第93話 掌中
シルリネアは燻製肉の塊とチーズ、硬パン、乾燥させたキノコと果物を食料庫で選んだ。
根菜類も貯蔵していたが、1年近く放置していては、さすがにもう食べられない。
「もったいない……」
シルリネアは残念に思いつつも、嬉しい気持ちが上回っていることを自覚する。
日常の言葉を使えるのが、幸せだった。
スープを作って、硬パンとチーズで食べよう。
食後に乾燥果物と蜂蜜、そして薬草茶。
今晩は贅沢で、豊かな食卓になりそうだ。シルリネアは頬の緩みを自覚しながら、食料庫を後にする。
部屋に戻ると、メイランの姿がない。
探すまでもなかった。どうせ、ザフィルのところにいる。
嘆息しながら、食料を机に置く。
メイランにとってザフィルはずっと探していた弟で、やっと何の憂いもなく付き合えるようになった存在だ。だから、浮かれるのはわかるが、やはり少し寂しい。
シルリネアは調理用ナイフで燻製肉を切り、乾燥キノコを鍋に放り込んでいく。
炉にかけられた鍋は、ふつふつと音を立てていた。
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リュミエール王国で、大司祭臨席の臨時至光会議が開催されている。
「私は、皆様方が偽聖女とされるシルリネアと、彼女と行動を共にするメイランと共に、ザフィルを打倒しました。証拠は提出した通り、ザフィルの月白色の髪です」
ヴェンツェルが、議題を提起した。
場がざわつく。
実際のところヴェンツェル自身は、自分がザフィルを打倒したとは思っていない。だが、自分の手柄にした方が話が早そうなので、そうしている。
シルリネアとメイランから苦情が来たら、その時に考えようと思う。おそらく問題ないだろうが。
「髪を切られても、人は死にませんよ」
高司祭位にある人物が、蔑むように発言した。急進派で、シルリネアの偽聖女認定を推し進めた人物だ。
ヴェンツェルは、その悪意を柔らかく受け止める。
「ええ、もちろん存じています。ですが、ザフィルほどの大魔法使いが、殺さずして大人しく髪を切らせてくれると思いますか?」
小声のやりとりがあちこちで交わされ、さざめきのように広がる。
「本当は私も、首などを持ち帰りたかったのです。しかし、彼の首には呪いが施されている可能性がありました。ですからやむなく髪だけを持ち帰り、残りはその場で焼却しました」
完全な嘘だが、嘘であることを証明できる者はいない。光の神は、信徒に虚偽を判定する魔法を与えているが、至光会議では使用が禁じられている。
光の神に誠実であると宣誓してから開催されるという、建前があるからだ。
ヴェンツェルは落ち着き払った様子で、一同に宣言した。
「お疑いでしたら、ふたたび神意を問うていただいて構いません。『虚無の力を滅すべし』との神意を賜ったと聞き及んでおります。神意に変わりがないのであれば、私の言は偽りでしょう。ですが、滅すべき虚無の力が最早存在しないのであれば、私の言は真実であるはずです」
場が静まり返った。
神意を問えと言うのは簡単だ。しかしそれが、大司祭の老体に多大な負担をかけることを、この場にいる誰もが知っている。
大司祭は沈黙を守っている。熟慮しているように見えるし、ただ会議の行方を見守っているようにも見える。
「皆様は、神意に沿って正義を成すために動いておられる。であれば、神意完了の是非もまた、神意によるべきではないでしょうか」
一段高いところにいる大司祭に——神意を得られる唯一の存在に——ヴェンツェルは体を向け、大きく一礼した。
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ヴェンツェルには心算がある。
おそらく大司祭は、神意を歪めている。
意図的か否かはわからない。だが「虚無の力を滅すべし」という言葉の中に、ザフィルという人物は含まれていない。
虚無の力とザフィルを結びつけたのは——文脈として自明だったとしても——大司祭だ。
であれば、ザフィルが生存していたとしても、神意は遂げられたとされるのではないだろうか。
なぜならザフィルはもう、虚無に縛られていないのだから。
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スープができた。
メイランはまだ戻ってこない。
シルリネアは仕方なく、家の外に出る。メイランに灯してもらったランタンを持って。
すぐに彼らの姿が見えた。座り込んで何事かを話し込んでいる。
「ねえ」
ふたりに声をかけると、夕闇に紛れつつあるふたつの影が、こちらを向いた。
