33.夜、踊るふたり
楽しい時間は、駆け足で過ぎてしまうもの。今日は昼がいちばん長い日、というわけで空はまだ明るいけれど、時刻はまもなく十八時になろうとしている。夏迎え祭もそろそろ佳境に差し掛かる。
広場の真ん中で、焚き火の炎を囲んで街の人々が踊り始めた。この踊りは夜遅くまで続くらしい。私と先生は、夕飯を買いに行く途中の足を止めてその様子を眺めた。
力強い太鼓のリズムに笛や弦楽器の優雅なメロディが乗り、ひとつの音楽を作り上げる。たとえるなら、性格がまるで違うふたりが、息の合うコンビネーションを見せてくれるように。
実家のある南部地方の音楽とは明らかに違う調べだけど、やっぱり身体が勝手に動き出しそうになる。音楽にも魔法の力が宿っているような気がする。
ふたりひと組で手を取り、太鼓に合わせて手を叩き、軽快なステップを踏みながらくるくる回る。中には伝統的な民族衣装を着ている人もいて、精緻な刺繍で華やかに彩られたベストの下で、たっぷりとしたスカートの裾が動きに合わせてひらひら波打つのが美しい。
「あっ、マルタさんがいますね」
「ああ。いつも夫婦で踊っている」
マルタさんがフリッツさんと一緒に踊りの輪にいるのを見つけて、手を振ると目線で答えてくれた。ふたりは揃いの刺繍を施した民族衣装を着て、年齢を全く感じさせない軽快な動きで、息もぴったり。いっそう心が弾んできた。
音楽が終わる。ご夫婦がこちらを向いて一礼したのに、惜しみなく拍手を送った。
「素敵でした!」
「……そうだな」
人々がぞろぞろと動き出すのを眺めていると、隣に立っていたご夫婦らしき二人組が、「せっかくだから踊っていこうか」と輪に入っていった。
私はその二人を目で追いながら、来年のことを思った。マルタさんに教えてもらって、あそこに混ざろう……でもこの踊りはひとりでは踊れない。まずは一緒に踊ってくれる男性のパートナーを探さなければならない。
けど、それは私にとってどんな複雑な計算よりも難しいんだよなあ。魔法使い泣かせの三重圏計算や魔力安定化補正よりもずっと。
「いいなあ、楽しそう」
ため息混じりにそうこぼした私の目の前に手が伸びてくる。それは、もうすっかり見慣れたペンだこのある大きな手。顔を上げる。
「お嬢さん。よろしければ、私と一緒に踊りませんか」
先生が、まるで教科書でも読むような口調で、少し目を逸らしたままで言った。いつもは涼しい顔も焚き火の明かりに赤く照らされて、少し熱をもって見える。
先生、演技が下手って言われませんか? と言いたくなるのを飲み込んで、私は差し出された手を取った。指先が触れた瞬間から、鼓動が少し駆け足になる。先生の手はさらりとして暖かい。
「……よっ、喜んで」
自分の声がガチガチでびっくりした。きっと変な顔をしてるはず。あはは、私も大根役者には違いないらしい。
そのまま先生に手を引かれ、ふたりで踊りの輪に飛び込んだ。先生は両隣のペアに軽く目礼すると、私に目を合わせた。
「とりあえず周りを真似ていればいいだろう」
「わかりました」
先生がまるで仕事を言いつける時のように言うから、私も努めて同じように答えた。けれど手をつないだままなせいか、心臓もずっと忙しそうに動いている。気持ちの置き所がわからない。
なんだろう。楽しいのには変わりないけれど、もっとくすぐったくて、現実にいながらにして半分夢の中に突っ込んでしまったような、そんな感じだ。
心を漂うふわふわとした感情の名前を考えているうちに、音楽が始まって人の輪が動き出す。私と先生もその流れに乗り、足を踏み出した。
先生の表情は、音楽に乗っていても、私との距離が近くても、良くも悪くもいつも通りだった。周りを見ながら、おっかなびっくりステップを踏む私。対する先生は慣れていらっしゃるのか、やっぱり上手い。つまずきそうになってしまう私をさっとフォローして、どんどん引っ張っていってくれる。
踊ったことがあるのかな? だとしたら誰と? 相手は大人の男性なんだから、経験があったとしても当然だけど、楽しい気持ちがほんのりと翳って胸の奥がざわざわしだす。どうしてそんな気持ちになるのかわからない。
余計なことを考えていたらまた足がもつれる。下手だって思われてたらどうしよう。
