24.マルタさんの宝物
マルタさんの問いに、私は首を横に振った。ちゃんと話すもなにも、私は井戸に沈んだ日から今まで、先生とはすれ違い続けていてまともに言葉を交わせないでいる。
「いいえ。一昨日も、昨日も、夜までお忙しそうで。話しかけられるような雰囲気じゃなくて」
夜遅くに家に帰ってきても、お風呂に入るとさっさと部屋に引きこもってしまわれる。つまり、習慣としていた夜の挨拶すらもない。
「それに今朝もお見送りできなくて……」
これは寝坊をかました私が悪いのだけど……マルタさんは深いため息をついた。 黙って家を出た先生を想像すると鼻の奥が痛い。今にも涙が出てきそうになる。
「……やっぱりそう。坊ちゃんは本当にしょうがないわね」
マルタさんに背中をさすられると、胸の中で硬く居座っていたしこりが少し柔らかくなる。けれど、それと同時にとうとう涙がこぼれ落ちた。
「いいえ。先生はきっと呆れてしまったんだと思います。私があんまりにも役立たずだから……」
押し込めていた弱音を漏らすと、私の背中をさすり続けてくれた手がぴたりと止まった。顔を上げた私を、マルタさんが真面目な表情で見ていた。
「……ねえ。エルシェさんにぜひ見てほしいものがあるんですよ」
マルタさんはまるで何かを決意したように言うと、リビングから出て行って、すぐに戻ってきた。その手に大切そうに小さな木箱を持っている。中には半分に折れた髪飾りが収められていた。
「かわいい……」
「でしょう? 昔ね、大切な人からいただいたものなの」
ツタ植物を、金属と木を複雑に組み合わせて表現した意匠。まるで小鳥が止まっているような配置で、柔らかな緑色の石が数石あしらわれている。
素朴ながらもとても上品で、マルタさんの雰囲気や髪の色にもよく合う。作った職人も、これを贈り物にと選んだ人も、すごくセンスがいいと思う。
「フリッツさんからですよね?」
しかし私の確信は外れ、マルタさんは笑顔で首を横に振った。
「いいえ。これはね、坊ちゃんが初めていただいたお給金で贈ってくださったものなんですよ」
「えっ、先生が!?」
ここで先生が出てくるとは思わなくてびっくりした。涙が引っ込んで、さらに目を何度も瞬かせる私に、マルタさんは微笑みを崩さないままに続けた。
「ええ。あなたと同じ歳の頃にね。きっと欲しいものはたくさんあったでしょうに、まずはわたくしにって」
どきりとした。初めてもらったお金で贈り物をする……つまり先生はマルタさんのことを、実の母親と同じくらいに思っているということなのでは?
先生はマルタさんのことをただの家政婦さんだとは思っていないとはなんとなく伝わってくるけれど、まさかそこまでの感情を持っていたなんて。
「子供には恵まれなかったのに、そんな尊い贈り物を受け取れる日が来るなんてって、涙が出るほど嬉しかったの」
そういえば、先生といる時のマルタさんの表情も、まるで我が子を見るように優しい。そこだけを切り取れば、本当の親子みたいに見える。
マルタさんは少し悲しげな顔になる。
「せっかくの贈り物だったのに、不注意で壊してしまったの。職人さんにも直すのは難しいって言われてしまって、坊ちゃんに謝ったわ。そうしたら、『直せなくて申し訳ない』って、逆に頭を下げられてしまって」
「確かに、魔法では難しいかもしれないですね……」
ほとんどの魔法師は、こういった小さいものの修理は得意としない。先生もおそらく例外ではないと思う。けど、それはこの世界の常識と言ってもよくて、直せなくて申し訳ないとは言わない。普通なら。
「悪いのは壊したわたくしなのに。坊ちゃんはね、そうやってなんでもひとりで背負い込んでしまうの。昔からそう。そういう性格になってしまったのは仕方のないことだとわかっていたけれど、なんだか悲しくて」
