第97話 力を束ねる
ザフィルは目の前の男を睨みつける。
信じられないという程ではない。だが、予測しうる状況の中では最悪の部類だ。
目の前にいるのは、凡庸以下のくだらない男なのに。
雰囲気が、口調が、魔力が。アザルファのそれだ。
理解した瞬間、反射的に恐怖を覚えた。そんな自分を、苦々しく思う。
怖がる必要などないのに。
あいつは一度殺した。
また殺せばいい。
何度でも。この世から完全に消え失せるまで。
さあ、どうやって壊してやろうか。
メイランは昨晩、ザフィルから可能性として聞いていた。アザルファが「在る」かもしれないと。
それでも、目の前で起きていることは衝撃だった。
「あいつそのものが出てくる可能性は、低いと思うけど。その時は最悪だね」
ザフィルはそう言っていた。満天の星空の下で。
だが可能性があるのならと、シルリネアに「切り札」を持ってもらうことにした。
昨晩ザフィルと話し合って用意したものを、早々に使うことになりそうだ。
メイランは奇縁に苦笑する。同時に、これで良かったのだとも思う。
なぜなら、シルリネアは聡いから。
自分の仕事は、彼女に目を向けさせないことと、アザルファを釘付けにすること。
メイランは、剣を構え直した。
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ザフィルが自分とメイラン、アザルファを囲むように岩の壁を巡らせた。
シルリネアだけ除外される。中の様子が見えない。
ということは、アザルファもこちらを見ることができない。
好機だ。シルリネアは、ザフィルが自分をアザルファから隠してくれたことを理解する。
ポケットの中から、預かっている紙のうちの1枚を引き抜いて握りしめた。
「ヴェンツェル!」
シルリネアが叫んだ途端、彼女の姿が掻き消えた。
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岩壁の内側で、ザフィルがうっすらと笑う。
メイランも笑った。
「さすが。機を読ませたら絶品だな」
アザルファは悠然と立っている。
「小鼠が1匹、逃げたね。何を企んでいるのかな」
切り裂かれ、穴だらけになった服を整えながら、アザルファが言った。
メイランが距離を詰める。
「あんたにゃ関係ねぇよ。俺さ、あんたをずっと殺してぇと思ってたんだ」
軽く笑い、鋭く飛び込んだ。
弟がやられた分を、すべてやり返さないと気が済まない。
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ヴェンツェルとゲルハルトは、大神殿に割り当てられている部屋で、今日やるべきことを打ち合わせていた。
今日は、シルリネアの異端および偽聖女認定の無効化を提示するつもりだった。
彼女の名誉を回復することで、彼女を使者にした自分の、ひいては祖国の名誉も高まるはずだ。
「ロランド高司祭という駒もいる。そう難しくもあるまい」
ゲルハルトがそう言った。相手が人であれば、調略が効く。ゲルハルトの得意とする領域だ。
神託という人知の及ばない要素が絡むよりも、よほどやりやすいはずだった。
「頼りにしています」
ヴェンツェルが微笑んだ。
足元に視線をやれば、ザフィルの魔法生物が伏せている。子犬の姿をしたそれは、昨晩、突然喋った。
——シルリネアが来たら便宜を図って。
ザフィルからの伝言は、それだけだった。
あのザフィルがわざわざ伝えてきたのだから、重大なことなのだろう。仔細はシルリネアに聞けばいい。
そう思っていた矢先に。
「ヴェンツェルさん!」
シルリネアが瞬間転移で飛び込んできた。
「噂をすれば、ですか」
ヴェンツェルは思わず苦笑してしまった。
「ご用は? ザフィルから便宜を図るようにとは言われていますが」
慌てた様子のシルリネアを落ち着かせるように、ゆったりと話しかける。
シルリネアは深呼吸をひとつして、ヴェンツェルをまっすぐ見返した。
「お願いします。私と一緒に安洛城へ行ってくれませんか?」
言いながら、ポケットから紙を1枚引っ張り出す。
「詳しくはここに書いてあります」
「拝見します」
シルリネアから手渡された紙を広げ、文字を読む。
読み始めてすぐ、ヴェンツェルの表情が驚愕に彩られた。読み進めるにつれて、驚愕が苦笑に変わっていく。
「なるほど。……ゲルハルト卿」
ヴェンツェルの呼びかけに、ゲルハルトが片眉をあげた。
「出かけます。すみませんが、今日の予定は明日以降に延期してください。シルリネアを手伝わなくてはいけないのです」
「構わんが。何をしに?」
ゲルハルトの問いはもっともだ。ヴェンツェルは悪戯っぽく微笑む。
「ちょっと世界を救いに。仔細はその紙をお読みいただければ」
そう言って、ヴェンツェルはシルリネアを連れ、瞬間転移で姿を消した。
残されたゲルハルトは、同じく取り残された紙を手に取り、読む。
その様子を、子犬が見ていた。
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岩壁はすぐに無効化された。
アザルファが触れるだけで魔法構造が壊され、壁が消える。
問題ない。シルリネアはもう、この場にはいないのだから。
目の前では、メイランがアザルファに鮮やかな連続攻撃を加えている。だが当たらない。余裕をもって回避されている。
しかしメイランは焦っていない。ザフィルもまた、冷静だ。
この攻撃を当たるようにする。ザフィルはそう決め、瞬間転移で立ち位置を変更した。
