第99話 変質する
第99話 変質する
ザフィルの部屋は、部屋というより居住空間だった。
複数の部屋から構成され、そのどれもが豪奢で華やかだ。
各部屋の窓は、すべて大きな透明の一枚ガラス。窓を閉じていても、光が入ってくる。
すべて完璧に整えられ、一分の隙もない。
シルリネアが呟く。
「生活感がなさすぎる」
住んでいる人の息吹が感じられない。
書斎と居間を兼用しているらしき部屋には、たくさんの本が置かれている。だがそれらは、美しい書棚にすべて整然と並べられていて、読んだ形跡が見当たらない。
ヴェンツェルが蔵書を見て、感嘆のため息を漏らす。
「これだけ膨大で質の高い蔵書は貴重です。すべて読みたいところですが」
「勘弁してくれよ、学者先生」
影嵐が、皮肉交じりに言った。ヴェンツェルは微笑む。
「やりませんよ。後日で十分」
シルリネアは、ふたりの様子を見て小さく笑い——部屋を見渡してため息をついた。
「服も家具も立派なものばかりだけど……」
言い淀む。見た目は立派で華やかで、完璧だ。それなのに。
「『飼われてた』ってやつだな」
影嵐が、シルリネアには言えなかった言葉を引き取った。
「いい部屋、いい家具、いい服、いい本。きっとメシもいいものだったろう。だが、自由だけはない」
シルリネアは頷いた。ヴェンツェルも寂しそうな表情で周囲を見る。
「首輪と鎖で管理されてたんだろうさ。実際に首輪と鎖がついてたかは、知らねぇが」
ふと、シルリネアはカルブを思い出した。
真紅の首輪がきつく巻かれた、痩せた子犬の姿。あれは、ザフィルの内面の投影だったのだろうか。
シルリネアは嘆息し、続き部屋になっている寝室に足を踏み入れた。
大きな天蓋付きベッドが、真っ先に目に入ってきた。
ひとりで使うには、あまりにも大きい。かえって空虚に見えてしまう。
「この部屋」
シルリネアは見覚えがあった。ザフィルの中で「視た」部屋だ。
ここで、ザフィルは「罰」を受けていた。触媒が埋め込まれたのも、ここだ。
「どうした」
影嵐に問われ、シルリネアはそっと首を横に振った。
「ザフィルを癒した時に、ここを『視た』だけです」
「……そうか」
影嵐は、シルリネアが言わんとしていることを理解したらしい。視線を外し、ヴェンツェルに声をかける。
「反応は?」
「いえ、残念ながら。この部屋に目当てのものはなさそうです。念のため、あの階段の先を確認してから、次に行きましょう」
ヴェンツェルは、魔力の流れを魔法で詳細に探りながら歩いている。そのため、歩みが緩慢だ。
影嵐がもどかしそうに舌打ちをすると、ヴェンツェルは苦笑した。
「アザルファの魔力は曖昧で捉えどころがなく、流れを読むのが難しいんです。それでも、ごく近くまで寄ればわかります。すみませんが、お付き合いください」
影嵐はため息をつき、上へ伸びる階段に足をかけた。
シルリネアとヴェンツェルは、顔を見合わせて微笑みを交わした。
******
アザルファが穏やかに微笑む。
メイランの猛撃をかわしながら。ザフィルの魔法の矢の雨を受けながら。何事もないかのように。
10回「殺した」あたりから、急激に攻撃が当たらなくなり、殺せなくなった。
剣筋を見切られたのだろう。ならば、別の武器に切り替えればいい。そう思った時。
「そろそろいいかな」
アザルファの声と共に、大地が揺れた。
凄まじい地鳴りが山を包み、地割れが縦横に走る。
ひときわ大きな地響きがした。空が暗くなる。
メイランが反射的に空を見上げると、巨大な岩塊が山肌から削り取られ、今まさにこちらへ落ちてくるところだった。
ザフィルはすぐに理解した。
アザルファが魔法で山を揺らした。岩塊は魔法で作られたものではなく、揺すられ切り出されたものだ。メイランに当たる。
即座に魔法の矢を振り分け、岩塊が砂礫になるまで砕き尽くす。
「ザフィルは優しくて良い子だね」
