39.告白
「では次は……」
「はい、お願いします」
静かな夜闇に、魔石ランプの青白い灯りが揺れている。
先生は計測器具越しに空に注目し、私はテーブルに広げた計算用紙に向かっていた。私は先生が観測した結果をもとに速やかに補正値を計算して結果を渡し、先生はそれをルーカス先生に向かって読み上げていく。
魔石が組み込まれた通信機が地面の上でホタルのように淡い光を放ち、それに呼応して、先生の耳飾りも脈打つように光っている。
先生の声が澄んだ夜空に吸い込まれていくのに私はじっと聞き入った。ルーカス先生の声は私に聞こえないので、不思議な感じがする。
先生がルーカス先生とやりとりをしている間、私はペンを置いて、必死で手を擦り合わせていた。寒い。先生お手製のキノコのスープをお腹いっぱい食べて温まったはずなのに、すこし時間が経つと体の末端からどんどん冷えていく。
今日ばかりは先生にいい格好をするのを諦めて、まん丸に着膨れているのにそれでも寒い。歯が鳴りそうになるのを必死でこらえてたら、歯も顎もしみじみと痛くなってきた。ていうか、まだ秋なんだけど? こんなことで、この土地の冬を乗り切れるんだろうか。
「君、大丈夫か?」
はあはあと必死に指先に吐息を吹きかけて耐える私に、通信を終えたらしい先生が心配そうに言った。
本当は寒いなんて言えるはずがなく強がって何度も頷くと、先生は「うーん」と、困ったような唸り声を上げる。
「君は暖かい地域の生まれだから、もしや寒いのが苦手なのでは?」
「うっ……」
はい、そのとおりです……観念して渋々頷いた私を見て、先生は長い長いため息をついた。かっこ悪くなってしょんぼりしていると、先生はなぜか上着のボタンを外し始めた。
「まあ、私は慣れているので」
何が起こっているのかわからずに瞬きをしていると、急に体が重く、温かくなった。先生が自分の上着を私に掛けてくれたのだと、少し遅れて気がついた。温かいだけじゃなくて、先生の匂いがする。まるで後ろから抱きしめられているみたいだ。
「ふあっ……」
あまりのことに、変な声しか出せなかった。胸のあたりが音を立てそうに締まり、甘さと切なさが絡まって痛みに変わっていく。
切り傷のような、はたまた火傷のような。ああ、きっとこれが恋煩いなんだろうな、と思う。先生への気持ちを隠した箱の蓋が今にも開いてしまいそうになったので、お腹を守るように上着の中で肩を丸めた。
「すまない。余計な世話だったか」
先生は小さく言った。だけど、『胸が痛くなるほどときめいているだけです』なんて言えるはずもない。
「いいえ、ありがとうございます。うれしいです」
私は内緒話をささやくように返すので精いっぱいだった。
◆
その後、ルーカス先生ともう一度やりとりをした先生が懐中時計を開きながら言った。
「次はだいたい一時間後らしい。少し空くから、小屋で休憩しよう」
それを聞いて、私は計算に使った道具を急いでまとめて立ち上がる。
「ストーブに火を入れておきますね」
「任せた」
私は山小屋の中に入り、窓から差し込む月明かりを頼りにストーブと向かい合った。マッチを使ってもいいけれど、私も魔法師の端くれ。今日は魔法で火をつけることにする。
魔法で火を生み出す方法は高度な精霊魔法をはじめとしていくつかあるけれど、魔力の少ない野ねずみにはどれも難しい。だけど、少し工夫をすれば火をつけることはできる。私はストーブに向かって呪文を唱えた。
『火花、咲いて』
火打石を使うときと同じ要領で、あらかじめストーブの中に設置していた火口目掛けて火花を飛ばし着火させる。息を吹きかける代わりに、そよ風を起こして火種へと導く。
するとストーブの中で火はみるみる育ち、赤く燃えはじめた。
よし。ひとりで頷いていると、小鍋を片手に入ってきた先生が、感心したように言った。
「上出来だ」
「ありがとうございます」
ストーブの上にのせた小鍋に湯が沸くと、先生は茶葉入りの小袋を投げ込んだ。相変わらずの流れるような手つきに見とれているうちに、甘い香りが漂ってくる。初めて嗅ぐものだった。
「……? いつものお茶じゃないですよね?」
「ああ。温まるようにスパイスを混ぜたものを選んだ……ああ、すこし甘くしても?」
「はい、お任せします」
私はいつもは砂糖は入れないけれど、今日は先生に委ねることにした。先生は煮出したお茶をふたつのカップに注ぐと、どこからか取り出した小瓶から蜂蜜を垂らしてかき混ぜた。
「どうぞ」
「いただきます」
礼儀正しく差し出されたカップを受け取る。ふわりと立ち上る芳しい香りに、顔が勝手に緩んでいく。ふうふうと冷ましてから口に含めば、まさに今流れている時間のように甘い味がして、疲れた頭と体にじんと染み渡っていく。指先が温まると同時に、耳の中で心臓の音がうるさくなる。
「……美味しいです」
「よかった」
ベッドに腰掛けて毛布を肩に掛けると、先生が自分の分を膝に掛けてくれた。先生はそのまま向かいのベッドに座り、私をじっと見つめている。
「寒くはないか?」
「はい。先生こそ、薄着で大丈夫でしょうか」
「寒さには慣れていると言っただろう。君の方が心配だ」
「すみません。実は寒いのがすごく苦手で……学術都市の冬もかなり堪えたんです」
ここよりずっと南にある私の故郷は、かなり温暖な地方だ。いちおう冬と呼べる季節はあるけれど、雪はほとんど降らないし、氷が張ることも珍しい。
魔法学校の進学後、私は寒さという試練にもぶち当たった。最初の冬はあまりの寒さに絶望して、ひどいホームシックにかかってしまったくらいだ。五年暮らしていくらか慣れたとはいえ、今も苦手なのは変わらない。
「そうか。正直に教えてくれてありがとう。冬支度はしっかりしなければな」
「も、申し訳ないです……」
「いいや、君に凍えられたら困るので。しかし、それならここの冬はつらいだろうな」
シュネハイムは学術都市よりさらに北にあり、冬になると雪に覆われるそうだ。凍てつく空気や、一面の銀世界を想像するだけで震えがくるけれど。
「苦手というだけで、嫌いというわけではないんですよ」
「というと?」
先生は不思議そうに首を傾げる。確かに寒いのは苦手だけど、冬の日の出来事は、どれもこれも家族団欒の記憶につながっているからだろうと思う。
「母が手間暇かけて作ってくれたスープがすごく美味しかったとか、寒がった子供がみんな両親の寝室に集まっちゃって、ひとつのベッドに家族五人で固まって寝たとか。珍しく降った雪に、みんなで大はしゃぎしたとか……楽しい思い出がとても多いんです」
「そうか。君はご両親にとても愛されていたのだな」
「先生のご家族ってどうでしたか? 先生がお優しいのは、ご両親譲りですかね?」
それまでは淡い笑顔を浮かべて、ときおり頷いていた先生は凍ったように固まってしまった。何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。
しばらくの沈黙の後、何事でもないように、けれど少し思い切ったように、先生は言った。
「家族とは縁を切っている。家を出されてからもう二十七年ほど経つ」
久々に聞く、温度のない声だった。まるで崖から落っこちるみたいに、全身の血がさあっと引いていった。
「すみません。私、何も考えず」
しまった……失言だった。胸の奥がみるみる冷たくなっていく。二十七年前、ということは、どう考えても子供の頃の話だ。世の中にはいろんな境遇の人がいるのを忘れていた。私は自分の言葉を恥じる。
「大丈夫。君の発言は全く気にしていない。血の繋がった人間は捨ててしまったが、だからといって孤独だったというわけでもない。マルタや、ルーカスがまるで我が子のように気にかけてくれた。家族ではないから、君がご両親から受けた愛情とは違うかもしれない。しかし、ふたりに恥じるようなことはできないと思っている」
先生は、お茶を一口飲むと、私を見つめて微笑む。
「だから、話したいことは遠慮なく話していい。むしろもっと聞かせて欲しいと思う」
「あの、えっと……」
「知りたい。君のことならなんでも」
どきっとした。穏やかなのは表情だけではなく、声もどこか甘く、柔らかい。
気のせいでないなら、先生が前より近くなっている。私は思わず首を横に振った。いやいや、妄想だ。これは恋をしているせいでそう思えるだけ。もしくは小さな山小屋でふたりきりという特殊な状況だから。単に先生は弟子のことはきちんと把握しておきたいだけだ。
「わかりました。これからは、何でも隠さず話します……」
「そういう意味ではないのだが。まあいい。君に教えて欲しいというのなら、私も何か明かさねばな。聞きたいことはあるか?」
「えっと……そ、そうだ、どうしようかな」
聞きたいことはたくさんあるものの、無難なものがわからない。再び傷口に触れてしまってはならないと必死で頭を回していると、先生はふっと笑う。
「興味がないのなら、無理にとは言わないが」
「そんな! えっと、じ、じゃあ、修行期間の話が聞きたいです。差し支えない範囲で……」
「……分かった。つまらないかもしれないが、話そうか」
ランプの火が揺れるのを合図に、先生は話を始めた。




