい。私は懐中時計を閉じて、懐にしまった。となると、あまりゆっくりしている余裕はない。私は滑って転ばないように気をつけながら急いで歩く。
今日の目的は買い物。欲しいものは、今日入荷するらしい小説の新刊。ついでに手紙用のインクと、それから、お茶の時に摘まむお菓子。少し塩気の効いたビスケットがお気に入りだ。
そうだ、先生の好きなチョコレートも買って、お土産にしよう。喜んでくださるかな。
買い物が終わったら、お気に入りの喫茶店でスパイスティーを飲んでから帰るつもりだ。ああ、考えてるだけで楽しい。雪道でなければスキップしていただろうな。
商店が軒を連ねる通りは、年末に向けて買い出しをする人であふれ、耳が痛いほど寒いのに人いきれでむせかえりそうだった。私は、大きな買い物カゴや袋を下げた人々を避けながら前へ進んでいく。
踏みしめられた雪で滑らないように気をつけながら本屋さんに入ると、目当ての本はもう残り数冊になっていた。
私は手を伸ばして本を取り、ぎゅっと胸に抱いた。これは夏迎祭の古本市で買った冒険小説の続きにあたる新刊だ。前の巻がいいところで終わってしまっていたので、一刻も早く続きを知りたかったのだ。お休みをくださいと、先生に頼み込むほどには。
急いで本を買い、勢いがついたままお店を出たところで、誰かにぶつかってしまった。重厚で甘い香水の香りが、一瞬私を包む。
「ごめんなさい!」
しかし、相手は甘い匂いから想像したような女性ではなく、背が高く、体格の良い男の人だった。
見上げると、紅蓮とも言えるほど赤い髪が目に焼きつく。歳は二十代後半といったところだろうか。私よりも頭ひとつ高い長身を、見るからに上等な黒のロングコートで包んでいた。
「ああ、大丈夫だよ」
気安くそう言った男の人は、なぜか私の前にじっと立ったまま動かない。もしや言いがかりをつけられるのかと、身構えたけれど。
私を見つめて細くなった男の人の瞳は、麦の穂のような澄んだ金色をしていることに気がついた。
……あれ? どこかで会ったことない?
そんな考えが頭の中に浮かんだのも一瞬。すぐに既視感の正体に気づいた。
幼い日の記憶が、とめどなく噴き出してくる。迷子だった私を見つけてくれた、怪我を癒してホウキに乗せてくれた、赤い髪の魔法使い。
目の前の男の人の姿は、記憶の中にいる彼とぴたりと重なった。
えっ待って、まさか、いやそんな、いくら赤い髪が珍しくても、国じゅう探せば同じ特徴の人は他にもいるだろう。金の瞳はそこまで珍しくないのだし。
鼓動がどんどん早くなる。私がうまく言葉を発せずにいると、男の人はゆっくりと笑顔になった。
「君、もしかして……ミラヴォーの、薬種商の娘さん?」
「えっ!?」
どこか懐かしさを帯びた声色で紡がれた言葉に、私は息を呑んだ。




