12.ある一日
……とまあ、初日はどうなることかと思ったけど、よく考えたら私はそんな繊細な神経の持ち主ではなかった。
もし私がそんなか弱い人間だったら……野ねずみと馬鹿にされながらも魔法使いへの道にしがみつき、挙句知らない男性について行くという選択をするわけがない。
私は生来の図太さを遺憾なく発揮し、知らない町での新しい暮らしに順応していった。
目を覚ますのと同時に、枕元に置いた時計を手繰り寄せた。時間は魔法学校の起床の鐘が鳴ると同じ、六時ぴったりだ。
今は、四月ももうすぐ終わりという時期。シュネハイムに来て一ヶ月とちょっとが経った。
布団を畳んでカーテンを開くと、淡い陽の光と鳥の囀りが部屋を満たす。北部のシュネハイムにもようやく春が訪れ、庭木が綺麗なペールピンクの花を枝いっぱいにつけている。
このあたりに自生しているか、好んで植えられている木らしく、他のお宅のお庭でもよく見かける。サクラというらしい。雪が溶けて空気が温んでも、咲き乱れる花のおかげで景色は白いままだ。
窓を開け、窓に備え付けられたポストを開ける。コウモリ便は届いていない。まあ、私のような見習いの魔法師に届くものなんて、魔法師協会が二週に一度刊行する、『修行のお供』くらい。あとは時々ノエミやティナからの便りが届くこともあるけれど、これはコウモリだったり別の方法でだったりする。
「うーん、いい朝!」
今日も天気が良くて、とっても気持ちがいい。思いっきり伸びをしたら服を着替え、髪を梳かしてまとめる。学生の時は下ろしてたけど、今は仕事をするのに邪魔なので、後ろでひとつに縛っていることが多い。
別に髪の長さにこだわりがあるわけじゃないから、思い切って短くしてもいいかも……と考えながら、おくれ毛をヘアピンで止めていく。
スカートのポケットに時計と鍵の束を入れたら一階に降り、洗面所で身だしなみを整える。顔を洗い、化粧水をして、香油を塗って。しっかりと歯も磨く。少し乱れてしまった前髪をあらためて整えたら、奥にある台所へ向かう。
室内にはすでにパンが焼ける香ばしい匂いが満ちていた。
「おはようございます」
挨拶をすると、青い目がちらっとこちらに向いた。
「おはよう」
先生が台所に立って、慣れた手つきで目玉焼きを焼いている。
なんと調理に魔法は使われない。そう、魔法使いが、男の人が、普通のかまどで、普通に料理をされているのだ。初めて見た時は衝撃的だった。
朝食の準備は私がしますと申し出たものの、「朝食は自分で用意したいので」と突っぱねられた。だから、私はお手伝いに徹する。
先生がフライパンの番をしてくださっているので、私はボウルに入ったリンゴに手を伸ばす。真っ赤でとっても美味しそう。
「もう洗ってあるので」
「わかりました」
ナイフで皮を剥き食べやすい大きさに切ると、すでに目玉焼きとパンが乗っているお皿の隅に盛りつける。出来上がった皿は先生がさっとテーブルに運ぶ。言葉はなくても、だいぶ息が合うようになってきた。
献立はミルクとパン、目玉焼きとチーズ、リンゴ。毎朝ほぼ同じメニューだ。ダイニングテーブルでふたり向かい合い、お祈りをしてから食べ始める。ちなみに目玉焼きはいつも私好みの少し柔らかめの仕上がりで、心を読まれたのかと不安になるくらいだ。
食事の間、雑談はほとんどしない。代わりに今日の予定を伝達される。
午前は依頼のため外出され、午後は次の成果報告会に向けての論文や資料を仕上げていくとのことだった。一等魔法師には年に一度、仕事や研究の成果を魔法省に提出する義務がある。その締め切りが近いのだ。
「では、今日もよろしく」
「よろしくお願いします」
先生が先に食べ終わって席を立つ。私も少し後に食べ終わり、二人分の食器を下げる。朝食後の後片付けは私の仕事だ。
台所で洗い物。実家でもやっていたから、慣れたものだ。洗った食器や調理器具をを拭き上げたくらいのタイミングで、マルタさんが台所の勝手口から出勤してくる。
「おはようございます、エルシェさん」
「おはようございます」
マルタさんは先生のところに行って挨拶すると、そのまま洗濯の準備をする。
先生はリビングのソファでコウモリ便で届いた手紙や、新聞に目を通している。魔法使いの業界紙だけではなく、一般誌も読まれる。
「行ってらっしゃいませ」
「ああ」
庭に出て、身支度を終えた先生のお見送り。先ほどから西風が少し強く、サクラの花びらをばらぱらと散らしている。
「……風が強い」
ホウキに乗った先生は小さくつぶやいてから空をひと睨みすると、地面を蹴って風向きに逆らって飛んでいった。
町に一人だけの魔法使いの元には様々な依頼が集まる。シュネハイムは結構広いので、ホウキに乗れない私は移動に時間がかかるだけなのでいつもお留守番だ。その間は来客の対応と、雑用を頼まれている。
エプロンをつけて仕事部屋に入り、窓を開けて外の空気を取り入れ、床掃除。それから机を整えていく。インク瓶が空になってるので補充して、道具を点検しながら磨く。
時間が余ったら、自分の机に向かう。
「この度はご依頼いただきありがとうございます。最初に、料金のご説明をさせていただきます」
私は出来上がったばかりの料金表を取り出して、目の前に置いた鏡に向かって微笑んだ。ちょっと疲れた顔をしている、ような気がする。
まあ、依頼は郵便か電報で来ることが多く、直接の来客はほとんどない。けど備えあれば……というわけで、依頼者さんへの対応の練習は日々欠かしてない。
今日も懲りずに素振りを繰り返していると、マルタさんがお茶を片手に仕事部屋に入って来た。練習を聞かれていたら恥ずかしいなと思いながら、お茶のお礼を言った。
「あら、これはエルシェさんが作ったの? わかりやすくて、とってもいいですね。坊ちゃんもお喜びになったんでは?」
マルタさんが私の作った表を興味深そうに見ていた。先生がお客さんに説明するときに見せているという走り書きの料金表を、仕事の合間を縫って見やすくまとめてみたのだ。しかし、昨日これを見せた時の先生の反応はといえば。
「先生からは『ふむ、なるほど』とだけ」
相変わらずの、石に彫り込んだみたいな硬い表情だった。褒められもしないけど、余計なことだと咎められもしなかったというか。
「まあ。それだけ? それは坊ちゃんを叱らないといけませんね」
「い、いや。私は別に褒めてほしいとか、そういうわけではないので」
先生は、今までは全てをの仕事をひとりでこなされていたらしい。そう、ひとりでこなせていた。今も、当たり前のようにひとりで出かける。
ホウキに乗って飛び去る姿を思い出した時、ちくっと胸の奥を刺すものがある。暮らしに慣れるごとに痛みが強くなる。
私は本当にここにいてもいいんだろうか……と。
換気のために細く開いた窓、カーテンが揺れている。
野ねずみがついていったところで、できることはあまりないのは知っている。それでもなんとか役に立ちたいと考えるばかりに、空回りしているだけな気がして、ちょっと苦しいのだ。




