31.たのしい食べ歩き
「そろそろ昼食にしなければ」
タイミングが良すぎる言葉にドキッとする。先生の手には懐中時計が光っている……つまり、いつもの昼食の時間になったからだった。お腹が大きな音で鳴ったのがバレたわけではないらしい。
私たちは、風に乗ってくる匂いを頼りに食べ物の屋台が並ぶ通りを目指した。時間が時間なだけにこの一帯が最も賑わっていた。たくさんの長い列の中のどれに並ぶか迷う私の目は、ある紺色の幟に釘付けになる。
「フィッシュサンドだ!! 私はこれにします!!」
「……南部の料理か」
「ええ。私、お魚大好きなんです」
北部では魚を使った料理は珍しく、家庭で出されることはほとんどない。レストランで食べる贅沢なものという位置付けだ。魔法学校の食堂でも似たような状況だったので、最後に食べたのはいつだったかなあ。一昨年の夏休みに、実家に帰省したとき?
魚は食べない土地とはいえ物珍しさからか、屋台の前にはそれなりに人が並んでいた。けれどお店の人がてきぱきしていたので、そこまで待たずに買うことができた。
食事のためのベンチや椅子は用意されていたけれど、どこも人でいっぱいだ。溢れた人たちは広場の石段に座って食事をしていたので、私たちもそちらに座ることにする。
先生は、カバンの中から取り出したハンカチを魔法で飛ばし、石段の空いているところにふわりと着地させた。ご飯片手にハンカチ落としでも始めるのかと何度も瞬きをした私に、先生はなんでもないことのように言った。
「君はそこにどうぞ」
先生は、ハンカチの隣にストンと腰を下ろす。
「えっ、あの、いいんですか?」
「せっかくの服が汚れるといけないので」
「あっ、ありがとうございます」
私はドキドキしながらハンカチの上に座った。男性が女性のために……こういう場面は本で読んだことがあるけれど、まさか自分が体験するなんて。お尻がこそばゆいのに必死に耐える。
私は夏の最中くらい熱くなっているのに、先生はいたって涼しい顔をして、サンドの包み紙を開いている。
その様子がなんだか悔しいと思いながら、私もフィッシュサンドの包み紙を開いた。固めのパンに、魚の干物を炙ったものと野菜、ハーブがこれでもかというほど挟んである。
「いただきまーす!」
サンドに思いっきりかぶりつく。北部向けにアレンジしたのか、獲れるものを使ったのか、使っている魚の種類が違うけれど、ソースが同じだから故郷の味にかなり近い。
「んん、おいしい!!」
懐かしい味を口いっぱい頬張ると、えもいえない幸せが湧き上がってきてつい声が出てしまった。自覚していたわけではないけど、故郷の味に飢えていたんだろう。
「うん。良い」
隣で大きな口を開けていた先生も、小さく頷いている。そう。先生も私の後ろに並んでフィッシュサンドを買ったのだ。
先生は名前の響きからしておそらく生まれも北部の方だから、もしかしたら食べつけないのではと思ったけれど……別にそんなこともないみたいだ。
「……君の故郷でも夏迎えを祝うのか?」
「はい。家でハーブを使ったごちそうをこしらえて、みんなで食べます。けど、こういったお祭りはやらないですねえ。というより、できない?」
不意にマルタさんと同じことを聞かれ、同じことを答えた。
イレディスの国土は広大だ。しかも南北に長いせいで、同じ国内でも南と北では気候が全く違う。
実家のある南部地方には一年を通して温暖で、雨期があるせいで六月いっぱいは天気がぐずつきがちだ。仮にお祭りを計画したとて、雨に降られて台無しになるのが見えている。
「そうか、南部には雨期があるんだったな」
「そうです。一ヶ月くらいずっと雨が続くんです。嫌になっちゃいます。そのあとの夏も蒸し暑くて大変で……その代わり気候が落ち着いた秋は催し続きで楽しいです。収穫祭は特にすごくて、街を挙げて三日三晩の大騒ぎですよ」
ここで会話は途切れるかと思ったけれど、先生はすっかり眉間から力を抜いた様子で言葉を続けた。
「それは賑やかでいいな。君はどう過ごしていたんだろう?」
おもちゃやお菓子袋を持った子供たちが笑い声を上げながら広場の方へと駆けていくのを目で追った。小さい頃の楽しかった思い出とぴたっと重なった。
「うちは商売をしていますから、両親はほぼ休みなく働いていて。けれど、お祭りの日は丸一日お休みを取って、子供たちをお祭りに連れて行ってくれました。みんなで仮装して、手をつないで、ぞろぞろ歩いて」
先生は私よりひと足先に食べ終わり、包み紙を綺麗にたたんだ。こんな細かい仕草にも、几帳面な性格が見える。
