11.魔法使いの家2
私は部屋に引っ込んで、トランクからコウモリ用のネームプレートを取り出すと窓を開いて身を乗り出した。窓に取り付けられた止まり木で、黒い鳥が羽を休めていた。
「ちょっとごめんね」
ネームプレートを引っ掛ける釘が微妙に遠くて手間取っているのを、鳥がじっと見つめている。手伝ってくれたら嬉しいのにな!
「んん、寒い……!」
目的を果たして窓を閉める。あやうく凍えるところだった。暖炉でしばらく体を温めてから、次は服をワードローブに片付けていく。
服はあまり持っていない。それも母のお下がりと、古着を直したものばかりだ。学生の時は制服を着ていればよかったから、それで困ったことはないけど……ここで暮らすには暖かい上着が必要だなと考えながら、扉を閉じる。
机の上に本を並べ、筆記用具やノートをしまうために引き出しを開いた。中には真新しい懐中時計と鍵の束、シュネハイムの地図が入っていた。鍵はおそらく家や部屋の鍵。
私は、時計をおそるおそる手に取る。
つるりとした銀の時計は、先生が持っているものによく似ているけれど、たぶん少しだけ小ぶり。蓋をよく見ると、なんと私の名前が刻んであった。持ち歩きのできる時計は、庶民には手を出しにくい高級品だ。
見習いの分際で、こんなすごいものを持たせてもらえるなんて。早くも一人前になれたみたいでとても嬉しいけど……。
「けど、魔導式だったら困るな……」
魔法使いは内部に魔石が組み込まれていて、微量の魔力で動く時計を使うことがほとんど。理由は簡単で、誤差が極めて少ないからだ。
けれど魔力が少ない私にとっては、時計のように常に動き続ける魔道具を維持するのはそれだけでかなりの負担になる。
先生の手つきを思い出しながらつまみを押すと、ケースがパッと音を立てて開いた。「ひゃっ」びっくりして、つい短い声をあげてしまう。
白字の文字盤に、黒い数字に黒い針。なんともシンプルなデザインだ。そっと耳を近づければ、まるで鼓動を打っているように音がした。魔力を流さずともきちんと動いているということは、よかった、機械式だ。
今は四時半。夕食は六時からと言われている。それまで何をしていようか……。
部屋を満たす真新しい木の匂い、角の丸い可愛らしい家具。やっぱり落ち着かない。単にここが初めての場所だから、というだけではない。
ひとりだからだ。実家では末の弟と同じ部屋だったし、学校の寮もノエミと相部屋で。私は生まれて初めてもらった個室で、身の置き所がわからずにそわそわと歩き回っていた。
ソファーに腰掛け、その柔らかさに驚いて飛び上がって。窓の外に見える木の数を数えてみたり、引き出しを意味もなく開け閉めしたり、読みかけの本を開いたりしたけれど。
「いや、じっとしてるの無理なんだけど……」
そうだ。どうせ暇ならマルタさんに声をかけて、なにかお手伝いを申し出よう。
よし……私は部屋からそっと顔を出した。
階段下で先生とマルタさんが会話している。内容が気になって、耳をぴんと澄ませた。学校で陰口を言われすぎて身についた習性なんて悲しい話だ。
「明るくて、いいお嬢さんでよかったじゃないですか。大事にして差し上げてくださいね」
「ええ。わかっていますよ……」
先生、マルタさんには敬語で話すんだ……大事になんて言われたら、お嫁に来たみたいで恥ずかしい。さらに耳を大きくする。
「では、坊ちゃん。お夕飯の準備も終わりましたので、私はそろそろお暇いたしますね」
「ええ。お疲れ様でした。明日もいつもの時間にお願いします」
「承知いたしましたよ。ああ、そうだわ。エルシェさんにもご挨拶しなくちゃ」
「では、私が呼んできましょう」
え、ちょっと待って!! 私は部屋を飛び出し、そのままの勢いで階段を駆け降りた。
「え!? マルタさん、どこに行くんですか?」
「どこにって……家に帰るんだ」
二階から転がってきた私を見て、先生が呆れたような表情を向けてくる。
確かにマルタさんは、今から出かけますといった格好……コートを着込んで、片手に大きなカゴを下げている。かけられた布の下からは、美味しそうな匂いが……お料理を持ってる?
「えっ家!? マルタさんって、か、通いなんですか!?」
「ええ。ここから歩いて五分のところに住んでいますよ。ご近所ですから、またお休みの日に遊びに来てくださいな」
マルタさんがにこにこと答えると、先生は頷いてから小窓の外に視線を投げる。空はすでに薄暗くなりつつあって、おまけに雪が降っていた。家の中が全然寒くないから気づかなかった。じゃない。
「そろそろ暗くなりますし、雪も降っているので送ります」
「いつもすみませんねえ、坊ちゃん」
「……いえ。道中、何かあってはいけないので」
「ふふふ。ありがとうございます」
ふたりの隙のないやりとりを呆然と眺めるしかない私。そして我にかえる。
え、待って待って待って。ちょっと待って。
そう。家中見せていただいたとき、マルタさんの部屋がないことが気になっていたんだった。外の小屋にあるのかな? と勝手に納得していたけれど、まさか、住み込みじゃないなんて!!
驚きで口をぱくぱくさせる私に、先生は静かに告げる。
「君。マルタを家まで送るので十五分ほど家を空ける。来て早々悪いが留守番を頼めるか」
「わ、わかりました」
思いもよらぬ形で初仕事を仰せつかってしまった。先生は持っていたコートを素早く羽織ると傘を持ち、マルタさんと家を出てしまった。
玄関の錠がかかる音が、耳の中で何度も反響する。
「えええええー……」
今日初めて来た家にひとり取り残されてしまった私は、まるで泥棒のような足取りでリビングルームに入った。
暖炉の前にソファーセットと小さなテーブルが置いてある。台所に近いところには、食事を摂るためのダイニングスペースもある。別に不思議なものは何ひとつない。ついでに飾り気もない。けれど、実家に帰ったみたいな、友達のお家にお邪魔したみたいな、そんな懐かしい雰囲気を帯びている。
私は姿勢を低くして、リビングテーブルとソファーの下を覗き込む。残念ながら何もいない。
本当に? この家には先生と私以外には……猫一匹いないってこと? これからはふたりきりで暮らすってこと?
年上の男の人と? ふたりで?
パチパチと燃える暖炉の火を見つめ立ち尽くしていると、先生がひとりで戻ってきた。たぶん、きっちり時間通りだと思う。
「ただいま」
「お、お帰りなさいませ?」
反射的に返したけど、これで正解なのかやや不安になる。先生はわたしを怪訝な顔で見た。
「もしや、ずっとそこに立っていたのか」
「そ、そうですね」
「別に座っていても構わないのに」
「お気遣いありがとうございます」
先生はふう、と息を吐いてからコートを脱ぎ、コートハンガーにかける。どうしてそんなに落ち着いていられるんだろう。
「さて、今日は少し早いが夕食にしよう。その後は……ああ、風呂の順番を決めなければな……君はどちらが良いだろう」
「わ、私が後で構いません」
まるで私がここにいるのが当たり前のような顔で先生は言った。
私にとっては人生を揺るがすほどの一大事なのに、先生にとっては気にするほどのことでもないということか。
いや本当、これからどうなるんだろう。




