29.夏迎え祭へと
それから時間は駆け足で過ぎて数日がたち、あっという間に夏迎えの当日になった。
私はやはり浮き足立っていたのか、いつもよりだいぶ早い時間に目覚めた。二度寝をせずに着替え、部屋の外に顔を出す。
「え?」
廊下にはかすかながら、パンを炙る匂いが漂っている。慌てて階段を駆け降りた。なんと先生がもう台所に立っており、朝食の準備はほぼ終えていた。
「おはよう」
「おはようございます。すみません、遅くなってしまいました」
時計が遅れていたのかと慌てた私を見て、先生はふっと息をつきながらパンをもう一切れ取り出して炙り始めた。私の分だ。
「……君も早かったな。出来上がったら向こうへ運んでくれるか」
朝食のメニューはいつも通り。パンと、焼いたベーコンと、半熟の目玉焼き。それに先生が依頼者さんから頂いたスモモが添えられている。私はお皿をふたつ持ち、ダイニングテーブルに運ぶ。その後を、先生がふたり分のカトラリーを持ってついてきた。
先生とテーブルにつくと、いつものように食前の祈りをして食べ始めた。先生の様子に変わったところはひとつもなく、食事は相変わらず静かに進む。
私が皮付きのスモモを攻略するのに悪戦苦闘していると、先生が毎朝の仕事の伝達と同じ口調で言った。
「出発時間は十時にしよう。昼食をとったら祭りを適当に巡回して、夕食もせっかくなので……屋台で済ませるのはどうだろうか」
「はい! わかりました」
そういえば、北部の夏迎えではどんな料理が食べられるのだろう? 朝食を食べながら昼食のことを考えられる私は、相当食い意地が張っていると思う。
「では、それで」
先生はナフキンで口元を拭うと音をさせずに立ち上がり、ダイニングを後にした。なんだか仕事が始まってしまいそうな雰囲気……いや、今日はお休み、お祭りの日。私はやっとスモモをお腹に納めきり、後片付けを始めた。
夏迎えの歌を口ずさみながらお皿を洗っていたら、背後に人の気配。振り返ると、立ち去ったはずの先生がダイニングへと続く扉からじっとこっちを見ている。
「君は、皿洗いがそんなに楽しいのか?」
歌を聞かれたことを悟り、カッと顔が熱くなる。
「き、今日はお祭りなので……先生は歌いたくなりませんか?」
おろおろと返事をすると、先生は難問にぶち当たったみたいな顔になり、顎の下に手を添えて数秒考えて。
「歌は出ないが、多少落ち着きはなくなるかもしれない」
いつも通りの凪いだ表情でそう答えた先生は、ふらりと自室に戻っていった。
◆
「ていうか、先生から落ち着きを引いたらどうなるのか」
私はそんなくだらないことを考えながら部屋に戻った。
ワードローブを開き、大切にしまっていたよそいきのワンピースを取り出した。いつもは古着や母のお下がりを直した服で済ませている私が、新品の服を手にするのは学校の制服以来だった。
爽やかな薄緑が初夏の風を感じさせる、まさに今日のためにあつらえられたような服。胸元が少し開いていて、大人びたデザインだ。揃いの上着もある。パーティーに行くには地味かもしれないけど、私には十分すぎる。
「ああ、助かったなあ……」
これは両親から就職祝いにと贈られた一張羅。私の自主性に任せていたら、ここぞというときに着る服がないであろうことを見抜かれていたのだと思う。
おかげで命拾いしたと両親にしみじみと感謝していると、ひらめきが降りてきた。ワードローブの引き出しを開いて、マルタさんから頂いたレースのショールを取り出した。
ワンピースに着替える。今日は揃いの上着ではなく、ショールを合わせることにした。するとどうだろう。
「おお、可愛いじゃないか」
華やか、かつ大人っぽくなった。くるりと回ると、スカートの裾が楽しそうに翻る。
さらにひらめきは続く。ショールをいったん肩から外し、今度は先生から頂いた、まだ新品のままだったリボンを手に取って眺める。これをおろすなら、先生とお出かけする今日しかない。
いつも通りに髪をひとつにまとめて結ぼうとして、やめる。
「今日は編んでみようかな……」
鏡に向かっていると、やっぱり鼻歌まじりになってしまう。
休みの日に張り切っていたノエミの手つきを思い出しながら、髪にリボンを編み込むようにして飾る。ノエミのようにうまくは行かなかったけれど、なんとかそれっぽく仕上げられた。
「よっしゃ! ばっちりだね!!」
普段の『服は着られればいい』の私からは考えられない姿。なんというか、人に助けられて生きていることを実感した。
懐中時計を開くと、十時まではまだ十五分ほどあったけれど、先生は玄関ドアの前ですでに待っていた。
今日は妙に早起きだったことといい、もしかして……先生もお祭りを楽しみにしている?
