37.変わった依頼
季節は秋。よく晴れた空の高い位置には、鱗のような小さな雲が密に並んでいる。庭のサクラの葉は緑から徐々に夕焼けのような色に染まり、パラパラと散り始めていた。日中は涼しくて過ごしやすいけれど、朝晩は冷えると感じることが多くなってきた。
布団を厚いものに変え、朝食には温かいミルクが添えられるようになった。噛むようにゆっくり甘みを楽しんでいた私は、先生の一言に目を丸くした。
「今日の仕事は早めに切り上げたい。そうだな、十五時終業にしよう。夕食と入浴も一時間ずつ早めて、私は少し早めに休むつもりだ」
「わかりました……えっと……」
この家に来てもう半年とすこし経ったけど、仕事を早く切り上げるなんて初めてだった。私が理由を求めて目を瞬かせたのが通じたのか、先生はミルクをひとくち飲んでから話を続けた。
「実は明日、儀式魔法の補助の依頼が入った。夜通しの仕事になる。場所もここではなく、町の外れにある山に出向こうかと」
「山……ですか?」
私はコップを置くと、頭の中で暗記したシュネハイムの地図を広げる。ここから西にずっと行ったところに、隣の街との境目を示す垣根のように山がある。確か、初等学校の遠足で登った山と大差ない低山だったはず。
「そう。訳あって現地には行けないので、今回は魔道具で通信しながらの補助になる。なので高台で、かつ周りに民家がない場所が望ましい」
「ああ、だから山なのですね。儀式魔法ということは、依頼主は……同業……魔法師からですよね?」
魔法師に依頼をするのは魔法が使えない人にとどまらない。他の魔法師からの依頼を受けることも意外と多いのだ。先生は頷いてから言った。
「そう。ルーカス……ああ、私の師匠からの依頼だ」
「え、お師匠さんから!?」
私が驚くと、先生はまた小さく頷いた。
魔法学校を卒業後は、一等魔法師に弟子入りして学ばなければならないのだから、先生にも当然お師匠さんがいる。ルーカス先生か。先生を育てた魔法師はいったいどんな人なんだろう。
おそらくお師匠さんのことを思い浮かべているであろう先生は……珍しく唇を尖らせ、さらには不貞腐れた少年のように頬杖をついて、ぶつぶつと呟き始めた。
「ああ。久々に連絡をよこしてきたと思ったら急に……他の予定が入っていなかったから良かったものの……本当にいつも急だ、急に湧いた話でもないだろうに」
「いきなりだったのですね」
「ああそうだ。こちらにも都合があるというのが頭にないんだ。全く、困った人だ」
辛辣な言葉とは裏腹に、別に怒っているわけではないようで口元は笑っている。なんだろう……振り回されるのを楽しんでいるように見える。師匠さんはどんな方なのかと想像がむくむくと膨らんでいく。
「ちなみに、具体的に何をするのですか?」
私が尋ねると先生は途端に仕事の時と同じ顔になったので、背筋が自然と伸びる。
「今回は星の観測をし、魔力安定化補正の計算式に当てはめて計算、補正値を随時伝える。ルーカスも普段は私と同じようにひとりでやっているのだが……明日は流星群が来るので、ややこしくなるからと」
「確かに。観測をして、計算をして、それから魔法を……ひとりでは大変ですね……」
「君なら当然知っているとは思うが、星や月は魔力の流れに影響を及ぼす。普段使いで精度を求められないものならまだしも、複雑で高度な魔法を使うときには充分考慮しなければならない」
「歪みが無視できないほど大きくなってしまう……」
私がつぶやくと、先生は頷く。しかも流星……落ちる星に引っ張られて魔力が大きく揺らぎがちで、計算はさらに複雑になる。私は計算は得意だけど、魔法を使いながらなんてちょっとしんどそうだ。
ちなみに私の修復魔法も精度が命だけれど、魔力を流す時間が一瞬なのでそのあたりの影響はほぼ受けない。
「さて。今回の依頼は機密事項を含むので君にも詳細は言えないが、ほぼ夜通しの作業になる。なので、明日は山に泊まってくるつもりだ」
つまり、野営をするのだ。外にテントを張り、焚き火で煮炊きをし、寝袋で寝るのかもしれない。想像するとあまりにも楽しそうで心がうずく。しかし、現実的なことを考えると……。
「では、私はご一緒できないですね」
「ああ……」
また留守番を言いつけられるだろう。珍しい仕事なら勉強のために見たかったし、何より先生と一緒にいたかった。けれど、必要とされていないのについて行ったらお荷物になるだけだ。
「わかりました。留守はしっかりお守りしますので」
