30.ふたつのブレスレット
「いらっしゃい!」と威勢のいい声が飛んできた。
店主のおじさんは旅人風の服装で、つぎはぎだらけのパラソルの下で折りたたみ椅子にどっかりと腰を掛けていた。
黒の敷布の上には、各地で直接買い付けたというアクセサリーが所狭しと並んでいる。金や銀、鮮やかな色石の輝きに、瞬く間に心を掴まれた。
「わあ……」と小さく歓声を上げた私を見て、おじさんが前のめりになる。
「おっ、とっても綺麗なお嬢さん。ここで会えたのも何かの縁、ひとつとは言わず、一気に三つくらいどうだい? 安くするよ!」
おじさんの調子のいい声に気分をよくしながら、私はアクセサリーを手に取った。きっとお高いんだろうけど、見るだけならいいよね。
「お上手ですねえ。綺麗なのは私じゃなくて、アクセサリーでしょう? ……あれ、思ったよりお安い」
「だろ!? けど、どれもガラスじゃなく、正真正銘、本物の宝石だ」
「そうなんですか!?」
すごい!! 本物なんだ!! 小粒ながらも綺麗な石に、わくわくが止まらなくなってきた。学生の時なら見ていることしかできなかったけど、今なら充分に手が届く。どうしよう。
よし、自分へのご褒美に買っちゃおう!
決断は早かった。指輪か、イヤリングか、ネックレスか……何秒か迷って、ブレスレットにしようと決めた。
目の前で私を手招きするのは、熱く燃えるような赤、命の息吹を感じる緑、静かな深海を思わせる藍色。どの宝石も素敵で目移りしてしまう。
だけど、私が手に取ったのはシンプルな銀のブレスレットに、小さいながらもひときわ輝く青の石が一石あしらわれた物だった。空よりは濃いけど、海よりは薄い、そんな調子の青。
派手なデザインではないので、普段着と組み合わせても浮かなさそうだ。初めて買うのなら、お出かけの時しか出番がないような物よりは、普段から身につけられそうな方がいい。
手の中のブレスレットの角度を何度も変え、石のきらめきを味わっている私におじさんは言った。
「おっ、お目が高いねえ。それ、ちっこいけどいい色だろ? 今日のイチオシだよ」
目利きを褒められて嬉しいと思いながら値札を確認……肩が跳ねて、心がぐらっと揺れる。
ああ、ちょっと高いなあ。どうしよう。もう一度、石を見つめる。綺麗。やっぱりこれがいい! 来月は自腹で買うおやつを我慢することにして……教会のバルコニーから飛び降りるつもりで私は言った。
「ください!!」
「まいど!!」
おじさんが値札を取り外し、ブレスレットを箱詰めしている間に、私はお財布を開いて、紙幣を数えながら取り出した。普段は節約を心がけているから、自分の楽しみのためや、身につけるものにこんな大金を一度に払ったのは初めてだった。ドキドキしてちょっと手が震えている。
「はい、ちょうどだね。ありがとう」
おじさんはお金と引き換えに厚紙でできた小箱を渡してくれた。ずっしり重く感じる。だって生まれて初めて宝石を買っちゃったんだもん、当然だよね。
「あれ?」
ワクワクしながら箱を開けて、中身を確認した私は目を見張った。おかしい。
「ん? どうしたんだい?」
「……あの、これ、二本入ってるんですが」
箱の中には、ほぼ同じデザインのブレスレットが二本並んでいた。一瞬、目の錯覚かと思ったけど違う。ならば手違いで二本入れたに違いないと正直に申し出た私に、おじさんは先ほど取り外した値札を裏返して見せた。
「だって、ほら。ペアアクセサリーだよ、それ」
ごく小さく『ペア』と書かれているのを指さして、おじさんはキョトンとした顔で言った。
「ペア……?」
言われてみれば、青い石が中央にあしらわれているのは同じだけど、太さや意匠が微妙に違う。私が先ほど見ていたのは小さい方……おそらく女性用の方だ。
「ああ、男女でペアだよ。そのふたつの石は、元々ひとつの石だったんだ。だから、恋人同士でつけるのにぴったりだ」
「恋人ぉ?」
つい変な声が出ちゃった。なるほど、単純に二本分だから高かったのね? うろたえた私を見て、おじさんはカッカと笑って、金歯を楽しそうに輝かせる。
「ありゃあ、もしかして知らずに選んだのか。こんなに可愛いお嬢さんを放っとくなんて、周りの男どもは見る目がないなあ……」
「あ、ありがとうございます」
「まあ、困るなら一本で売ろうか? お代は半分でいいよ。ちょっと待っててくれ」
おじさんは手提げの金庫を開けて、紙幣を数え始めた。きっちり半分、返金してくれようとしているみたい。
私はおじさんの手と箱の中のブレスレットの間で何度も視線を往復させた。心は決まった。
「いいです、いいです。このままで大丈夫です……なんか、元々ひとつだったものを引き離しちゃうのもかわいそうなので。いつか大切な人ができたら渡せばいいし」
ひとつの原石から石をいくつも削り出すのは珍しいことではないはず。けど、ふたつでひとつのアクセサリーとして作られたものの片割れを、誰か知らない人が持つことになるのも微妙だしなあ。
「そっか。なんか騙したみたいで悪かったな……そうだ、お詫びにあげよう」
おじさんは、たくさんあるイヤリングの中から、青いさざれ石がブドウのようにぶら下がったものを選び、そっと握らせてくれた。
「一応ブレスレットと同じ石だ。ランクはだいぶ下がるが、悪くはないだろ」
「え、いいんですか!?」
「いいよ。これで綺麗に飾って、頑張って相手を見つけな。応援するよ……ああ、これも持っていくといい」
さらに、石のついていない銀色のイヤリングをもうひとつ持たせてくれた。こんなにたくさん、いいのかなあ。私はブレスレットが入った箱の隅にもらったイヤリングをうまく収めると、カバンの底にしまった。
「君。待たせて申し訳ない」
おじさんにお礼を言って、立ち上がろうとしたところに仕事のお話を終えた先生がやってきた。なんというか、まるで見計らったかのようなナイスタイミングだった。
先生が私の隣に立つと、おじさんはパラソルからぬっと半身を乗り出し、くしゃあっと笑う。先生にも売り込みを掛けようとしたのかと思いきや、おじさんは私に熱っぽい視線をよこした。何が言いたいのか一目瞭然だった。
私は手と目線でおじさんを制し、ち! が! い! ま! す! と念を送る。おじさんは激励のつもりなのかぐっと親指を立て、巻き込まれた先生は怪訝な顔。違う、この人は違うんだから。
「……もしかして、店主と何かあったのか?」
なんとか露店から離れたあと、先生は私の耳元で囁きながら、やや険しい表情を浮かべていた。このままだと、おじさんにひと言申しにいってしまいそうな雰囲気だ。
「え、ええ。ちょっとだけ……いや、違うんですよ、とっても親切にしていただいたんです。お買い物したら、おまけをたくさんいただいて」
親切にしてもらったのは本当なのに、先生は険しい顔を崩さなかった。
「……すまない。目を離さないようにする。出店者は主催者の審査は通ってはいるが、それでも不逞の輩が混じっていることもある」
「き、気をつけます」
「君を守るのが、私の役目なので」
そう言った先生の声色は、いつもより力強く感じた。なんだか急に日差しが強くなった気がする。背中に汗が浮いて止まらない。