「ご飯作ったんだけど、食べない?」
メイランらしき影が立ち上がる。
「こいつも呼ばれていいの?」
ザフィルを示して、メイランが言う。シルリネアは呆れ、苦笑した。
「ひとりだけ除け者にする訳ないでしょ。食べないならいいけど」
「食う食う! ほら行くぞザフィル」
メイランがザフィルを急き立ててやってくる。ザフィルは仕方ないという風情で歩く。
シルリネアの前まで来た時、ザフィルが口を開いた。
「本当に入っていい?」
彼の視線は、シルリネアの家を示している。シルリネアは少し驚いた。あのザフィルから、後ろめたさのようなものを感じるなんて。
「いいって言ってるでしょ」
「そう」
ザフィルは、それ以上何も言わなかった。家に向かって足を進める。
ザフィルから視線を外したシルリネアは、メイランと目が合った。メイランはシルリネアを素早く抱き寄せ、彼女の額に短く口づけをした。
シルリネアの顔は真っ赤になってしまったが、夜の闇に隠されて誰にも見られることはなかった。
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炉を囲み、3人で食事をする。
硬パンをキノコと燻製肉のスープでふやかし、チーズを火であぶりながら食べる。
シルリネアにとっては、久しぶりの故郷の味だった。
「どう、美味しい?」
シルリネアがメイランに尋ねると、彼は笑顔で大きく頷いた。
「そりゃあもう、最高」
「良かった」
シルリネアは微笑みながら、心の中でため息をついた。
このふたりの味覚がまったく当てにならないことを、すっかり忘れていた。
彼らにかかれば、泥みたいな酷い味のスープだって「普通」になってしまう。ザフィルに至っては、さらに「温かければ何でもいい」などと言い放つ始末だ。
まったく作り甲斐がない。だからといって彼らに料理を任せるのは、さらに恐ろしい。
食後の干し果物と蜂蜜、薬草茶を渡して一息つく。
「贅沢な時間だなぁ」
メイランが満足そうに笑った。ザフィルの表情は変わらないが、薬草茶が気になるのか、カップを鼻先に近付けて香りを嗅いでいる。
「香りが気になる?」
シルリネアが問いかけると、ザフィルは顔を上げる。
「味よりは、わかるから。悪くないと、思う」
「気に入ったんだな、そりゃあいい」
メイランが笑う。シルリネアは呆れながら、ザフィルに薬草の束を渡してやった。片手で握れる程度の小さなものを。
「お茶の中身はこれ。あげる、お湯に浸さなくても香るから」
「へぇ」
ザフィルは渡された薬草の束を珍しそうに眺め、鼻を寄せている。
シルリネアは腰に手をあててその様子を見て……ふと、ポケットに入れっぱなしのものを思い出した。
「そうだ、あのねメイラン」
「なに」
干した果物をかじっていたメイランが、シルリネアを見る。
「だいぶ前の話になるんだけど、すっかり忘れちゃってて……」
ポケットの中でずっと眠っていたものを、メイランに見せた。手のひらに収まる大きさの、小さくて稚拙な木像だ。
「ルハサーン寺院で見つけて、なんだか可愛らしくて持ってたんだけど……これ、わかる?」
ルハサーン寺院と聞いて、途端にメイランの表情が曇った。それでも彼は、木像を手に取る。
「誰かが木の切れっ端に何か彫ったんだろうけど……子供だろうなぁ……」
木像を指でなでてみると、不思議と何かを思い出しそうな気がしてくる。ザフィルが横から覗き込み——目を見開いた。
「メイランの作ってたやつだ」
「は?」
メイランが素っ頓狂な声を出した。
「そんなことあったっけ?」
「僕に何か作ってくれていた。それであの日、あそこで年上の奴らに捨てられて……」
「……そんなんだったっけ?」
メイランはまだピンときていないようだった。ザフィルが頷く。
「お前は生意気だって、メイランは言われた。弟なんて要らないだろって言われて、引き剥がされて……」
ザフィルの瞳が、暗い影を帯びた。
「僕がルハサーンを滅ぼした」
メイランは驚き、呆然としている。
「そうだっけ……悪ぃ、あんま覚えてなくてさ……」
シルリネアも「視た」あの光景だ。ザフィルの記憶の奥底に眠っていた——。
「シルリネア」
ザフィルがシルリネアを正面から見つめた。
「これが欲しい。どうすればいい?」
真正面からの、感情的な要求だった。シルリネアは驚いたが、すぐにその表情は苦笑に変わる。
「あげる。元々あなたのなんでしょ?」
「……ありがとう」
ザフィルは礼を述べ、木像をメイランの手から自分の手に移した。シルリネアの渡した薬草の束に乗せ、それらを大切そうに震える両手で包み込んだ。