先生は椅子に座り直し、肩をすくめた私を見て何かを考えているようだった。
「……まあ、君は頭が回るし手もよく動くから、計算と記録をしてもらえると非常に助かるが……」
「は、はい」
「いやしかし、山の夜はかなり冷えるか……身体を冷やしてしまう。良くないな」
そう言って、先生が窓の外に目をやる。今は暖かな陽射しが注いでいるが、沈んでしまえばとたんに肌寒いほどになる。標高が上がればもっと寒くなるだろう。だけど私は、先生の弟子なので。先生を助けるのが仕事なので。
「あの、お役に立てそうでしたらお供します。できるだけたくさん着込んで行きますので」
私が前のめりで声を上げると、先生は驚いたのか身を引いた。そのままでまたしばらく考えて、先ほどより大きく頷いた。
「……では、ついてきてもらおう。明日は朝食後に出発するので」
◆
翌日の朝になった。昨日に続き空はよく晴れていて、風も穏やか。まさに絶好のお出かけ日和だ。
「よっこいしょっと」
朝食の片付けを終えたので、先生が貸してくれた大きなリュックを持ち上げる。中には先生に指示された通り、毛布と防寒具と、記録用の道具を昨日のうちに詰めた。
そこに先生と二人で作った昼食用のお弁当、わずかな隙間にはお菓子を入れて準備は万端。あくまで仕事のためだけど、まるで遠足に行けるようでウキウキする。
「よし、行こうか」
そう言った先生はさらに大きなリュックを背負っている。
「はいっ!!」
フリッツさんが迎えに来て、山の入り口まで荷馬車で送ってくれた。
「ふたりとも、気をつけてな」
「ありがとうございます。助かりました。迎えの時間は鳥で知らせますので」
先生と私が頭を下げると、フリッツさんはカッカと笑って言った。お馬さんも得意げに鼻を鳴らしている。
「了解! じゃあ、また明日な」
「ありがとうございました!」
遠ざかる荷馬車に手を振って、私たちは山に入った。
木漏れ日が差す木立の中を、転がる石や木の根を避けながら慎重に歩く。道のりは思ったより緩やかで、景色を楽しみながらの散歩でもするようにどんどん進んでいく。
しかし……しばらく歩くと足が重くなり、一気に速度が落ちる。やはり緩やかでも登山は登山だった。小さい頃はあちこちを走り回っていた私も、魔法学校に入ってからは運動らしい運動はしていない。どうやら気付かぬうちにすっかり体が鈍ってしまったようだ。
一方、先生は私より大きな荷物を背負っているのに、その足取りはとても軽い。歩かない生き物の筆頭である魔法使いなのに、先生は意外と健脚なのだ。
私は息をつきながら、するすると斜面を上る先生を見つめた。細い背中が逞しく見えて『素敵』と思うのを抑えられない。いけない、またときめいてしまった。
固く紐をかけた心の中で、先生を好きな気持ちがどんどん育っている。見て見ぬ振りをするつもりはないけれど、外に出すつもりもない。私だけの宝物として大切に抱えていこうと思う。
「大丈夫かー?」
気づけば先生はずっと先にいた。
「ああっ!! すみません!! 大丈夫でーす!!」
「待っているから、ゆっくり来るといい」
ようやく斜面を上がりきったところに小さな泉があった。木漏れ日を反射して自ら光っているみたいだった。覗き込んでみると底まで透き通って、とても綺麗な水なのがわかる。
「飲めるのかな?」
「ああ。そのまま飲んでも大丈夫だ」
先生に渡されたカップですくって飲んでみる。普段飲んでいる井戸水よりもすっきりした味がする。何が違うのだろう? と考え込む私の横で、先生は懐中時計を開いていた。
「少し早いが、昼食にしようか」
「はいっ!」
泉のそばにあったちょうどいい倒木に腰掛けて、お弁当を開いた。中身はパンにハムとチーズ、野菜の酢漬けを挟んだサンドだ。マルタさんから直伝されたらしいレシピを、朝食の準備のついでに先生と二人で作った。
手を合わせて簡単なお祈りをして、ぱくりとかじりつく。お酢の酸味が疲れた体に染み渡る。先生はサッと食べ終えて立ち上がると、カップに水を汲んで戻ってきた。
「あと一時間も経たずに到着する。ここからは険しくない道なので」
「わかりました!」
このとき、枝葉の合間から見える空を黒い鳥が飛んでいくのが見えた。名前は知らないけど、この町のあちこちで見かける鳥だ。普段は山にいるのかもしれない……って。
少し尾が長いシルエットは、ホウキに乗った魔法使いによく似ている。私は、とんでもないことに気がついてしまった。