アザルファがゆったりと声をかける。ザフィルはあからさまに顔をしかめた。
砂礫を浴びながら、メイランは剣を収めた。短剣を抜き、アザルファに肉薄する。
剣術は見せた。だが短剣術はまだ見せてない。これでまた、殺せるようになるはずだ。
「ザフィル!」
メイランは声を張り上げた。
「槍作って! あと思いつく武器全部!」
武器と名のつくものなら、大抵のものを扱う自信がある。
アザルファの魔法への対処をザフィルがしてくれるなら、自分が殺すしかない。
ザフィルは武器を作れと言われ、困惑していた。
武器には詳しくない。
頭の中のほぼ使われない領域から、どうにか武器の知識を引き出したが……。
果たして作れるだろうか。あまり自信がない。
10回殺して見切られるなら、100回殺そうとするなら、少なくともあと8種類の武器が必要だ。剣と短剣以外で。
槍と……他には何があればいいのだろう。
******
影嵐に先導されて、狭い螺旋階段を登る。
足元には絨毯が敷き詰められ、壁には幾何学模様が縦横無尽に描かれていた。
「壁はすべて、魔法に関連する図柄ですね」
ヴェンツェルがため息をついた。
「何かの魔法発動を意図したものではなさそうです。落書きに近い」
魔法を弄ぶような行為だ。多くの魔法使いは、眉をひそめることだろう。だが、ヴェンツェルの意見は違った。
ザフィルは、魔法しか持っていなかった。
アザルファは、魔法しか与えなかった。
やがて、階段が終わりを迎えた。
明るい陽光が円形の部屋を満たしている。
壁から天井にかけて、すべて透明のガラスだった。まるで外にいるかのようだ。
高さがあるため、周囲を一望できる。
そして、部屋の中央には。
簡素な椅子がひとつ、ポツンと置かれていた。
この椅子に座って、誰が何を考えていたのか。
想像に難くなかった。
******
ザフィルは魔法を使い、槍の柄を木から削り出してみた。
素人以下の目から見ても、柄の強度がない。これでは、メイランが使うに足るとは思えない。
どうしようか。思案しようとしたその時。
シルリネアに渡している魔法生物から、反応があった。アザルファの屋敷全体を覆う、隠蔽魔法の解読が終わった合図だ。
すかさず読んだ。
壊せる。
ザフィルは、アザルファの屋敷に意識の多くを振り分けた。
魔法生物を経由して、様子を探る。
場所は——展望室だ。広く見渡せる場所は都合がいい。
「シルリネア」
魔法生物に発声させる。
彼女はびくっと飛び跳ねるように驚き、慌ててポケットから魔法生物を取り出した。視界が広がる。
「隠蔽魔法を破る。そのまま少し待って」
ザフィルは魔法生物に、破壊のための魔法構造を流す。
ガラスをすり抜け、見える範囲から順番に魔法を展開していく。展望室は見晴らしがいいので、広範囲に浸透させやすい。
屋敷全体の空気が変質した。
目に見えない何かが、大規模に崩壊する手応えがあった。ガラスを砕く感触に近い。
「壊した。ヴェンツェル、これで探知魔法がまともに効くよ」
周囲を見渡し……影嵐がいた。メイランが認める武器の名手。
閃く。これだ。
「影嵐、ありがとう。メイランを助けられる」
ザフィルは一方的にそう告げて、意識の接続を切った。
続いて、子犬に意識を分配する。
子犬の近くにゲルハルトがいた。
こっちも好都合だ。
「ゲルハルト」
子犬から老騎士に声をかける。老騎士は、怪訝そうにこちらを見ている。
「魔法王国の武器庫に送る。メイランに使えそうな武器を見繕って。数じゃなくて種類が欲しい」
わからないなら、わかる人に聞けばいい。
ゲルハルトは重々しく頷いた。
「承知した。送ってもらおう」
その声を合図に、ゲルハルトと子犬の魔法生物の姿が、掻き消えた。
刹那。
ザフィルの視界の片隅で、ぱっと赤い線が走った。
視線を向けると、血のついた剣を持つアザルファと、左上腕に血線を貼り付けたメイランがいた。




