40.星に願いを
いったいどんなお話を聞かせてくれるのだろう……私は期待に胸を躍らせながら、ひとつも聞き漏らすまいと耳を大きくした。先生は天井を仰ぎ、小さい子におとぎ話でも聞かせるようなゆったりとした口調で話し始めた。
「私も、訳あって卒後の行き先が全く決まらなかった。君と同じだ。そんな私を拾ってくれた変わり者が、ルーカスだ。今回の依頼主だな」
「変わり者……ですか?」
「ああ。とんでもない変わり者だ。誰に聞いてもそう言う。だからか、変わった人間に惹かれるらしく……私は彼の琴線に触れたというわけだ」
「か、変わってらっしゃいますかね……?」
こういう時って、どんな顔をしたらいいのだろうか。私は複雑でも、先生は笑っているけれど。
「変わっていると自分では思うよ。ルーカスはきっと君にも興味を抱くだろうな……ああ、失礼。別に悪い意味で言ったわけではないので」
「あはは、大丈夫ですよ。私だってそこそこ変わり者です」
「なるほど。つまり、私と君も似たもの同士ということか」
「ですね」
似たもの同士なんて言われたのが嬉しくなって私が笑えば、先生も私より控えめながら笑い声を返してくれる。それだけで、指先まで熱くなりそうだ。ルーカス先生についての話はさらに続く。
「彼はアストリウスを卒業後すぐに、特例で王立魔法師団の所属になり、筆頭にもなった手練れだが、まあ……どうしようもない変わり者としか形容しようがない」
さらっと放たれた一言に、私は口に含んだばかりのお茶を噴き出しそうになり……なんとかこらえた。
「ちょっと待ってくださいよ! 超絶エリートじゃないですか!!」
お茶を変なところに入れてしまって咳き込んだ私を見て、先生は目を丸くした。
そりゃこんな反応にもなる。王立魔法師団といえば、魔法省よりさらに上……つまりこの国の魔法師の頂点に立つ集団だ。
どんな高度な魔法も理解し操れる高い知性と強い魔力を求められ、厳しい審査をくぐり抜けた者のみが所属している。国王陛下へ直接進言することを許され、その身分は一生涯保障される。
それこそ一等の人が、研鑽を積んでようやく、という感じだろうに、学校を出たての人間がだなんて。前代未聞だったのではないんだろうか。
いや待って待って。さっき筆頭って言ったよね? じゃあ、この国で一番の魔法師だったってことじゃないですか。私の先生が、まさかそんなすごい人の弟子だったなんて。
思いもよらぬ衝撃でぼんやりとしている私に、先生はなんでもないことのように言った。
「……とはいえ、私を弟子に取ったのは、師団を辞めて数年経った後だがな」
また頭を叩かれたみたいな気持ちになる。
「ええっ、辞める人なんかいるんですか? あ、そっか。定年退職した後? とか?」
私の頭の中では今まで影だったルーカス先生の姿が、白ひげを蓄えて恰幅のいいおじいさんに変わる。しかし、先生は首を横に振って否定した。
「いや、ルーカスは私と十五歳しか変わらない……辞めた理由は……思っていたのと違って、つまらなかったからだと言っていた」
「ええっ、そんな理由で……?」
「そう。今はこの国の某所にある隠れ家にひとり篭って、好きな仕事だけして暮らしている」
先生の十五歳上……つまり、ルーカス先生はまだ五十歳にも満たない。さらに逆算すると、魔法師団にはほんの数年しか在籍していなかったことになる。魔法師ならほとんどの人が憧れる地位なのに、あっさりと手放してしまって。
大変失礼だけど、『どうしようもない変わり者』を行動で証明されているわけだ。世の中にはいろんな人がいるんだなあと思いながら、眉間を揉んだ。先生はカップに二杯目のスパイスティーを注ぎ、唸る私にも小鍋を掲げて勧めてくれた。
「いただきます」という意味でカップを差し出す。火にかけられたままだったからか、さっきより煮詰まって香りが濃くなっている。甘い香りを胸いっぱいに吸い込んで、私はため息混じりに言った。
「すごいなあ、私なら……そんなところまで上り詰められたら何がなんでもしがみつくと思います。将来の心配もしなくてよさそうだし」
「君は堅実だからそうかもしれないな。だが、ああいう集団の中には、嫌なしがらみが多かったり、計略が渦巻いているものだ。彼のように純粋で自由な人間が、馴染めなかったのは想像に難くない」
