16.初めてのお供
モヤモヤとした気持ちが晴れぬまま、数日が経った。その間にサクラの花は終わり、代わりに緑の葉が小さな萌え出ている。
私の心とは対照的な、抜けるような五月晴れの日のこと、いつものように朝食を食べていると先生が言った。
「今日はある集落の長から依頼があったので、外に出る」
「……わかりました。お留守番はお任せください」
もう割り切って、留守の間にやる仕事について指示を聞こうとした私。しかし、今日はなんだか先生の様子が違った。先生は食事の手をぴたりと止めると、私をまっすぐに見つめている。
「いや、今日は時間もあるし、比較的近所なので付いてきてもらおう。もちろん徒歩でかまわないので」
「えっ……? はっ、はい!!」
先生のお仕事にお供するのは初めてだ! 私は朝食の後片付けを終えると急いで部屋に帰り、持ち物を整える。携帯用の呪文集、それから、手帳、手紙鳥用の便箋に、ペン。
他にも外で必要になりそうなものを全てカバンに詰めると、服を脱いで外出用のものに着替える。
直しが終わったジャケットに、初めてちゃんと袖を通した。それからくるりと回ってみる。
うん。やっぱり艶消しの銀ボタンがとってもいい感じ。姿見の中にいる自分は、なんだかすごく仕事ができそうに見える。髪には両親にもらった若草色のリボンを結び、私は部屋を出た。
階段を降りると、準備を終えた先生がすでに玄関で待っていた。肩から道具が詰まった大きなカバンを提げている。
「すみません、お待たせしました」
「問題ない」
と言いつつ、青い瞳は何かを言いたげだ。
「あの、何か?」
「いや、一度も見たことがない服を着ているなと」
私が持っている服は少ないとはいえ、その全てをちゃんと記憶しているなんて。じわじわと込み上げる恥ずかしい気持ちを抑え、私は応えた。
「実はこれ、アストリウスの制服を自分で直したんです」
先生は「失礼」と言うと、グッと私の襟元に顔を寄せてきた。眼鏡のレンズがカミソリのように光り、緊張で喉が閉まる。
触れられはしないけど、隙のない視線でじっと観察されている間じゅう、針葉樹を思わせるコロンがほのかに香る。
急に距離を縮められたことに跳ねた胸を抑えながら、私は目を閉じた。
「……君は裁縫も上手いのだな。よく出来ている」
「えっ?」
裁縫『も』? ということはつまり? ……聞き間違いかもしれないのに浮かれ上がりそうになった私の前に、マルタさんが顔を出す。
「はいはい。おふたりとも、お気をつけていってらっしゃいませ」
「……ああ、行ってきます」
「はいっ、行ってきます!」
先生に続いて、マルタさんからハーブティー入りの水筒と、お手製の軽食を受け取ってカバンに納めた。
マルタさんに手を振って、玄関ドアを開けた。その瞬間、日差しの眩しさに私は目を細めた。
歩き出す。外の景色は、夏に向けて緑が日に日に濃くなっている。土の匂いが混ざった暖かい風が吹くと、道ばたにところどころ残った柔らかい色合いの花々が揺れる。植生が地元のものとは全然違い、学術都市のものともちょっと違う。改めて、遠くに来たのだと感じる。
「えっと、今日の目的地は……?」
「ここから北の方に歩いて、半時間ほどのところだ」
「ノクストの森の方ですか?」
「そうだ。まさにその森に接した集落だ」
ここに越してきて間もない頃に覚えた地図を思い出しながら言うと、先生が頷いた。ちなみに広大な森を越えたところが、ここにくる時に乗ってきた列車の終点、ノールヴェイルだ。
初めて歩く、北へと伸びる道を先生と並んで進んでいると、人とすれ違うたびに会釈された。
「こんにちは」
「あら、また今度お仕事をお願いしますわね」