「楽しそうだな」
「ええ。母と古本を見て回ったり、綺麗な飴細工を買ったり、弟たちと射的や輪投げで遊んだり。お祭りを目一杯楽しむために、一年かけて頑張ってお小遣いを貯めるんですけど、最後はちょっと足りなくなって。父がこっそり小銭を握らせてくれて。甘やかすなって母がちょっと怒って……笑いながらですけど」
「そうか。仲がいいんだな」
「ええ。両親は仲がいいです。兄弟は……私が一番上で、下に弟が三人います。取っ組み合いの喧嘩もしますが、仲良しですね。後は、猫が……私が実家にいたときは、三匹だったんですけど、増えてるっぽいです」
「猫……」
感情が動いたように見える。先生は動物お好きなのかな? 可愛がっている姿はあまり想像できないけれど。
「父が猫好きで、たまに拾ってくるんです。捨て猫を見ると放っておけないらしくて。そういえば……前にお話しした、私が昔出会った魔法使いのことも、野良猫みたいだったって言ってました」
「それは、なぜ?」
目を丸くする先生。自分も魔法使いだから、気になるのだろうか。
「うちに一晩泊まったあと、何も言わずにふらっといなくなってしまったって」
「……命を助けてもらいながら、不義理なやつだな」
「いえ、大切な仕事の途中だったんじゃないかって母が。体調が明らかに悪いのに、急いでいた様子だったと」
「そうか。君は、彼についてどう思った?」
先生に問われ、私は空を見た。綿をちぎって放り投げたみたいな雲が浮かんでいる。
「そうですねえ。優しいお兄ちゃんだなあ……まだ四歳だったので、こんなものかな? あ。今はただお礼を言いたいです」
「お礼?」
「先生に会えたのも、彼のおかげですから」
「そうか」
先生はなぜかそっけなく言って立ち上がった。
昼食を終えた私たちは再び歩き出した。飲食の屋台が並ぶエリアは相変わらず賑やかで、色とりどりの旗や、活気ある呼び込みの声に心を惹かれる。
お腹にはまだ余裕があるから、歩きながら揚げ芋でも食べようかなあ……なんて考えていた私を、甘い匂いが引き止めた。かわいい桃色の幟の周りに、女の子が群がっている。
「わあ!『妖精の糸』だ!! ここにもあるんだ!! 先生はお好きですか?」
数年前から、こういった場所で売られるようになった新しいお菓子だ。ふわふわの綿を木の串に幾重にも巻き付けた見た目で、この綿が口に含んだとたんに優しい甘さを残してふわりと溶けるのだ。
どういう仕組みでできているのかはわからないけれど、ノエミとお出かけして初めて食べて以来、すっかり虜になっている。どうしても笑顔になってしまう私とは対照的に、先生はわかりやすいしかめ面をしていた。
「……あれか。まるで蜘蛛の巣のようだから、食欲が湧かない」
先生が軒天の隅に張られた蜘蛛の巣をホウキでつつく姿はお馴染みだ。確かにちょっと抵抗したくなるかも。だけど。
「甘くておいしいのに」
私の一言に、先生の固い眉が魚が跳ねるようにピクリと動いた。先生は甘いものが好きなのだ。マルタさんがこしらえるお菓子を、日々の楽しみにしていることを知っている。
「……少し味見をさせてくれないだろうか」
「ええ。いいですよ」
予想通りの言葉に、私は首を縦に振る。
「手を出してくれ」
首を傾げつつその通りにすると、そこに銅貨をチャリチャリと乗せられていく。一枚、二枚、三枚……これだけあれば妖精の糸が買えてしまう。
「あの……これだと味見には少し多いのですが」
銅貨を二枚返そうとした私に、先生は眼鏡を押し上げながら答えた。
「いいからそれで買ってきなさい」
つい噴き出しそうになったのは、なんとか堪えることができた。だって、母に内緒でこっそり小銭を握らせてくれる父と全く同じ顔で、同じことを言うんだもの。
「どうぞ」
「大きいんだな……」
先生は妖精の糸をひとつまみして引きちぎった。糸の端がふらふら揺れる様子を見て、やっぱり蜘蛛の糸を思い出したのか顔をしかめる。しかし思い切ったように口にして、すぐに目を丸くした。
「美味しいですか?」
「……悪くない」
冷静な声に聞こえるけれど、瞳は明らかに輝いている。
「じゃあ、味見とは言わず、半分こにしましょう」
「君のものなのに」
「先生が買ってくださいましたから」
そこからは、妖精の糸を交互につまみながらゆったりと歩いた。ふと、ひとつのお菓子をふたりで分け合っている私たちは、周りから見たらどう見えるだろう。と思った。
仲のいい親子? それとも?