今まではメイランの背中が見えていたが、距離を置いた横顔が見えるようになった。
魔力を編んで魔法とし、矢を形作る。魔法使いなら誰でも使えるような初級の魔法だが、ザフィルはそれを幾百、幾千と作り出し、アザルファに向けてすべて放った。
傷つけるのではなく、足止めと意識散らしが目的だ。メイランは魔法を無効化できるので、流れ矢を心配する必要もない。
凄まじい量の矢が、外れることなくアザルファに殺到した。矢を打ち尽くす前に次の矢を作り出し、さらに放つ。
「赤子のような魔法だ」
アザルファが穏やかに微笑む。矢はその体をほとんど傷つけていない。服の破れ目が少し広がった程度だ。
「こんな魔法で、何ができる?」
「そうだね。子供の魔法だ。でも——」
ザフィルがゆらりと首を傾げる。
「100万ぐらい作るから」
魔法の矢が、空を埋め尽くした。
「まだ100万には届かないけど……。これぐらいあれば、たまには痛いかもしれないね。足りなければ1億追加しようか」
無数の矢に叩かれて、アザルファの動きが少し鈍った。メイランはそれを見逃さず、特に動きの鈍った足に、数本の傷をつけた。
「メイラン」
「なに」
ふたりは視線を交わさずに会話をする。
「彼女が1段階目を抜けたよ」
「そりゃあいい」
メイランが笑う。
「こっちも頑張らねぇとな」
彼の剣が、アザルファの脇腹をかすめて血線を作った。
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瞬間転移で辿り着いたのは、薄暗い屋内だった。
「ここ……!」
シルリネアが息を呑む。
忘れるはずもない。懐かしくて温かい場所。
「魔法で指定できる場所を、ここしか知らないんです。残念ながら」
ヴェンツェルが微笑んだ。
そこは、シルリネアがメイランと仮住まいした安洛城の家だった。
あの時のまま、保存されている。
感傷に浸る余裕はない。
扉を乱暴に開け、外に出て周囲を見渡した。
太陽を見れば、昼下がり。皆、どこかに出かけている時間だ。
安洛通運に行けば、誰かいるだろう。だがその前に。
シルリネアは走り、一軒の家の前に立った。迷いなく扉を叩く。
「シルリネアです、湖娘です。黄嵐さん、いらっしゃいませんか!」
大声で呼ばわると、すぐに扉が開いた。ヴェンツェルも追いついてきている。
扉の中から出てきたのは、華嵐だった。
「本当にシルリネアだ。どうしたの、梅弟は?」
驚きと喜びを混ぜた顔で、華嵐は笑う。
「華嵐さん!」
シルリネアも笑顔になった。彼女に出会えたのは望外の喜びだ。
「華嵐さん、影嵐さんはいませんか? 私、メイランに頼まれて、影嵐さんに力を貸してもらえって……!」
「愛息子と愛娘が、助けを必要としているのか?」
奥からのっそりと、黄嵐が大きな姿を現した。
「黄嵐さん! お久しぶりです」
シルリネアが挨拶しようとするのを手で制し、黄嵐が口を開いた。
「華嵐、助けてやりなさい。何をどう使ってもいい、最優先で」
シルリネアは驚きで目を丸くした。
まだ事情を説明していない。それなのに黄嵐は、助けてくれるという。
——親父は縦も横も懐もデカいんだよ。
そう言って笑ったメイランを思い出す。本当に、その通りだ。
「承知しました」
華嵐は黄嵐に一礼してから、シルリネアに向き直って微笑んだ。
「じゃあやろうか。影嵐が欲しいんだっけ? あいつは安洛通運。馬を出そう」
華嵐が先導する。堂々とした歩きぶりに、艷やかな黒髪が揺れ踊った。
馬のおかげで、安洛通運まであっという間だった。
華嵐は中庭まで馬を乗り付ける。何事かと集まってくる面々を一瞥してから、声を張り上げた。
「影嵐! 親父殿の仕事をするよ、出てきな!」
間を置かず、影嵐がふらりと出てきた。
彼は華嵐とシルリネア、ヴェンツェルを見て顔をしかめる。
「変な取り合わせじゃねぇか。梅はどうした」
シルリネアが馬から飛び降りる。ヴェンツェルも下馬した。
「影嵐さん、お願いです、力を貸してください。メイランからも、あなたを頼れって言われてて……!」
紙を1枚、影嵐に渡した。影嵐は紙を開き、書かれている文面を読む。
中庭にいる人々の視線は、すべて影嵐に向いていた。
「親父殿から、最優先でシルリネアたちに協力しろって言われてるからね」
華嵐の言葉に、影嵐は渋面を作った。妙に明るい碧眼がシルリネアを見据え、続いてやや遠くを見た。そこに誰かがいるかのように。
「相変わらず下手クソな字を書きやがる。梅は、読む側への配慮が足りねぇな」
読み終えた紙を丁寧にたたみ、懐にしまいこんだ。
「付き合おうじゃねぇか。あの梅が、ちっぽけな見栄も誇りもぶん投げて頼んできたんだからな」
「ありがとうございます!」
シルリネアは勢いよく頭を下げた。影嵐は片手で礼を制しながら言う。
「少し待て。武装だけ揃えてくる。姉貴、後は任せた。紅と黒を仕込んである」
「任された。安心しな」
華嵐が笑った。
影嵐はふらりと立ち去り、程なく戻ってきた。
金属と革の入り混じった鎧、九節鞭、長刀と短剣数本。それが彼の武装だった。
「で、どこに行けばいい」
「ザルミールのアザルファの館」
シルリネアが即答した。ザフィルから預かった符を取り出す。
「これで行けます」
かつて黒嵐を寝込ませた、ザフィルの符だ。
「じゃ、さっさと行くぞ」
影嵐に頷き、シルリネアは符を起動させる合言葉を唱えた。
「お前のすべてを否定する」
途端に、3人の姿が煙のように消えた。




