25.修復、先生の素顔
「できたんですか……?」
マルタさんが私の手元を瞬きもせずに見つめている。
髪飾りにわずかに力をかけてみたけれど、大丈夫。びくともしない。頭に描いていた通り、しっかりとくっついていた。つぎはぎの跡がうっすらと残っているけれど、勘でやらずにきちんと計算をしたおかげか、今までで一番いい出来だ。
「はい、完了です」
私は頷いたけれど、満足してもらえるかな……と内心は不安でいっぱいだった。髪飾りをハンカチで軽く拭って箱に戻し、マルタさんの前に差し出した。
マルタさんは髪飾りをそっと手に取ると、目を大きく開いて輝かせた。
「すっかり元通りだわ!! ねえ、あなた! エルシェさんが髪飾りを直してくれたわ!!」
「ほんとだ、これはすごい……どうなってるんだ?」
目の前で喜ぶご夫婦の姿に、一気に緊張が解ける。上手く行ってよかった。
……少しして。
「これ、持っていってくださいな。さっきの魔法のお礼です」
マルタさんがそう言って奥の部屋から持ってきたのは、幅広のレースが周囲にぐるりとあしらわれたショール。なんだか高級そうなものに見え、ドキドキする。
「わあ……すてき……!」
「うふふ。昔、レース編みから自分でして作ったのですが、ほとんど身につけることがなくて……せっかくなので若いお嬢さんに使ってもらえたらって」
「えっ、手作り!? すごい!! とっても綺麗」
私が声を裏返すと、マルタさんは胸を張った。てっきり売り物かと思っていた。本当に器用な人だ。お礼を言おうとして……しかし、決まり事を思い出して、私はストールを元通り丁寧にたたんだ。
「ごめんなさい。私はまだ見習いの立場なので、魔法に対する報酬は受け取れないのです……」
そもそも師匠を通さずに仕事を勝手に受けることもできない。バレたら罰則付きだ。とっても素敵な品だから名残惜しいけれど、受け取るわけにはいかないのだ。
私からショールを返されたマルタさんは悲しそうな顔もそこそこに腕を組み、少し考えるような表情を見せ、ポンと手を叩く。
「……近所のおばあちゃんからタンスの肥やしを無理やり押しつけられて、あなたは仕方なく受け取った、ってことでどうかしら?」
「えっと……」
マルタさんはおろおろする私の肩にショールをかけると、いたずらっぽくウインクした。
「やっぱり、あなたによく似合うわ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
「さあ、そろそろお昼にしましょ。話したいことはまだまだたくさんあるんです」
マルタさんは、私の手を引いて微笑んだ。
◆
「坊ちゃんね。エルシェさんがこの町に来る少し前に、髪飾りの話を久々に出してきたんですよ。『アレはまだ持ってるか』って」
お昼ご飯のサンドイッチを食べ終わったマルタさんは、ポットに手を伸ばしながら言った。私はもぐもぐと口を動かしながら頷いた。
「どうしてなのか尋ねたら、今度来る彼女……エルシェさんには直せる、っておっしゃったの。だからわたくし、あなたに会えるのが楽しみで仕方なかったんです」
「えっ」
びっくりして声を出してから、行儀が悪いとあわてて口の中に残っていたものを飲む。マルタさんは空いているカップにお茶を注ぎ、私の前に置いてニコニコ笑う。
「ほんと、すぐにでもお願いしたかったけど、『時期を見て、自分から修復を指示するので』って難しい顔で言うから、じっと待ってたの。我慢できなくなってしまったんだけど」
「あの、じゃあ先生は、最初から……?」
おずおずと言うと、マルタさんは力強く頷いた。
「ええ。役立たずだなんてとんでもない。坊ちゃんはね、ちゃんとエルシェさんの力を信じていたの。それで弟子にと思ったんじゃないかしら」
「そうだと嬉しいんですが……」
マルタさんの頭には、直したばかりの髪飾りが留められている。声を上げるたび、あしらわれた色石が柔らかく光っていた。
「ああ、わたくしにも魔法が使えたら、坊ちゃんがあなたを弟子に取ると決めたあとの様子を見せてあげられるのに」
「ど、どんな感じだったのですか?」
つい身を固くした私に、マルタさんは歌うように言った。それはまるで春の日差しのように、緊張を溶かしてくれる。