「ああ……」
求められる仕事が難しいとか、大変なだけではないのだ。上に立てば、背負うものも大きくなる。魔法学校ですらそうだったのだから、きっと夢や希望だけではやっていけない。
「というわけで、ルーカスの元に弟子入りした私の仕事は、彼の使い走りをするのが主だった。色々と言い訳をして外に出たがらない彼の代わりに、ホウキにまたがって、国じゅうを飛び回ったものだ。危ない目にも遭ったし、忘れられない出会いもあった」
「国じゅうを、ホウキで……飛びまわった!?」
思わず声が裏返る。だって、完全に私の大好きな冒険小説の世界だから。
「ああ。まあ、詳しく話すととても長くなるので、またの機会に……とにかく、ルーカスと生きた日々は、魔法を磨く期間にだけにとどまらなかった。この身に流れる血は変えられずとも、これからは自由に生きていいのだと知った。おかげで過去に縛られることなく、復讐なんて愚かなことを考えず生きていられる」
復讐、という言葉の響きと、ほんのり険しくなった顔に一瞬身がすくむ。私は冷たくなった喉にお茶を流し込んでから、努めて明るく尋ねた。
「どのくらい、ルーカス先生の元で働かれていたのですか?」
「四年ほどだったか。必要な資格と資金を得たタイミングで、独立して、シュネハイムに移った。人付き合いは得意ではないから
最初はどうなるかと思ったが、町の人たちが受け入れてくれたおかげで仕事も軌道に乗った。良い暮らしをさせてもらって、満足している」
私は安心して息をついた。先生の声は、もう暗い過去には囚われていないようにのびのびと響いたからだ。
「先生は、幸せになれたのですね」
「ああ。明日が来るのが楽しみだと思えるから、つまりそういうことだろうな」
「じゃあ、今いちばん楽しみなことって何ですか?」
先生の笑う顔がもっと見たくてうきうきと尋ねると、なぜか先生は笑顔をそのままに眼差しだけがどこか寂しげなものに変わった。
「君が私の元を離れる日、かな」
「えっ?」
ひゅうと、足元に冷たい風が吹いた気がした。思わず窓を見たけれど、ぴっちりと閉まったままだ。
「何せ初めて取った弟子だから、独り立ちの日が楽しみなんだ」
「そう、ですか……」
「……楽しみだが、君に助けられてずいぶん楽を覚えてしまったから、ひとりに戻るのは大変かもしれないな」
先生はすっかり残り少なくなったカップを傾けて、ぼそぼそと言う。ストーブの炎に、魔石ランプの揺れる灯りが重なって、先生の表情をはっきり浮かび上がらせた。私の話をして優しげに細められた目に、胸が締め付けられる。
お願いです。そんなこと笑顔で言わないでください。私はこのままがいいのです。先生の隣がいいのです。
だけど、先生の見つめる先に私の姿はない。駄々を捏ねられるわけもない私は、黙ってカップの水面に浮かぶランプの明かりを見つめた。
一人前になることは、先生との別れを意味していることに気づかされた。何よりも望んでいたのはずなのに、その日のことを思うと今にも泣き出しそうになってしまう。
野ねずみと笑われた私を拾って、夢を繋いでくれた。それだけではなく、確かに魔法使いだと認めてくれた。私にしかできないことがあるといってくれた。
あなたを知るたびに、愛しいと思う気持ちが大きくなっていくばかりなのです。
好きだと叫びたくなる気持ちと涙を堪えて唇を結ぶ。揺れに動じてはいけない。気持ちは決して溢れさせてはいけない。
私は、先生を困らせたいわけではないのだから。
「君、窓の外」
先生が急に懐中時計を開き、はっとした顔をしてから、魔石ランプを消した。私も慌てて目線を先生が示した方へ投げる。暗さに目が慣れなくて、なかなか星が見えてこない。
「流れ星が来るぞ。もうそんなに経っていたか。ここから観測する」
「わかりました、お願いします」
先生は慌てたように通信機を準備すると窓を開け、望遠鏡を構える。私も大急ぎで計算用紙を広げた数秒後、星空をひときわ明るい流星が駆けた。
そうだ……私は先生が数字を読み上げ始めるまでの一瞬で、とっさに願いを紡ぐ。
――どうか、先生がこれからもずっと幸せでいられますように。
もうひとつの願いは胸の底へと沈め、私は無心で計算用紙にペンを走らせた。




