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01.野ねずみと呼ばれて

「……エルシェ・リヴェールくん、大変残念だけれども」


 立派な白ひげをいじりながら言ったのは、主任教員のエッジワース先生だった。私の返事を待たずして、先生は淡々と続ける。


「君には『処置』を受けてもらうとの通達がきたから。本当に残念だけど、決まりだからね」


「はい」


 私は、氷を詰め込まれたみたいに重くなった胸の奥から、なんとか返事を絞り出した。


『処置』……つまり、私が一番大切にしているものを奪われてしまうということ。


 先生は、隅に魔法省のエンブレムが輝く封筒を私に差し出した。


「今後について詳しくはこれに書いてあるから。あと、退学の手続きを……ああ、まだ書類が揃ってないから、また明日来てくれるかな」


 底なしの闇の中に転がっていく私の心とは裏腹に、エッジワース先生の声色はひどく軽やかだった。もはや返事を返す元気も湧いてこなかったので、私は封筒を黙って受け取って職員室を出た。


 ……ああ、こんなはずじゃなかったのになあ。


 放課後、廊下を歩く学生はまばらだったけれど、誰もが楽しそうな顔をしていた。私は誰とも目を合わせないように、鉛のように重い足を引きずるように前へ進んでいく。


 校舎を出ると今にも雨か雪かが降り出しそうな、薄灰色の冬空が広がっていた。容赦なく吹き付ける冷たい風が枯れ枝を揺らしている。


 今は気持ちがどん底まで沈んでいるから、なおのこと寒さが身に染みる。


「また雪だろうな……」


 ここの寒さにはいつまでも慣れないと思いながら、私はジャケットの前を合わせながら石段を降りた。


 ……二月もあと一週間で終わるというのに、学術都市ベルカンティアの春はまだ遠い。私は背後に高く聳え立つ石造りの学舎を見つめた。


 時計塔の屋根の先で、魔石で作られた青い星のオブジェが煌々と光っている。この学校のシンボルだ。


 ここはアストリウス魔法学院。イレディス王国が誇る五大魔法学校のひとつで、『青の賢星』とも称される名門校である。魔法学院、または魔法学校というのはもちろん魔法使い……つまり魔法師を目指すための五年制学校のこと。


 そして私、エルシェ・リヴェールはここの五年生。来月の半ばには晴れてここを卒業できる……はずだった。


 そう、私に春は来ないことが決まってしまった。


 私はさっき渡された封筒……魔法省からの通知書を見た。私の名前の横に書かれた『重要』という朱書きが、夢の終わりを告げている。


 中身はまだ見る気になれない。ため息と共に封筒をポケットに押し込んでから石段をさらに下り、学生寮を目指してとぼとぼ歩く。そうして広い中庭の中心、噴水広場に差し掛かったところで、目の前にある人物が立ちはだかった。


「やだ。田舎の匂いがすると思ってたら、野ねずみちゃんがいるじゃないの」


 煮詰めた蜜を耳に流し込まれたみたいな甘ったるい声。夜闇とよく似た漆黒の髪が北風にひらひらとなびいていた。ロウェナ・ロクスウェイが、いつものように取り巻きを連れて現れたのだ。


 よりによって、なんでこんな時に出てくるかなあ。


 彼女は仲のいい学友……な訳がない。ロウェナや取り巻きたちは魔法の名門貴族家の出身。かたや私は南部の田舎生まれの平民だ。それだけでも彼女らからしたらいい嘲笑の対象になる。


 私が睨みつけると、ロウェナの薔薇色の唇がにやりと吊り上がった。


「いくら勉強を頑張っても、()()されちゃったら意味ないわよねえ。ねえ、今どんな気分なの? 優等生さん?」


 優等生だなんて思ってもいないくせに。私はささくれた心を少しでも宥めようと視線を一度逃がしてから、深く息を吸った。


「……別にあんたに関係ないでしょ。そこどいて」


 どうせ何を言ってもくすくす嘲笑われるのだから、相手するだけ無駄だ。さっさと立ち去ろうとしたけれど、すれ違いざまに取り巻きに魔法をかけられて転んでしまった。


「痛……」


 早足だったせいで変に勢いがついてしまって、傷は大きくて深い。私の血まみれになった膝を見て、ロウェナが満足そうな顔をした。


「あらら。勉強ばっかりで頭でっかちだから転んじゃうのよ、『野ねずみ』ちゃん」


 ロウェナが笑いながら棘を刺してくると、取り巻きたちも声を抑えずに笑う。灰色の空に黄色い笑いが溶けていく。


 何するの!! という叫びは声にならなかった。私の体は急に石畳に縫い止められたみたいに動けなくなった。


 拘束魔法だ……と一瞬で気づいたけど、私にはどうすることもできない。噛み締めたままだった奥歯がぎりぎりと音を立てる。


「ほら、なーんにもできないのよね。野ねずみは。早く田舎に帰ったほうがいいわよ」


 ロウェナと取り巻きが去ったあと、魔法が解けて私はようやく立ち上がることができた。左膝からは垂れ落ちるほどの出血をしている。脈打つように痛む足を引きずって、なんとか噴水の淵に腰をかけた。


 噴水は冬の間は止められていて、それがなお冬の寂しさに拍車をかけていた。


「……何にもできなかった」


 北風に、私の深いため息が混ざる。


 私が野ねずみと笑われる理由は、魔法省から封筒なんか送り付けられる理由は、私の魔力があまりにも少なすぎるからだった。


 魔法は使えるけど、どれもこれも小さくて弱い。目を凝らさないと見えないような、些細なことしか起こせない。


 実技の試験は全て箱庭での再現で受けなければならなかった。これは魔力が少なめの学生への救済措置だけど、実際使われることはほとんどないらしい。


 ……確か三年生の時、小さな箱の中で指の先くらいの大きさの人形を転移魔法でちまちま動かしていたときのことだ。


 私は遊んでいるつもりなどなく、むしろ必死だった。


 だけど、担当教員はコロコロと箱の中を転がる人形を見ておかしそうに笑った。


『なんだか、ねずみのおままごとみたいね』


 この言葉が広まって、私はからかわれるように『野ねずみ』と呼ばれるようになってしまった。学生からだけならまだしも、一部の教員にまで。


 魔法学校に入学して五年間、魔力を増やすための鍛錬は欠かさなかった。せめて学科では常に一番を取ろうと努力もして、席はめったに譲らなかった。できることは全てしたつもりだった。


 しかし残念ながら、私はホウキで空を飛べるようにはならなかった。いくら努力しても、勉強ができたとしても。頭が大きくて飛べない魔法使いに価値はない、誰もがそう思っているというのを思い知った。

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