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38.山小屋にて

「先生おひとりならホウキで飛んでいけましたよね……」


 ホウキに乗れない私が『行きたい』なんて言ったから、先生は歩いて行かざるをえなかったのではないだろうか。無理やりついてきたようなもんだしなと肩を落としていたら、先生は泉の水が入ったカップを揺らしながら穏やかな声で言った。


「いや、君が来る来ないに関わらず、この辺りは風が乱れやすいのであまり飛びたくない。仮にひとりで行くとしても、徒歩を選んでいたと思う」


「ああ、そういう……」


 飛行学の授業で確かに覚えたはずなのに、すっかり頭の片隅に追いやられていた。好きなことと必要なことはすぐに取り出せるけど、使わない知識はすぐ埃をかぶってしまうものだ。先生は言いにくそうに続ける。


「つまり、ホウキが得意ではないだけだ」


「すみません。先生はなんでもできるのかと思ってました」


 先生は水を一気に飲み干すと、空っぽになったコップの縁を拭った。


「とんでもない。私にも苦手な魔法はあるぞ。特にホウキはだめで、若い時に散々失敗をしている。転移魔法はそこまで苦手ではないが、あまり好きではない」


「酔っちゃうとかですか……?」


 ホウキの乗り心地は船のそれに例えられることがあり、酔う人もたまにいるんだとか。酔うといえば……先生は全くお酒を口にしないなあと、少し考えが脱線する私。先生の眉間や口元からはすっかり力が抜けて、苦笑いの顔をしている。


「そういうわけではないが……地に足が着いている方が安心するのが理由だが共感はされないな。確かに一瞬で済むことにわざわざ時間をかけているから、非効率という指摘は正しいのだが……単なる好き嫌いの問題だ」


 先生は転移魔法もめったなことでは使わず、アストリウスにも片道三時間近く掛けて列車で通っている。列車で移動するのは普通の人間にとっては自然なことだけど、魔法使いの間では変人扱いされがちだ。


「私はたくさん歩くのも、列車に乗るのも好きです。もし飛べたとしても……そっちを選んじゃうかも? ううん、わからないですね。飛べたら楽しいだろうな、とは思ってます……」


「流れる車窓の景色や、地面や空を見ながら歩くのが好きだ。こうして、良い出会いがあることもあるので……」


 ほら、と、先生が指さした朽ち木の根元に、立派なキノコの株が生えていた。市場でよく見かけるおいしいキノコだけど自生しているのを見るのは初めてだ。


「すごい! こうやって生えてるんですね……初めて見た……」


「せっかくだから、夕飯の足しにしようか」


「いいですね!」


 先生は腰に下げたバッグから折りたたみナイフを取り出し、慣れた手つきでキノコをサクサクと採り始めた。ナイフの音を聞きながら、私の頭の中は夕食のことでいっぱいになる。直火でこんがりと焼いてもいいし、スープに入れるのもおいしい。


「どうやって食べますか?」


「まあ、それは歩きながら考えるとして……ついでにそこらの木の実も拾うぞ。煎れば甘くて、いい茶請けになる。穴の開いていないものを集めてくれ」


「あはは、虫は食べたくないですよね」


 先生はひとつ拾った木の実を勢いよく放り投げた。虫食いだったんだろうな。


「まあ、食べられないことはないが……食べずに済むに越したことはない」


「食べたことあるんですか!?」


「どうだろうな……」


 先生は冗談めかして言いながら、木の実を次々と布袋に入れていく。まるで仕事のことなど忘れてしまったかのように楽しんでいるようだ。私も宝探しをするみたいに、夢中で木の実を拾った。


 ◆


 そこから少し歩くと、木々の中に佇む小さな山小屋に辿り着いた。


 荷物を置いてから、ぐっと伸びをして大きく息を吸う。隣では先生も私と同じようにしている。たったそれだけのことが何だか嬉しい。


 山小屋の中には小さなストーブと、簡素なベッドと椅子がふたつずつ。それから洗面台。小さなテーブル。調理器具が詰められた棚が置いてあり、それだけでいっぱいになってしまう広さだ。


 煮炊きのためのかまどと、食事スペースは屋外にあった。丸太をぶった切って作った椅子と、板を組んで作ったテーブル。素朴で無骨。


 私は、とんがり屋根を見上げて目を細める。ああ、かっこいい。ときめきが止まらない。山の中の小さな隠れ家は、私が子供の時から憧れていたものだからだ。


「まさか先生がこんなに素敵な秘密基地をお持ちだったなんて……」


 かまどのそばで何かしていた先生が、私の独り言を聞いて声をあげて笑った。


「秘密基地か。言われてみればそうだが、残念ながらこれは私の持ち物ではないぞ。モレル先生が山ごもり……つまり野外調査の拠点にするために建てたものだ」


 モレル先生と言えば、先生がお祭りの日に話していた中等学校の先生だ。確か、自然科学分野が専門だと聞いている。ここでどんな調査をされるんだろう。機会があればぜひお話を聞いてみたい。


