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43.風邪を引く〈2〉

 きっと私が悪い、悪いから余計に、先生が自分ひとりで全て背負い込もうとしてるのがやるせなくて、ほとんど八つ当たりのように私は声を上げる。


「もう!! どうしてそんなことをおっしゃるのですか!! 無理をしてはいけません!!」


「君……?」


 先生はびくりと肩を揺らして、呆気に取られた顔で私を見る。私は止まることなく、湧き上がってきた言葉をそのまま投げつけていった。


「私が治癒魔法もろくに使えない役立たずだからでしょうか。ですが、目の前で苦しんでいる人を放っておけなんて酷いです」


 私が言い終わると、先生はしゅるしゅると体を小さくした。熱に浮かされた瞳が潤んでいる。


「違う。そういう意味じゃない。私の世話は君の仕事ではないし、君にうつすわけにはいかないと思っただけだ。寒がりだから、風邪をひきやすいのではと」


「ですが、先生のお手伝いは仕事のうちです。私のことなら心配しないでください。母が丈夫な体に産んでくれたので問題ありません。寒がりなのは弱いからではなく、単に寒がりなだけです」


「それは素晴らしいことだが……」


「なので私にお任せください。今は休むことに専念して、早く治していただいた方が私も助かります。今すぐお部屋でお休みください」


 先生はまだ何か言いたそうに目を泳がせていたけど、やがて諦めたのか、ソファーからゆっくりと立ち上がった。


「……降参だ」


 テーブルの上の手紙を集めようとして、うまくいかない先生を手伝って、手紙を束にして紐でまとめた。先生の手は熱く、早く休んでいただきたいと思った。


「おやすみなさい。薬はできあがったらすぐお持ちしますので」


 先生は体を小さくしたまま、目元を緩ませた。


「ありがとう……おやすみ」


 先生が寝室に引っ込むのを確認してから、私は薬袋を持って台所へ行った。ちょうど勝手口から入ってきたマルタさんと鉢合わせし、挨拶を交わす。


「あ、おはようございます」


「おはようございます。坊ちゃんは、朝ご飯は召し上がられましたか?」


「いえ、このとおりです」


 先生が残した食事を台所に運ぶ。パンもハムも目玉焼きも全くの手つかずで、ミルクの入ったカップが空になっているくらい。マルタさんはそれをじっと見て、何か考えている様子。


「きっと喉が痛いんでしょうね。今すぐパン粥をお作りしましょう。それと、風邪を引いた時はリンゴのすりおろしです。汗をかくと喉が渇きますから、ハーブティもたっぷりわかしましょうね。お薬は、エルシェさんが準備してくださるかしら?」


「承知しました!」


 そうして二人で台所に並ぶ。マルタさんは手際よく先生の食事の準備をする。私は、棚からホーロー鍋を探し出した。


 一日分のお薬を入れ、水を張って火に掛ける。ほどなくして湯気が立ち始め、夏の日の草いきれのような苦い香りがのぼってきた。鍋の中の湯の色は薄茶色から褐色へと濃く変わっていく。


「坊ちゃんは、生まれつきお体が弱くて。小さい頃はほんの些細なきっかけでもすぐ咳の発作を起こしてしまうので、予防のためのお薬が手放せなかったのですよ」


「そうだったんですね……」


 あんな感じの発作をしょっちゅう起こしていたなんて大変だ。大人でもあんなに苦しそうなんだから、小さい体では余計につらかっただろうなと思う。


「大人になってもひとたび風邪を召されると長引きがちで。元々があまり強くないのでどうしようもないとお医者様から聞きました」


「……そうなんですね。私も、これからは気をつけて差し上げないと」


 先生のお体があまり丈夫でないと知っていたら、優しさに甘えて毛布や上着を借りたりなんかしなかったのに。あの時感じたときめきも今はどこかに飛んでいき、ただ罪悪感だけが残っている。


 とはいえ。私がいくら後悔をしても先生の風邪は治らない。


 匂いもさらに強くなって、湯気を吸い込むとむせてしまいそうになった。もちろん味は想像したくない。ぐらぐらと鍋を煮詰めていき、水量が半分程度になったところで火を止める。これを漉せば煎じ薬の出来上がりだ。私は一回分の薬をカップに張って蓋をする。


「お薬、できました」


「わたくしのほうも終わりましたよ」


 トレイにはすでに甘い香りのするパン粥と、黄金色のリンゴのすりおろし、ティーセットが並んでいる。私は仕上げとばかりにトレイの隅っこに薬のカップを置いた。


「では、お部屋にお持ちしてきます」


「ええ、よろしくお願いしますね」


 トレイを持って階段を慎重に上がり、先生の寝室の前に立つ。ドアが少しだけ開いている。まるで私がやってくるのを待ってくれているように。


「入りますね」


 声を掛け、お行儀が悪いけどドアを足で押して開けた。先生はすでに眠ってしまったらしく、応答はない。


 北向きの部屋は、厚いカーテンが締め切られているせいで、夜と錯覚してしまうほどに暗かった。私は廊下から差し込むわずかな光を頼りに、部屋の中へと注意深く進んだ。耳を澄ませると、やや苦しそうな息遣いが聞こえてくる。