「なんでもひとりで……」
その時、頭の中を私が知るのとは違う名前が刻まれた、先生のメダルが落ちていく。この話と全くの無関係ではない気がする。マルタさんはきっと事情を知っているのだろうけど、本人から何も言われていないのに正面切って聞くのも憚られる。
けれど。私は目を閉じて考えた。
たとえ踏み込むことは許されなくても……もしこれを直せたら、先生の背中はほんの少しは軽くなるんだろうか。
私は、気づけば目とともに口を開いていた。
「髪飾り、よく見せていただけませんか?」
「ええ、どうぞ」
私はマルタさんから木箱を受け取り、ハンカチ越しに中身に触れた。
職人さんが『修理は難しい』と言った理由はわかる。この髪飾りには、木の土台に金属のパーツが絡み付いたような作りだからだ。いったいどうやって作ったのか、素人には全くわからない。
折れた金属を直すにはどうしても熱を当てないといけないし、そうすると木のパーツが傷んでしまう。一度すべてバラして、木のパーツをいちから作り直しまたそこに金属を……? とんでもない手間がかかると思う。
だけど……魔法を使えばそんな難しい事情はすべて無視できる。何種類の材料が使われていようが、きちんと魔力を操作すればくっつけることができるのだ。
髪飾りは折れたそのままで、綺麗に保存してあったようだ。あいにくルーペは持っていなかったので、目を細めて破断面をよく観察する。懸念なのは金属の部分だったけれど、メッキが剥がれているのはわずかな範囲だけで、歪んだり、さびが浮いたりもしていない。
「これなら直せるなあ……」
髪飾りを元通りに箱に戻しながら、いつも通り呟いてしまった私の手を、マルタさんが飛びつくように取った。
「本当に直せるの!?」
しまった、と言いそうになったのを飲みこむ。というのも、まだ見習いの身分である私は、師匠……つまり先生を通さずに仕事を受けられない決まりになっている。
「……え、ええ。できるとは思います……けど、大切なものなので……」
「ぜひあなたに任せたいの! お礼はちゃんとしますから!!」
マルタさんに手をさらに強く握られ、背中に冷たいものが伝う。
ノエミの持ち物は直したことがあるけど、さすがに今回は友達同士のやりとりとは違う……ほんと迂闊だった。どう断ろうかまよう私に、マルタさんの目を輝かせながら迫ってくる。
逃げられない、と思った。
「……じ、じゃあ、お引き受けしますね」
こぼしたミルクはカップに戻らない……私は腹を括って、カバンからノートとペン、物差しを取り出した。髪飾りの長さや厚さを測り、必要な魔力量を計算。できるだけ綺麗に直したいので慎重にやらないといけない。
必要な計算や術式の調整をしている間じゅう、マルタさんが私のペンの先をずっと目で追っていた。心配そうというよりは、好奇心と期待がこもっている視線だ。
お腹の真ん中あたりがぎりりと痛む。別に自分のものではないものを直したのは初めてではないのに、首を絞められたみたいに緊張する。
流す魔力は多くても少なくてもいけない。きちんと狙った効果が出るように、慎重に操作をしないといけない。
特に小さいものの修復では、一瞬のうちに片が付いてしまう。経過を見ながら調節ができないから、魔力を流す前の準備が大切だ。
計算を終えた私は息を整え、今度は髪飾りに直接触れた。破断面を慎重に合わせる。神経を研ぎ澄まし、透明になった頭の中に完成図を走らせる。
呼吸とイメージ、魔力の流れ。全てがかちりと噛み合った瞬間を見計らい、呪文を放つ。
『再び結ばれよ』
私の指先から魔法が一瞬だけ放出される。相変わらず魔力が弱すぎて反応光は出ず、見た目は魔法らしい不思議さが欠けていてパッとしない。
けれど、確かな手応えがあった。




