28.おしゃべり、深まる謎
「君!! 何があった!?」
なんと寝衣姿の先生が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「ひえええっ!! ラインハルト先生っ!?」
手紙鳥がばね仕掛けのおもちゃのように大きく跳ねて、天井にぶつかって私の頭の上に落ちてくる。
「その声は……ノエミ・ラフィットか……?」
声だけでわかるんだ……頭の片隅で先生の耳の良さに感心したところで、先生とばっちり目が合った。
そこで、私はとんでもないことに気づく。
私が今着ているのは夏用の寝衣一枚。生地は薄くて軽く、通気性を確保するためか胸元が大きく開いている。肌着は……寝る時はつけない主義だ。つまり、私は人前に出るには無防備すぎる姿を先生……男性に晒している。
ひえええっ、見ないでええ!!
搾りたての悲鳴が喉から飛び出す前になんとか押さえ込んだ私。先生は私の喉の辺りで視線を止めたまま固まっている。どことなく顔が赤いような。さすがに気のせいか。
とにかく……こういう時は、変に恥じらいを見せるより、全く気にしていない風を演じるのがいいような気がする。
「ご、ごめんなさい。友達からの手紙鳥に驚いてしまっただけなのです」
胸元を押さえながら微笑んでみせると、すっかり最初の勢いを失った先生はジリジリと後ろに下がっていく。
「……そ、そうか、何もなければいいんだ。すまない、騒がせたな」
ドアがなんとも気まずそうに閉まり、階段を駆け降りる音が聞こえてきた。へなへなとソファに座り込んだ私の頭の上で、ノエミがイヒヒとなんとも悪い笑い声を上げた。
「へぇー……先生の意外な一面をゲット。弟子の悲鳴に髪を振り乱して駆けつけるなんて……これってラブじゃん……」
「いや、そこにラブは必要か?」
どんな色の眼鏡をかけたらそんな景色が見えるんだろう。私は頭に乗っていた鳥をつまんで手のひらに降ろし、睨みつけた。そんなことはお構いなしに、ピンクの小鳥は手のひらの上でくるくる回っている。
ああ、めんどくさいことになったなあ。
◆
「師匠からお使い頼まれて、アストリウスに行ったのね。そしたらティナにばったり会って。時間があったからカフェテラスでお茶したんだけど」
「へえ、いいなあ……」
ノエミは学術都市の隣にある街で修行をしていて、アストリウスにも度々立ち寄る機会があるようだ。ティナとも私が小説の本をあげた時に顔見知りになって、会えば会話を交わす仲になったらしい。私も近くに住んでたらたまには仲間に入れるのになあ、と羨ましく話を聞く。
「でね。ラインハルト先生が、女性向けの洋品店に出入りしてたって噂になってるんだって。しかも、それが若い子に人気のお店と来た。これってさ……」
「ギャッ」
喉を絞められたみたいな声が出て、机に突っ伏した私にノエミはさらに畳み掛けてくる。
「……へぇ。やっぱり心当たりあるんだ!?」
「いやいやいやいや、事実無根だけど!?」
嘘だ。心当たりはありまくる。私のリボンを弁償するためだ。額に冷や汗をかきながら、私はノエミをじっと睨む。
「あのラインハルト先生の一番弟子が女子だってのは有名な話だからねえ。そりゃもう、みんな騒ぐよねえ……。ああ、エルシェから先生を横取りしようって子はいないらしいよ? みんなあの堅物の恋の行方を見守ろうって野次馬気分だって」
なんでそうなるんじゃい。
「ああもう、期待に答えられなくてごめんなさいね!?」
否定は逆効果で、火に油を注いだだけだった。ノエミの高い笑い声に今度は私が耳を塞いだ。なんかもう、恥ずかしすぎて泣きたくなってきたんですけど。
でも……確かにあの日以来、先生の態度は明らかに和らいで、私たちの間の会話は劇的に増えた。けれど、私たちはあくまで師匠と弟子の関係。恋も色気もへったくれもない。あるはずがない。あってはならない。
私に向けられる優しさも気遣いも、同じ屋根の下で暮らすものへの配慮でしかない。あのリボンも、業務中に破れたから律儀に弁償してくれただけだ……だけだよね?
