第95話 夜明け
夜半、リュミエール神聖王国。
大聖堂で神託の儀が執り行われた。
厳かな雰囲気の中、大司祭が光の神の神託を受け取った。
光の神の信徒は虚偽を述べない。
その大前提があるからこそ、大司祭の神託は強い意味を持つ。
だが実際は、どうだろう——。
ヴェンツェルは、儀式の結果を見守った。
今後のことを考えると、儀式がどう行われ、大司祭が何を伝えるかを確認したい。
結果が重要なのは当然だが、それ以上に、大神殿の最高意思決定の過程を把握したかった。
神意を得る様子を見る限り、魔法的な手順を踏んでいる。それなのに、魔力以上に体力を消耗しているように見える。
ヴェンツェルの学んできた魔法理論では、あり得ないことが起きている。
だが——。
シルリネアの癒しの魔法も、魔法理論では説明しきれない。
彼女の魔法は、この神託と似通った手法なのかもしれない。
「神託は、得られた……」
老いた大司祭が、助け起こされながら言う。息も絶え絶えに。
話には聞いていたが、神の意思を問うことは、かなりの体力を消耗するらしい。
ならば、余計に引退すべきではないのだろうか。年齢的にも体力的にも限界だ。
大聖堂にいる全員が見守る中、大司祭が重々しく口を開いた。
「虚無は絶えた。魔法王国の同朋の言ったことは、真実である」
大聖堂がわきあがった。
ザフィルが死んだ。この場にいる人々は、そう解釈しただろう。
現実は異なっていたとしても。
大司祭は、意図的に神託の解釈を変えている。虚偽とは言えないまでも、全体意志の誘導をしていることは、明白だと思える。
興奮に包まれた大聖堂の中にあって、ヴェンツェルとゲルハルトは冷静だった。
やっと前提条件が整った。
シルリネアの名誉回復が、ようやく始められる。
******
シルリネアは夢を見た。
創生神に捧げられた時の。
10歳ぐらいの頃、薬草師のバーバ・ロゥに連れられて、森の湖に来た。
お前は神様の娘になって、この村と森を守るんだ。
そう言われた。
名誉なことだと思った。
だって、大好きな人たちを守ることができるのだから。
育ててくれた人たちに、恩返しができるのだから。
湖には、光り輝く人がいた。
ああ、この人が神様なんだと思った。
まぶしすぎて、姿も性別もよくわからなかった。でも、神様だとわかった。
神様の手が、シルリネアに触れた。
力が流れ込んでくるのを感じた。
そうして彼女は、神の子に——神の娘になった。
神の娘にできることは、神に与えられた力を使うこと。
求められた時に聖域を開くことも、役割のひとつだった。
力を使うのは、ひどく疲れることだった。
だからシルリネアは、儀式で必要になる時以外に、神の力を使うことはなかった。
最初は、他の神の子たちと聖域を開くだけで、数日寝込んだ。それ以上の力を使った時は、もっと。
先に神の子になっていた人たちに、疲労を軽くする方法を教えてもらった。そのおかげで、少しずつ楽になっていったが、それでも疲れることに変わりはなかった。
神の力を使ううちに、癒しの魔法を使えるようになった。
それは神の力ではなく、神の力に影響されて、自分の中から生まれた力だった。
神の子たちには驚かれた。バーバ・ロゥには、酷く怒られた。
お前は神の子であって、神ではない。癒しの魔法など、使う必要はない。
自分を傷つけてまで、誰かを癒す必要はない。
そう言われた。
優しさと心配からくる言葉なのはわかったが、それでも、癒しの魔法を捨てることはできなかった。
自分ができることは、何でもやりたかった。
それが、シルリネアの恩返しの形だった。
決して豊かではない村で、捨てられていた彼女を育ててくれた人々への——。
たとえ神の子にするために、育てられたのだとしても。
その優しい人たちは、恩返しをしたかった人たちは、もう誰もいない。
涙がひとしずく、シルリネアの頬を伝った。
夢の中で、村の出来事の断片が流れていく。
湖からそそがれるせせらぎのように。
******
ザフィルはメイランから渡された毛布に包まって、夜空を眺めている。
月と星を見ながら、ヴェンツェルたちの様子を見ている。
子犬が懐に押し込まれていて音しか聞こえない。それでも、起きていることはだいたいわかる。
探査の糸をリュミエールまで伸ばすこともできるが、そこまでする必要はないだろう。
どうせ眠れないのだから、急ぐ必要はない。
眠る方法は、忘れて久しい。意識を失うことはあっても、自分で眠ることができない。
メイランたちの前では、眠ったふりをしていた。
そういえば。
ザフィルが首を傾げた。
「魔素が歪まない……」
普段ならそろそろ歪むはずなのに、その気配さえない。
触媒が魔素を歪ませていたのだろうか。
それともここが、創生神の聖地だからだろうか。
わからない。確定するための材料が少なすぎる。
だが、ここならもしかしたら……。
「定住できる?」
ひとつのところで暮らすということが、できるのかもしれない。
いやだめだ。
期待してはいけない。
触媒は消え、メイランが受け入れてくれた。これ以上、何を望むというのだろうか。
ザフィルは自分を戒めたが、それでも期待が頭をもたげてくる。
こんなことは、今までになかった。諦めるのは得意だったはずなのに。
戸惑いながらも、彼はいつの間にか眠りに落ちていた。
******
「起きねぇな」
メイランが、ザフィルを覗き込んで呆れ顔で言った。
「どうするの、これ」
シルリネアも困惑顔だ。
ザフィルは眠っていた。
声をかけても起きないし、体を揺すっても起きない。
魔法による睡眠なら、メイランが触れれば消えるはずだが、それでも起きない。
シルリネアの見立てだと、体調を崩している様子はないという。
つまり、ただ眠っているだけということになる。
夜はすっかり明けている。朝食も食べた。保存食も、シルリネアの家にあったものをいくつか持ち出した。
出かける準備はすっかり整っている。
ただ、ザフィルが目覚めないだけで。
「とりあえず、背負って連れてくか。シルリネア、俺の荷物半分ぐらい頼んでもいい?」
「いいけど……」
眠り続けるザフィルを背負うメイランを見ながら、シルリネアは嘆息した。
どこに行けばいいのか知っているのは、ザフィルだけだ。
「山脈の外に出るまでは確定だからな。それまでに起きなかったら、また考えよう」
メイランは気楽そうに笑いながら、歩きはじめた。
シルリネアはメイランの背を追いながら、そっと振り返る。
見慣れた家が、何事もなかったかのように佇んでいる。
ここにもう一度、帰ってくるんだ。そうして、メイランに我儘をたくさん叶えてもらおう。
シルリネアは、密かにそう誓った。