 暗い部屋の中を少しずつ、探り探り歩き、ようやく見つけた机の端に食事のトレイを置いた。両手が空いたので、眩しくならない程度にカーテンを少しだけ開ける。細く光が差し、部屋の様子が詳しく浮かび上がってきた。


 好きな人の部屋にいると思ってしまうと、胸がどうしても高鳴ってしまう。先生が固く目を閉じたままなのをいいことに、部屋の中を観察してみる。


 置いてある家具はすべて、飾り気を排し機能のみを追い求めたような簡素な作りのものだ。机の上に手紙の束と共に置かれた本は魔法に関するものではなく、東洋の歴史をテーマに書かれた娯楽小説。しおりの紐が出ている位置は、ちょうど真ん中あたり。少しずつ読み進めているのだろうか。


 そういえば、机の横にある小ぶりな書棚には、古今東西の物語の本が並んでいる。内容は古典と呼ばれるものから、流行のものまでジャンルを問わず様々だ。


「あっ、これ、面白かったよなあ」


 中には読んだことのある本も何冊かあって、親近感が増す。先生は魔法に関係のないものは読まないと勝手に思っていたけれど、そんなことはないらしい。


 本を棚にしまい、机に視線を戻す。よく使い込まれた魔石ランプの横には、あのカエルのおもちゃが行儀よく並んでいる。もらったときは複雑そうな顔をしていたのに、机に大事に飾る程度には気に入ってるんだ。これも意外でおもしろい。


 壁には、額装された植物標本が数枚飾られていた。どうやら自作のものらしく、添えられたカードには先生のサインとともに、植物の名前と日付、採取場所が几帳面に記されていた。


 それによると、国内の広い範囲で採取されていて、時期はだいたい十五年前から十年くらい前。たぶん、ルーカスさんの弟子として国中を飛び回っていた頃に採集したものだ。


 頭の中にある植物図鑑をめくる。特に珍しいものはひとつもなく、道端で見かけた何気ないものを記念に持って帰ってきたんだと思う。


 先生の辿った道に思いを馳せながら、ひとつひとつを眺めていると、その中にひとつだけ変わったものがあるのに気がついた。


 白い小さな花の標本。これにだけカードが添えられていない。けれど、私はその花をよく知っていた。


「白鐘草だ……」


 この国では南部にしか自生しない薬草の花だ。


 ちなみにこの植物の根を乾かして作った薬には、咳を鎮める作用がある。副作用が少ないから、大人から子供までよく使われる。もしかすると今日の処方にも入っているかもしれない。


 私は昔、この花を人にあげたことがある。実家の庭の片隅に咲いていたものを摘んで、花束にして。


「……君か」


 その先を思い出す前に、先生が目を覚ました。声がインク切れのペンみたいに掠れている。たった今目覚めたことを願いながら、私は言った。


「先生、お食事とお薬をお持ちしてます。食事はマルタさんが作ってくださいました。机の上に置きましたので、温かいうちに召し上がってくださいね」


 そう言って、机を指す。


「ありがとう」


「ああ、お薬は食前ですので」


「……全く嫌になる」


 先生はため息のあとにあからさまに嫌そうな顔をして、布団にくるまりこちらに背を向けた。あら、まさか、お薬が苦手ってこと? 一番下の弟を彷彿とさせる仕草に、なんだか笑いが込み上げてきた。


「もしかして、薬は私が飲ませた方がよろしいですか?」


 ベッドに腰掛けようとすると、布団の塊が大きく動いた。


「いや! 自分で飲めるので!」


 先生は真っ赤な顔で布団を蹴飛ばし、ベッドからそのままの勢いで降りた。やけにシャキシャキとした動きでカーテンを全開にし、ガタンと大きな音を立てて椅子に腰掛け、薬のカップを手に取り……鋭い目で私を見た。


 いつまでここにいるのかではなく、むしろそばで見ていろと言わんばかりだと思い、私は頷く。


「わかりました。確認させてもらいます」


「……すぐに良くなってみせる」


 先生は薬をためらいなく飲み下すと、私をまたチラリと見た。ほら見ろ、飲めただろう? そう言われた気がして頷くと、先生は勢いよくご飯を食べ始めた。


 心配だけれど、食欲があるならきっと大丈夫だよね。


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