表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/27

15.夜の庭を見つめ

 先生はサクラの木の下で、小型の望遠鏡を空に向けていた。さらに目を凝らすと、その傍らにノートが浮いていて、ひとりでに動くペンが文字や図を綴っている。


 筆記魔法……頭で考えたことをそのまま紙に書き出す魔法だ。この魔法を使えば仮に両手が塞がっていても記録ができる……のだけど、実際には何かをしながら動かすには難しい。


 私なら三文字も書けば力尽きるところ、先生が操るペンの動きはなめらかで、全くブレや迷いが見えない。すごい。私はしばしノートのページが埋まっていく様子に見とれた。


 先生は当然、私の熱い視線には気づかない。


 よく乾いた髪が風にそよぐ。空気は冷たいながらも、空はよく晴れていた。淡く光る月が先生の銀の髪と、時々散るサクラの花びらを静かに照らしている。


「星見かあ……」


 つまり、先生がやっているのは星の観測だ。例えば儀式魔法や、精霊魔法、古式魔法、あとは占星術。星の動きを考慮しなければならない魔法はけっこう多い。だから魔法学校でも、星見の基礎は必修科目だ。私もその部分だけはしっかりと学んでいる。


 先生が今しているのが仕事に必要なものなのか、もしかすると趣味の活動かもしれないけれど、そのどちらかは見当もつかない。


 星見をするなんて予定は聞いてないし、先生は自分のことをほとんど何も話してくれないからだ。


 私は見事な筆記魔法から目を離し、先生の望遠鏡の先を追った。


 漆黒の空にぽつぽつと浮かぶ星を、記憶を頼りに頭の中で振り分ける。それから、北の空の中心に浮かぶ天標星を基準にして必要な星を結び、距離を出して……私には結果を深く読み解けないけれど、そのために必要な記録はできる。


 私が空に目を向けている間にも、先生が操るペンは休みなく動いていた。自動筆記をひたすら続けられる集中力もすごいけれど、いったいどれだけ魔力を食うんだろう。


 いったい野ねずみ何匹分? はさておき、いくら一等魔法師でも、さすがにお疲れが出るのではないかと心配になる。たとえ夜中でも呼んでくだされば、喜んでお手伝いをするのにな……私は弟子なのだから、お師匠さんを支えるのが仕事でもある。


 それなのに、当たり前のようにおひとりで観測と記録を器用にこなしている。大きいようで小さい背中を見ながら、やりきれない気持ちで深いため息をついた。


 ……先生は、私の実力を正しく把握していると思う。何ができるのかを問われたこともないのに、私ができること、得意なことだけを的確に指示してくる。その上いつも、与えられた時間内きっちりに終わる量だ。


 そのうえ、魔法を使うことも求められない。私が引け目や不自由を感じないように気遣ってのことだと思う。そこまでして野ねずみをそばに置いてくれる人は、先生のほかにいないだろう。


 先生のおかげで、私は一度は諦めかけた銀のメダルを掴み、見習いながらも魔法使いを名乗れるようになった。人生のほとんどを賭けた夢を叶えた。


 ……理想と現実は違うとわかっている。それでも私は、飛べなくても空に憧れるのをやめたくない。心地のいいぬるま湯でも、沈められれば苦しいものだ。


 先生が私を見る眼差しは、いつも平穏で冷静だ。手応えのないままに分不相応なほど豊かな暮らしを与えられ、ただ柔らかく守られているだけに感じる中で、私は先生に何かを返せているだろうか……そんな思いは胸の中で硬いしこりになり、大きくなっていく。


 その重さに耐えかねて、ひとりで立つ先生の背中に向かって、私は救いを求めるように声をあげてしまった。


「先生っ」


 先生が、まるでお化けにでも遭ったようにびくりと肩を揺らした。それでも、ノートとペンは空中にぴたりととどまったままだ。並の魔法使いなら、間違いなく地面に落としている。


 私たちの間に、息が詰まるほどの沈黙が落ちる。しまった、という思いがよぎる。だけど一度あげた声は、たとえ魔法を使っても引っ込まない。


 だけど、私はここにいると知ってもらえなければ、さらに暗いところへと沈んでしまいそうだった。


 ゆっくりとこちらを振り返った先生は、今まで見たことないくらいに目をまん丸に開いていた。


「一体どうした? こんな夜更けに……体調でも悪いのか」


 先生が私に尋ねる。私は首を横に振る。


「……あの、お手伝いをさせてほしいのです」


「はい?」


 窓から身を乗り出した私を見た先生は、豆鉄砲でも喰らったような顔で、何度も瞬きをした。私は畳みかける。


「その……記録なら、私にもできます」


 先生は驚きで丸めた目を私から離さないまま、空中に浮かんだノートとペンをゆっくり取った。私にそれを差し出してくれることを期待したけれど、まったく澱みのない手つきで、ノートを上着の大きなポケットに丸めて押し込んだ。


「いや。別に、自分でできるので……」


「そうですか……」


 やっぱり、そうおっしゃるんだよなあ……おおかた予想はしていたけれど、伸ばした手が届かなかったのが今の私にはけっこう堪えた。心がひび割れそうになるのを堪え、俯いて、息をついて、髪を耳にかけ。


 なんとかもう一度顔を上げると、いつもならぷいと目を逸らしているはずの先生が、まだ私を見つめていた。


 そういえば、先生とこんなに長く目が合ったままなのは初めてだ。


 風が吹き、サクラの花びらが吹雪のように舞っている。先生は冬空の下にいるみたいに上着の胸のところをかき合わせ、言った。


「その、冷えるので早く中へ……私はそろそろ休むので、君も」


「はい……」


 別に突き放されたわけでもないのに、私は痛いほどの孤独を感じていた。『拾ってくれた恩に報いたい』という願いは、また胸の奥底へと沈んでいく。


 思いが、届かない。


「浮かれてなんかないってば……」


 窓を閉じ、ベッドの上で膝を抱え、私は夜の闇に向かって小さくつぶやいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