「女の子ってだけでいつも仲間外れだったんです。念願叶って嬉しいです!」


「……それはよかった。さて、今回はまず、モレル先生から受けた仕事をする」


「え? は、はい……」


 聞いていなかったけど、今日先生に仕事を依頼したのはルーカス先生だけではないらしい。うーん、私以外の登場人物が全員先生でややこしい。


 混乱しかけている私をよそに、先生はさっさと小屋の裏手に回り、「これか」と言って大きな木桶の蓋を開けた。木桶は最近置かれた物のようで、真新しい。洗濯桶をそのまま腰の高さくらいまで深くしたような感じだ。


「君、井戸の件を覚えているか」


「はい。それはもうはっきりと……」


 私の汚点でもあり、転機でもある出来事なので忘れるはずがない。森の中にある井戸から魔法であちこちの竪穴に水を呼んでいた集落での出来事だ。


 長期の休眠状態に入った魔法を、ひょんなことから私が無理やり起こしてしまった。しかし野ねずみにはうまくあしらうことができずに井戸に飲み込まれ……まあ、もうこの話はいいか。


「あの時の話をモレル先生にしたところ、かなり興味を持ってな。この山小屋に同じような仕組みで水を引けないかと」


「そうだ、普段はどうされてるんでしょう?」


「ここを下ったところにある沢から、都度バケツで汲んでくるそうだ」


 先生がここに来る時に上がってきたのとは別の斜面を指差ながら言った。ゴロゴロと石が転がり、さらには木の根があちこち張り巡らされていて足場が悪そうだ。


「水源の方が低いなら、そうするしかないですよね。けれど、バケツを持って上るには大変ですよね」


「そう。と言うわけで。この小屋に水呼びの魔法を設置して、この桶の中に沢の水を呼ぶ。それがモレル先生からの依頼だ」


 先生は、肩掛けカバンから大切そうに布包みを取り出した。中に入っていたのは、手のひらにのるほどの大きさの正方形の石板だった。ベッカーさんに依頼して魔法陣を彫ってもらったそうだ。よく見ると、私が魔法陣の基本設計をしたものだった。


「そして、魔法の起動には所持に資格が必要ない小型のマナカイムを用いる」


 先生はそう言って、今度は小さな箱を取り出す。中には魔石と金属を組み合わせて作った、小瓶のような形の魔道具が収められていた。私はその輝きに目を奪われ、前のめりになってしまった。


「わあ、実物は初めて見ました」


 マナカイムというのは、魔力を吸わせて溜めておける魔道具だ。上手く使えば、野ねずみの私にも扱える魔法の幅が大きく広がるから、以前から欲しいと思っていたものだ。


 しかし、残念ながら見習いには手の届かない値段。お金を貯めて、いつかは買おうと思っているけれど。


「モレル先生は当然魔法が使えないので、私が魔力を充填して、この石板に触れてもらう。魔力が解放されて魔法が動く。水を呼べるのは一度限りになるが、この桶を満たせれば、二、三日の滞在には充分だろう」


「便利になりますね!」


「ああ。この手の魔法は定期的に手入れに回らないといけないから、誰これ構わず受けるわけにはいかないが……モレル先生には世話になっているし、ここには私も年に一度は訪れるから、今回は受けることにした」


 先生は山小屋の室内、ちょうど桶の真裏にあたる壁に石板を設置した。


「魔力を流すぞ」


「はい」


 私は外で桶を見張る係だ。数秒後、桶の底から澄んだ水がぶくぶくと湧いてきて、桶を八割ほど満たしたところでピタッと止まった。水面に木漏れ日が反射して、きらきらと揺れている。


「先生! ちゃんと溜まりました!」


 私の声を聞いて、先生が窓から身を乗り出した。


「よし、量も問題なさそうだな。これでひとつ目の依頼は終わりだ。茶を飲んだら、そのまま夕飯の支度をしよう」


 淹れたてのお茶が入ったカップから、湯気がほこほこ上がっているのを見ながら、私はお皿の上で転がっている木の実をどうしようか考えていた。いやまあ、いつもなら歯でバリバリ割っちゃうけど、私もいちおう年頃の女子だ。


「君、こうやるんだ」


 先生は悩む私に見本を見せてくれるという。もしかしたら魔法で綺麗に割るのかもと思っていたけれど……そんなことはなかった。先生はなんの躊躇もなく木の実を前歯で割ると、中身を器用に取り出した。


「……ありがとうございます」


 ここまで来て、恥じらったって仕方ないか。私は猫を被るのはやめ、木の実の殻を思いっきりかじって割った。


 降り注ぐ秋の日差しと、口に広がるほっこりと甘い味。なにより先生のなんとなく楽しそうな顔に、心が温かくなった。

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