先生が乾かしてくれた髪に手櫛を通す。毎晩の習慣になってしまった結果、最初はゴワゴワだった仕上がりが今はツヤツヤになっている。日々術式を調整して、試行錯誤しているのだろうか。
先生のことを考える時、心の中にかかるモヤの正体はわからない。首を横にブンブン振る。
「ノエミはそう言うけどさ。先生と私じゃ歳の差だってあるし。たしか……十四歳離れてるんだよ」
先日盗み見したメダルの裏の刻印で、ようやく先生の年齢を知った。生年月日から計算すると三十二歳。誕生日が来たら三十三歳だ。ちなみに、一等魔法師としては若い方になる。
「でも、別に親子ほどってわけじゃないでしょ? そのくらいの歳の差の夫婦、別に珍しくないけどなあ」
「いや、そりゃ貴族様はね……だけど、私はド平民だから」
貴族は政略結婚をするのが当たり前だそうだから、歳の差があっても珍しくないかもしれないけど、平民はそうではない。五つも離れていれば『歳が離れている』と認定される。
ちなみにうちの両親は同い年。だから、マルタさんとフリッツさんが十五歳離れていると聞いた時は本当にびっくりした。やはり結婚当初はものすごく驚かれたという。まあ、おふたりは歳の差なんて感じさせず、とても仲睦まじいけれど。
「んん……」
……と思うと確かに、歳の差なんてたいした問題じゃないのかも? なんて隙を見せかけたところで、ノエミが意外なことを言う。
「ああ、ラインハルト先生はどうなんだろね?」
「貴族……なわけないでしょ」
一瞬の沈黙。ノエミには、どうやら何か思うところがあるらしい。
「いやあね、なんとなくだけど、ちゃんと教育を受けてる人に見えるんだよね。身のこなしが磨かれてるというか」
「はあー……そうなんだ」
ノエミはこんな風に気さくだけど、れっきとした貴族令嬢で、私にはない視点を持っている。もちろん私はそんな風に先生を見たことがなかった。がさつではない、とか、愛想はないけど物腰は柔らかい、と思ったくらいか。
「なんとなくって程度だからね。まあ、その歳で結婚もせずにひとり暮らししてる時点で、容疑者からは外していいと思うけど」
ここでふと、生年月日とともに刻まれた先生の本当? の名前のことを思い出す。
あいにく私の頭の中に貴族名鑑は入っていないけど、ノエミなら知ってるかもしれない。いやいや、だめだ。また首を振る。人の秘密を他人にペラペラ話すべきではない。
「容疑者って。悪者じゃないんだからさ……」
「あはは。まあ万が一そうだとしてもさ? 高位貴族でもなければ、今時そこまでうるさく言われないから!! 頑張って!!」
「ノエミぃ〜……」
手紙鳥は私の反論を聞くことのないまま、また都合よく折り紙の鳥に戻ってしまった。
先生の知らないところで勝手にこんな話をして、陰口を叩いているみたいで後ろめたい気持ちになった。
◆
翌朝。朝食の席にて。
「あの、お祭りのお誘いをお受けしようかと」
私がおずおずと言うと、男の人にしては細い肩がびくりと揺れる。そもそも言い出しっぺはそっちのくせに、先生はなぜか目を丸くしていた。
「……あの、君はそれで構わないのか」
「はい。ぜひお願いします」
「わ、わかった。予定に入れておこう」
先生が再び食事に戻ったのを、じっと観察した。確かに先生が食事をする時はとても静かだ。かちゃかちゃと音を立てていたのは、自分だけだったことに気づく。
親から割とうるさめに躾けられているし、中等学校でも魔法学校でもマナーの授業はあった。成績も問題ない。でも今思えば、ノエミや……腹が立つけどロウェナも、私なんかとは比べ物にならないくらいしっかりしていた気がする。
「どうした? なにか気になることでも?」
気になることがありまくります。と言いそうになるのを飲み込む。
「あ、あの? 今日の予定を……」
「ああ、すまないな。今日はまず庭の草むしりからだ。午後からの仕事で、庭の魔法陣を使うので」
私は夏が近くなった庭の様子を思い浮かべた。日差しが強くなるとともに雑草が勢いを増していて、石畳で組まれた魔法陣の隙間からちょこちょこと緑の葉が生えだしている。少し前に手入れしたところなのに。
「では、納屋から道具を出しておきますね」
「面倒をかけるが、よろしく」
先生は草むしりに魔法は使わない。慣れた手つきで鎌で地道に刈る。または手で抜く。魔法を使えば一瞬なのに手でやる理由は、『気分転換も兼ねているので』だそうだ。
私は最後のひと口になったパンを口に入れ、噛みながら思った。ノエミは意味深なことを言ってたけど、貴族様が自分で草むしりをするわけないか。