「エルシェさんに思い切って声をかけたのはいいものの、女性に対して不躾だっただろうかと気にしていたみたいなの。だって、学校ではなんの接点もなかったんでしょう?」
「ええ。お名前くらいは存じてたんですけど、お話ししたのは声をかけていただいた時が初めてでした」
「怪しいと思いませんでした?」
「……すごく怪しいと思いました」
正直に言うと、マルタさんが笑いを堪えきれない様子で俯いた。私の知らない、先生とのやり取りを思い出しているんだろうか。
「あなたからお返事がきた後は、ずっと落ち着きがありませんでした。必要な手続きをするより前に、あなたのためにと家具や寝具を値段も見ずに買いそろえたり、我に返ったみたいに何をやってるんだと頭を抱えたりね。きっと張り切って空回ってたんだと思うの」
先生が張り切って、空回るなんて。頭を必死で回してみるけれど、そんな絵はどうしても浮かんでこない。私の知っている先生はいつも落ち着いていて静かで、感情の波をほとんど見せない人だ。
「想像できないな……」
「今も同じように空回ってるだけだわ。失望されたくないのは、きっと坊ちゃんも一緒……そうだわ」
マルタさんはおもむろに立ち上がる。
「ねえ、ついでにお仕事をもうひとつ引き受けてもらえないかしら?」
「はい、なんでしょう?」
規則違反を重ねることを覚悟しつつ背筋を伸ばした私に、マルタさんはささやくように言った。
「魔法じゃないから安心して。お届け物よ。これ、坊ちゃんの大好物なの。夕食の時に出して差し上げてください」
渡された器の中では、少し大きめに切り分けられた木イチゴのタルトが光っている。先生がお菓子を目の前にしたときの、少し角の取れた表情を思い出す。
「やっぱり、甘いものがお好きなんですね?」
「ええ。甘いものはなんでもお好きですよ……知りませんでした?」
何気ない言葉が、ちくっと胸を刺した。
「……ご自身の話をされることはないので。こちらから尋ねられるような雰囲気でもないですし。私、先生のこと何にも知らないんです」
マルタさんは驚いたのか目を丸く開き、そして少し気まずそうな顔になる。マルタさんは毎日通ってきているけれど、私たちがどういうふうに暮らしているのかはご存知ないのだろう。
朝晩の挨拶は交わす。だけど、仕事部屋に響くのはそろばんを弾く音とペンが走る音。食事の時はカトラリーがお皿を鳴らす音しかしない。
一緒に暮らして二ヶ月になるのに、私たちって仕事の話しかしたことがないんだよな……胸の痛みが少し強くなる。
「あらら。師匠の……というより、男の面子というものかしら? 一緒に暮らしてる人に対して、格好つけたって仕方ないのに」
「信頼に値しないと思われてるだけかも……」
振り子のように気弱が戻ってきた私を、マルタさんは笑顔で叱咤する。
「もう! そんなことは絶対ないから、大丈夫ですよ。胸を張って、坊ちゃんとお話ししてみてください」
髪飾りがまた優しく輝く。私の胸に小さな明かりを灯すように。
◆
家に帰ってしばらくすると、玄関ドアが開く音がした。私は意を決して、廊下に出て階段を半分ほど降りる。先生は私と目が合うなり、静かに言った。
「ただいま」
日没が迫って少し薄暗くなった玄関ホールで、先生は影のように立っていた。
「お、おかえりなさいませ」
残りの階段を降り、先生の前に立った。
「これ。夕食の準備をしておいてくれ。パンはもう切ってもらっているので」
「わかりました」
差し出された買い物袋を慎重に受け取ると、いい匂いが立つ。中身は多分、お肉と野菜の煮込みだと思う。
出務の日は、先生が夕食を買ってきてくださることになっている。中の器はいつもの通り、シュネハイム駅の近くにある食堂のものだ。ここのお料理は本当に美味しい。
紙に包まれたパンも、まるで焼きたてのように香ばしい匂いを立てている。保温の魔法を使って袋の中は温かく保たれていて、底に手を添えると熱いくらいだ。
ぐう、とお腹が小さく鳴って気まずくなっていると、先生が低い声で言った。
「……すまないが、食事の前に話がある」
突き放したような声色は変わらず、どきっとする。マルタさんは大丈夫だと言っていたけれど……思わず買い物袋を持つ手に力が入った。
ちゃんと胸を張りたい、けれど。いざこの険しい顔を前にしたら、やっぱり怖くてたまらない。




