第96話 目覚め
シルリネアたちが、外に通じる洞窟を歩きはじめた頃。
メイランは、ザフィルが背中で身じろぎするのを感じた。
「お」
肩越しに様子を見ると、やはり起きそうな気配がある。
「起こす?」
シルリネアが、持っている松明でザフィルを照らしながら言うと、メイランは首を横に振った。
「いや、いいよ。起きるまで放っとこう。重くねぇし」
ザフィルは驚くぐらい軽かった。シルリネアより背が高いのに、彼女よりずっと軽い。
あまりに軽いので、一度はシルリネアに預けた自分の荷物を、すべて回収したぐらいだ。シルリネアも胸に浅からぬ傷を負っている。無理はさせたくない。
「何を食って生きてきたんだか」
メイランは苦笑した。味覚がほとんどないと言っていたので、ろくなものではなさそうだ。
自分も、他人に何かを言えるような味覚ではないが。
「メイランがそれ言うの?」
案の定、シルリネアに呆れられた。メイランは笑う。
「だよなぁ。でも俺は、青嵐でまともに食わせてもらってたからさ。こいつは、それもなさそうだよな」
落ち着いたら、もっと肉をつけさせたい。青嵐に連れて行けば、あのお節介な人たちが、なんとかしてくれるだろうか。
結局ザフィルが目覚めたのは、洞窟を抜ける直前だった。
「……メイラン、降ろして」
彼は状況を理解すると、やや気まずそうに訴えた。
「よく眠れた?」
ザフィルを降ろしながら、メイランが笑顔で問いかける。
「10年ぶりぐらいかな」
ザフィルも応える。もっと長いかもしれないが、概算ならこんなものだろう。
「あ、やっぱろくに寝てなかったのか。目を閉じるだけだったろ」
「そうなの?」
シルリネアは目を丸くして驚いているが、メイランは納得した様子だ。
ザフィルは観念して嘆息した。メイランの目を誤魔化そうとするのは、やるだけ無駄のようだ。
「眠り方がよくわからない。気を失うことはあるけど」
シルリネアが顔をしかめる。
「それって睡眠が足りなさすぎて、体が限界になって気絶してるだけでしょ」
「かもね」
ザフィルが肩をすくめた。
メイランはふたりのやり取りを見ていたが、ふと思いついた様子で口を開く。
「じゃあお前、石哭谷から昨日まで、寝てなかったり?」
「そうだね」
あっさりとザフィルは認めた。メイランとシルリネアは絶句する。
「マジか。10日ぐらいか? よく生きてんな……」
「だから気絶するんでしょ」
「そんなに困っていない。だから問題ない」
ザフィルはまるで他人事のように話す。眠れないことに危機感を持っていない。
だがメイランとシルリネアには、異常事態だと思えた。味覚と痛覚の薄さ以上の問題かもしれない。
眠るための方法を、メイランとシルリネアはそれぞれ頭に思い描いた。
おまじない、温かくすること、火を見つめること、眠りを誘う香りや薬草……。
ふたりは顔を見合わせ、視線で頷き合う。
折を見て、すべて試そう。
******
洞窟を出たところで、短い休憩を取る。
「シルリネア」
ザフィルが寄ってきた。
「昨晩メイランと話して、作った。持っていて」
シルリネアは紙の束を渡された。手渡しで。
「なに、これ」
シルリネアはザフィルに問い、続いてメイランを見た。メイランが笑う。
「切り札」
ザフィルも頷いた。
「そう。使い方はこれ」
「いつ使うかは、シルリネアに任せるよ」
使い方が書いてあると言われた紙を広げ、読む。
途端にシルリネアの表情が固くなった。
「これ……」
ふたりに問いかけると、メイランが優しく微笑んだ。
「使わないで済むなら、その方がいいけど。いざという時は、頼んだ」
シルリネアは、ふたりから託されたものの重さを知った。
まさに切り札だ。これを使うのは、相当追い詰められた時になるだろう。
わずかな判断の遅れが、メイランとザフィルを死に追いやるような。
それでも、託してくれた。
「わかった」
厳粛に頷き、いつでも出せるようポケットに入れた。
******
歩き続けていると、やがて開けた場所に出た。
「このあたりでいい?」
ザフィルが問う。
シルリネアは頷いた。この場と洞窟の関連性が疑われない程度には、距離を取っている。だから大丈夫。そう思った。
メイランも頷く。どうせ生きて返さない。だから場所など問題にならない。ふたりの都合が良ければ、それでいい。
「あそこに呼ぶ」
ザフィルが一点を示した。メイランは剣を抜き、進み出る。
次の瞬間、ザフィルの示した場所にひとりの男が現れた。ザフィルが瞬間転移の魔法で、強制的に連れてきた。
中年の、見た目に特段の印象を持たない男だ。凡庸で、覇気などどこにも見えない。
現に男は、何が起きたのかわからない様子で呆然としている。
光の神の司祭風の格好をしている。この姿で、各地にある神殿に出入りしていたのだろうか。
「よう」
メイランは低く威圧的な声で、剣の切先を男の首に向けた。男はびくりと身を震わせ、メイランを見た。
「お前……!」
男が息を呑み、声を出そうとする。
メイランはすかさず、剣の切先を首に近付けた。
「下手なことをしたら殺す」
男が喉をごくりと鳴らす。喉仏が上下した。
「こんにちは」
ザフィルがゆらりと歩を進め、男の前に立った。
「ザフィル!」
男は緊張と恐怖で枯れた声で、ザフィルの名を呼ぶ。
「お前など知らない。用件を言え」
感情のない平板な声だ。淡々としているのに、圧倒される。逃れるように、男は口を開いた。
「どうして、お前は、触媒を……!」
ザフィルの片眉がわずかに動く。メイランは剣を一切動かさない。
「そう」
このつまらない男は、触媒を知っている。その目的も知っている。そして、触媒がもうないことを知っている。
それだけわかれば十分だった。
「さようなら」
ザフィルは怯える男を破壊しようとした。その時。
男の口が、笑みをかたどった。
メイランの全身に悪寒が走る。即座に男の首に剣を突き立てた。
皮膚を裂き、血管を千切り、肉を貫く感触がある。骨に当たって止まった。
だが。
「……かわいそうに」
男が言葉を発した。喉を断っているのに、どうして話せる。メイランには理解できなかった。
しかも、先程まで怯えていた男とは思えないような、落ち着いた口調だ。
視界の片隅で、ザフィルが動揺を見せた。目を見開き、硬直している。
メイランは素早く剣を引き抜いた。首から血が噴出する。
返り血など意にも介さず、メイランは男の肩から袈裟懸けに斬り払った。さらに手首を返して横一線に胴を斬り、胸に剣を何度か突き込んだ。その度に、大量の血が飛び散る。
男が倒れた。
これだけやれば、さすがに死ぬ。少なくとも、動けないはずだ。
そのはずなのに。
男が起き上がった。血は止まり、半ば切断されていた体はすべて繋がっている。
目の前の出来事は、メイランの理解の範疇を完全に超えていた。
男は優雅にさえ見える様子で立ち上がり、悠然と笑顔を向ける。
「この哀れな男は、私を運んでくれた。色々な物事を、調べてくれさえした。献身を褒めないといけないね。それに比べて、言うことを聞かないお前は、どうするべきだろうね、ザフィル?」
「アザルファ……!」
ザフィルが低く絞り出すような声を出した。怒りと恐怖が混ざり合っている。
「魂を分けたのか……!」
アザルファと呼ばれた男——シドゥが穏やかに微笑んだ。




