10.魔法使いの家
行方不明だった私のトランクは、ドアの陰になるところに置いてあった。荷ほどきはあとでと言われたので、私は再びマルタさんの後ろにくっついて部屋を出る。
「一階は坊ちゃんが案内するとのことなので」
その言葉の通り階段下で、坊ちゃん……じゃなかった、先生が腕を組んで待っていた。しかめっ面が少し柔らかく見えるのは気のせいか。余計なことを考えながら階段を降り切った私に、先生は邪念を見透かしたように眉間を寄せた。
「ついてきなさい」
「はいっ」
先生は堅苦しい正装を脱いで、普段着らしき服に着替えていた。生成り色のシャツにややくたびれたグレーのベストと、墨色の分厚いニットの上着を重ねている。上着の左の肘には当て布がしてある。すり切れたのを直して着ているようだ。
素朴というか、質素というか。弟子になる人間のために新品の家具をそろえ、気前よく二等車に乗せてくれるような人にはとても見えない。
「あちらがリビング、こちらが仕事部屋」
先生はそう言って玄関を入ってすぐ横のドアと、廊下を挟んで向かいのドアを順に指すと、仕事部屋のドアを開いた。中は書物や道具で雑然としていて、まさに魔法使いの研究室! といった光景が広がっていた。
壁沿いに書物をたっぷりと抱えた棚が並び、部屋の奥には先生が使っていると思しき大きな古びた机が静かに鎮座する。窓際にはそれよりひと回り小さい机が置いてある。暖炉はあるけど使われてない。代わりに魔石を使用した火鉢を使っているようだ。
先生は小さい机の横に立つ。
「君の机はこれ。各種用紙はこちらに入れてある。インクはそこに予備が。製図の道具はあちらに……」
先生が棚をあちこち開けながら言う。私は部屋に満ちたインクと紙の匂いを吸い込みながら説明についていき、古い道具が並ぶ棚の前で足を止める。私のすぐ横に先生が立った。
薄すぎるとも言ってしまえるほど細身で、かつそんなに背は高くない。男の人なのに、どこか儚げでもある。先生の左耳……耳飾りにぶら下がった魔石とおぼしき鉱石が、ちょうど私の目の前にきた。すごく綺麗な石だ。深い青が揺れている。
「観測用の道具はこの段にまとめている」
まるで猫にでもなったみたいに耳飾りに見惚れる私に気づいてか気づかずか、先生は棚に手を伸ばし、中にある道具をひとつ手に取った。ずいぶんと年季の入ったアストロラーベは、丁寧に手入れされているのが見るだけでわかる。
しかし、古い道具は警戒すべきものと教わっているので、つい身構える。
「危険な道具は今のところ扱っていない。ここにあるものには自由に触れて構わない。古い道具が多いのは、単に中古で揃えたものが多いからだ。妙な曰くがあるわけではないので」
「わかりました」
先生は私が身を固くしたのを見抜いたのだろうと思う。安心して、ほっと息をつく。
もしうっかり変なものに触れてしまったら、魔力のない私にはどうすることもできない。ちなみに魔法学校の倉庫にはところどころにそういう危険なものが紛れ込んでいて、学生がとんでもない目にあったという話はたまに聞こえてきていた。
道具の配置を覚えるために、棚の中をよく観察する。見れば見るほどありとあらゆる道具が収まっていた。魔道具だけではなく、足元の方には普通の工具箱、あげく裁縫箱まで。そういえば、書棚に並ぶ魔法の専門書にも節操がない。
「あの、先生のご専門って古代魔法語ですよね?」
先生は首を横に振る。
「違うんですか!?」
「その授業を持っていたのは、たまたま教員に欠員が出たからだ……私自身には専門と呼べる分野はない。求められれば何でもやるので」
「広く浅く、ということですか……」
つい口が滑ったのを咎めるように、先生の眉がわずかに動いた。
「って、すみません。失礼でした」
「いや。君の解釈は間違っていない。事実、私にできないことはないが、突出したものもないので……では、次」
さらりとすごいことを仰った。さすが一等魔法師ということか。できないことの方が多い私とは真逆だなあと思う。
私たちは研究室を出て、家の奥へと進む。そこには水回りがまとめられていた。トイレと大きなバスタブのある浴室、洗面所、食料貯蔵庫付きの台所をさっと紹介された。
台所ではマルタさんがすでに夕飯を作りはじめているようで、まな板の上には切った野菜が整然と並び、かまどの鍋からはふわふわと湯気が立っている。
「以上だ」
……これで終わり? あれ?
リビングに通され、ソファに座るように促されたので従う。
これも古いものだけど、包み込むような座り心地だ。目の前には赤く燃える暖炉。おかげで、外の寒さが嘘のように暖かい。台所からは料理の匂いが漂ってきて、緊張感もくそもなくお腹が鳴ってしまいそう。
そんなまるで住み慣れた家のような居心地の良さと一緒に、私は割と大きめの違和感を覚えていた。
もう一度、家の間取りを思い出す。うん。なんというか……ないといけないものがこの家にはない。
「あの……このお家には……」
目の前に座った先生に向かってそこまで言って、どう言葉を続けようか迷った私を遮るように先生が言った。
「君の部屋の机の引き出しに支給品を入れてあるので確認しておくように。もし生活に足りないものがあれば遠慮なく言いなさい。もし私に言いにくければマルタに」
マルタさんが先生と私それぞれに湯気立つお茶を出しながら、目を細める。
「ああっ、そうだ!! あんな素敵なお部屋を用意していただいてありがとうございます。あの、私、せいいっぱい頑張ります! 三重圏計算でも薪割りでも煙突掃除でも何でもお申し付けください」
「あらあ! 頼もしいお嬢さんだこと!! ねえ坊ちゃん」
マルタさんが手を叩いて大笑いしたけど、先生の表情は相変わらず氷のように硬いまま。けど、肩がぴくぴくと動いている。
しまった、また失言したかも……とうとう怒られることを覚悟したけれど、先生の声は意外にも静かだった。
「礼には及ばない。弟子の衣食住を整えるのは師匠の義務なので……私はこれから仕事をするが、君は荷解きが済んだら今日は自由に過ごしてもらっていい。明日から働いてもらう」
ぽいぽいと言葉が飛んでくる。温度差がすごい。先生の周りだけ、空気が明らかに冷たい。
「わかりました……」
「あと、薪割りは自分でやるので」
先生はとどめのように鋭い目線をよこすと、さっさと仕事部屋へと消えてしまった。
「怒らせてしまった……」
肩を落とした私に、マルタさんが笑って言った。
「大丈夫。あれは照れてらっしゃるんですよ」
「照れ……?」
耐えきれずに首を傾げる。マルタさんは自信たっぷりに続けた。
「ええ。坊ちゃんは、とびっきりお優しくて照れ屋なのです」
えっと。顔色なんかひとつも変わってなかったですが、どのあたりが? どうやら、私には人を見る目がないらしい。
あれ? ところで、何を尋ねようとしてたんだっけ?
いつの間にかリビングにひとり取り残された私は、また首を傾げた。