「すみません、またお待たせしてしまいました」
「いや、私もさっき出てきたところなので」
そんなうっすらとした期待は、いつも通りの無表情に切り捨てられる。うーん、やっぱり先生は、わかるようでわからない。
今日の先生は濃い灰色のツーピースを着ていた。普段の外出はもっと暗い色の魔法使いスタイルなので、今日は少し明るくて新鮮だった。無彩色の服には、先生の瞳と耳飾りの青がよく映える。
「君……」
そんな先生が、私を検分するように眼鏡を光らせている。学校の服装検査を彷彿とさせる。
「あの、なにか?」
「……初めて見る服だなと」
やはり私に興味がないようで、しっかりと観察して記憶してくれているのだ。私はスカートをすこし広げてみせた。
「先日、両親からもらったのです。今日初めて着ました。ショールはマルタさんからですね」
「なるほど、前に届いた小包の中身はその服だったか。どちらもよく似合っている」
先生はくるりと私に背を向けた。
「あの。今、何とおっしゃいましたか?」
「なんでもない。行こうか」
声が小さかったけど、『似合ってる』って言われたような。いや、きっと聞き間違いだ。あまり浮かれすぎない方がいい。
予定よりすこし早く家を出て、ふたりで並んで歩く。相変わらず活発に会話をするわけではないけれど、私ときちんと歩調を合わせてくれるので、離れすぎない。
道端で背の高い雑草が、私たちに手を振るようにふらふらと揺れている。六月の爽やかな風は新緑や土の香りのほかに、ほのかに甘い匂いを含んでいた。今はアカシアの花の盛りだ。道端にも野良の木が転々とあって、白い花の間をミツバチがぶんぶん飛び回り、一生懸命に仕事をしているのが見える。
あちこち目移りしていると、先生と目が合った。私がミツバチを追いかけていたように、先生も私を見ていたのだろうか。そんなわけないか。
私を見る先生の瞼がすこし落ちている。早起きしすぎて眠いのか、もしくは。
「日差しが強くなりましたね」
「ああ。私には眩しくて仕方ない」
やがて道を歩く人も増えだし、賑わいの声が近づいてきた。祭りの会場までは後すこしだ。
◆
マルタさんが前に言っていた通り、駅前の中央広場はいつにも増して賑やかだった。
通りにはたくさんの人が行き交い、広場をぐるりと囲んで、そのまま四方に伸びる通りの方まで、色とりどりの露店がずらりと並んでいる。楽器を奏でながら歩く人、それに合わせて歌を歌う人。道ゆく人はみんな笑顔で、足取りも軽い。
飴が溶ける時のような甘い香り、お肉が焼ける香ばしい匂い。旅の商人が、異国のきらびやかな布物やガラスの雑貨を売っている。目がくらむほどに華やか。すごいすごい!
早く見て回りたい! 今にも走り出しそうになるのをこらえていると、先生は冷静な瞳で遠くを見ていることに気づいた。
「ああ、ラインハルト先生!」
そう声がして、人混みの中から男性が先生の元に駆け寄ってきた。栗色の髪を短く刈っていて活発な印象ながら、四角い眼鏡を掛けて、しっかりとスーツを着込んでいる。先生とよく似た、いかにも学者風といった佇まいだ。
「どうも、お世話になっています」
先生が行儀良く頭を下げたので、私もそれにならった。
男性は私に会釈を返すと、先生と親しげに話し始めた。相手はこの街の中等学校の先生のようだ。ちなみに先生は月に二回、中等学校に特別講義に行っている。そこでは魔法のお話しをしたり、古語の授業をするんだそう。
世間話もそこそこにお仕事の話が始まってしまったので、私はお邪魔にならないように一歩下がる。足元をちょこちょこ跳ねる黒い小鳥を眺めていたら、先生はチラリと私を気にしてから言った。
「申し訳ないが少しの間、その辺を見ておいてくれないか」
「わかりました」
私は、目の前にある露店に吸い寄せられていった。