「すみません、あんまり上手にできなくて」
「大丈夫だ。私も今までは見ていただけで、今回初めて踊る」
「そうなんですか!?」
先生は、とうとう転びそうになった私のことを支えつつ眉一つ動かさない。温度差がすごい。ああ、私ばっかり熱くなっている。恥ずかしい。
「ああ。まあ、なんとかしてみせる……失礼」
音楽がわっと盛り上がるタイミングで、先生は私の腰を掴んで、体をぐっと引き寄せた。さっき他の人が踊るのを見ていたのだから、次にそうなるのはわかっていたのに。
見上げると、息が届きそうな距離に先生の顔がある。近い、近い! びっくりして、心臓が大きく跳ねる。
私はドキドキして今にも燃えてしまいそうなのに、先生は涼しい顔のまま。そうですよね、こんな小娘のことなんか、大人の先生はなんとも思わないですよね。不穏に波打つ私の心とは正反対の、明るいリズムに乗ってくるくる回る。何だろう、ちょっと悔しいよ。
一曲終わったのを合図に、何組かが輪から抜けていく。私たちもその中に混ざっていた。先生は一仕事終えた時と同じ表情でジャケットの乱れを直している。先ほどの出来事は夢なのだと錯覚してしまうほどにいつも通りだった。
物欲しそうにしていたから、誘ってくださっただけなのかな。小さい子がおもちゃをほしがったのに応えるのと同じように。いや、別にそれだって構わないのに、心に穴が開いて、そこを冷たい風が抜けていくような寂しさを感じる。
「……楽しかったか?」
「え? た、楽しかったです」
「なら、飛び込んだ甲斐があったな」
別の曲が始まる。まるでゆったりと吹く夜風のような旋律だ。
さっきから、ずっと涙が出そうだ。私はいったいどうしてしまったの?
「先生も、楽しかったですか?」
「ああ。もう少し昼が長くても良かったかもしれない」
先生が、藍色に染まりつつある空に手を掲げると、左耳の耳飾りがぼんやりと光った。魔法だ、と私は息をのむ。
『あまねく光の恵みを与えよ』
呪文に答え、空が稲光のようにほんの一瞬だけ明るく染まった。人々が驚きの声を上げる。
その後には雷鳴……ではなく、金銀さまざまな光の粒がはらはらと降り注いだ。ぐるりと見渡せる限り、さらにそのずっと先まで、キラキラと輝く光の雨が降っていた。
ただ光の粒を降らせるだけの魔法とはいえ、魔法陣を描いたりすることなく、あんな短い詠唱でさらりとやってのけるにしてはあまりにも規模が大きかった。やっぱりこの人はすごい魔法使いなんだ。
「先生、すごい……」
小さい子供のようなことしか言えない私に、先生は目を細めて応える。
「別にそれほどでは。いい賑やかしになればいいが」
先生が願った通り、なかなか降り止まない光を見た人々の歓声が止まらない。
「なにこれ、綺麗!!」「熱くないけど花火?」「魔法なんじゃないか?」「あ、魔法使いの先生いるじゃん」「すげえ!!」「ありがとう!!」
光の雨が止み、先生は人々の拍手や口笛に手を小さく振って応えた。
魔法に気を取られて立ちすくんだままだった私は、魔法が解けて何事もなかったように歩き出した先生を慌てて追った。屋台にぶら下がったランタンの明かりに浮かんだ先生の横顔が嬉しそうに見えて、また胸が高い音を立てる。
また踊りの音楽が始まり、手を叩く音が聞こえてくる。先生はちらりと後ろを振り返ってつぶやいた。
「来年のために、きちんと踊りを学んでおかねば」
鼓動が再び駆け足になる。
「ら、来年も私と踊ってくださるんですか?」
せり上がってきた言葉を、ほとんど勢いで口にしてしまった。私はさっきからずっとおかしい。だけど、先生は瞬きふたつしただけで、相変わらず静かに前を見ていた。
「……君が望むなら」
いつもと同じ低くて小さな声が、私の耳を強く打った。いつもと同じ、だけど、少し上がった口角。胸の奥になんだか締め付けられるような、不思議な痛みが走る。嬉しいのに、切ない。
「私も、うまく踊れるようになります!」
特に返事はないけれど、下がった目尻が答えと受け取った。
「さて、行こうか。もう暗いから、離れないように」
「はいっ」
……まだまだ祭りは終わらない。私たちは夕食を食べるために再び屋台が並ぶ通りへと歩いていった。足元には、ふたつ並んだ影が薄く伸びていた。