やはりこの街にたったひとりの魔法使いは有名人らしい。先生は笑顔こそ出てこないけれど、ひとりひとりに丁寧に答えている。私もそれにならいながら、必死に顔を覚えようとする。
いつまでこの町にいるかはわからないけど、できればなじみたいと思っているから。
「先生!!」
人々と挨拶を交わしながら、景色を楽しみながら歩き、目的の集落まであと少しというところで、私たちのところにご婦人が駆け寄ってきた。庭での作業を途中で切り上げてきたようだ。
先生の前に立ったご婦人は声を弾ませる。
「先生、お久しぶりです……いつの間に!? おめでとうございます!!」
先生が不思議そうに首をひねりつつ、「どうも」と短く答えると、ご婦人は目を輝かせた。
ご婦人の反応に先生はさらに首をひねったけど、私はすぐにピンときた。
やばい。恋の話題を振ってきた時のノエミと同じ顔をしている。
『ねえエルシェ、師匠と結婚って、たまにあるらしいよ』
いつかの一言が蘇り、体が熱くなる私。しかし、先生の横顔を見ても、いつもの無表情のまま。
私の想像した通り、庭や畑で作業をしていたり洗濯ものを干していたりした人たちが、道端にぞろぞろと集まりだした。老若男女問わずという感じなので、わかってないのは先生だけらしい。
「そうかそうか」「先生も隅に置けないですな」「へぇ、若いなあ」「可愛いわねえ」
なぜか野菜や果物を持った人たちに周りをすっかり固められてしまい、シャワーのようにどんどん言葉を投げられる。動悸が止まらない。やっぱり誤解されてるじゃん。
先生は事態を理解しているのか、いないのか……瞬きだけはしているけれど、身体は岩のように硬直している。
先生が言わないなら、私が言うしかない。もしかすると、先生のような真面目な男の方には、対策法がわからないのかもしれない。
そう、こういうのはね、噂に尾ひれが付く前になんとかしておくものなのですよ……私は意を決して、先生の前に出た。
私の動きが読めなかったのか、先生がぎょっとした顔で見てくるけれど、皆様に向かって一礼。
「街の皆様にご挨拶が遅れまして申し訳ありません。先月から、先生の元で働かせていただいている、四等魔法師のリヴェールともうしゅましゅ」
ああ、焦りすぎて噛んだ。もうやだ。ここはバッチリ決めないと駄目だったのに。悔しさで地団駄を踏みそうになるのを堪える。
「え、つまりはお弟子さんってこと?」
きっかけになったご婦人が目をまん丸にして尋ねてきた。
「ええ、弟子です。弟子以外の何物でもないです。それ以上でもそれ以下でもないです」
私が食い気味で答えると、今度は野良着姿の男性が割り込んできた。畑を耕していたところだったのか、土まみれの顔を手拭いで拭いながらニコニコと笑っている。
「なんだ。とうとう嫁さんをもらったのかと思った!!」
「……はっ? えっ!?」
これまで固まったままだった先生が思いっきり声を裏返した。ようやく状況をきちんと理解できたらしい。先生もこんなわかりやすく動揺するんだ、なんてぼんやり思う。
「残念」「違うのか……」「そうだって思っちゃうわよね」
顔を引きつらせたまま凍りついた先生に、明らかにがっかりした様子の町の人々。ざあっと熱が引いていく中、先生は決まりが悪そうに咳払いをして、もごもごと答えた。
「ええ、そうなんです。このたび弟子を取りまして……」
のどかで平和な町に、なんとも気まずい空気が流れる。
「いやいや、弟子を取ったのだってめでたいじゃないか!」
「確かに!!」
誰かの鶴の一声をきっかけに、先生に果物や野菜がどんどん贈られる。皆さん、先生に結婚のお祝いをくださろうとしていたということだ。
「次はお嫁さんですね!!」
「まいったな……」
先生は全てに丁寧にお礼を言いつつも、抱えきれないほどの贈り物を前に何とも形容し難い表情をしていた。




