第92話 月白色が嵐を呼ぶ
リュミエール王国、光の神の大神殿。
その広大な敷地内において、もっとも壮麗で権威のある場所、大聖堂。
ヴェンツェルはゲルハルトと共に、大聖堂の臨時至光会議に向かうため、大神殿の長い廊下を歩いている。
「臨時で開催されることが、そもそも稀なことなのですよ」
聖堂騎士団の騎士団長ルイスは、ヴェンツェルたちに説明しながら歩く。彼もまた、至光会議の列席者だ。
「貴殿の言葉を、大司祭猊下が重く見られている証左です」
ルイスの熱弁を、ヴェンツェルは微笑んで受け止める。
「大司祭猊下のご厚遇には感謝しております」
短い言葉の中に、大いなるお世辞が多量に含まれている。だが、ルイスは気付かない。この若き騎士団長は、大司祭に向かってお世辞を言う者がいるなど、考えたことさえないのだろう。
大司教に捧げられる感情は、心からの敬意しかないと信じている。
ゲルハルトは、ルイスをじっくり観察する。
純粋培養の聖堂騎士。その表現がしっくりくる人物だ。
忠実で善良、信仰に篤く真面目。経験を積めば程よく練磨されるだろうが、今はまだ未熟と言わざるを得ない。
「ところで……」
ルイスが困惑しながら、ヴェンツェルの足元を見る。そこには、ザフィルの作った垂れ耳で子犬型の魔法生物がいた。小さな足で、ちょこちょことヴェンツェルについて回る。
「これは昔馴染みからの預かりものでして」
ヴェンツェルが、柔和に答えた。
「大人しいのでお邪魔にはならないと思いますが、不都合ですか?」
穏やかだが、連れて行くと言い切るような返答に、ルイスは困惑を深める。
「前例がないので何とも……」
「懐にでも入れておくといい」
ゲルハルトは言いながら子犬を抱え上げ、ヴェンツェルの腕に押し込んだ。
おそらくヴェンツェルは、この魔法生物に会議の様子を見せておきたいのだろう。ゲルハルトはそう理解した。
「ご忠告いたみいります、ゲルハルト卿」
ヴェンツェルは笑顔で一礼して、子犬をローブの内懐に入れた。
程なく、大聖堂の荘厳な入口が見えてきた。
いよいよだ。
ザフィルの死を偽装し、シルリネアの異端、偽聖女認定を覆さないといけない。
勝算はある。
理にかなう論点も用意した。
だが理屈だけで判断できないのが、人間だ。
ゲルハルトはそのことを、よく知っていた。
******
転移門から現れた人物に、ザフィルは見覚えがあった。
名前は思い出せない。だが。
「アザルファの信者」
腹立たしい。アザルファは殺したのに、どれだけつきまとえば気が済むのか。
おそらく、触媒を破壊したことと関係があるのだろう。
触媒と、魔法的な繋がりを結んでいたのかもしれない。石哭谷の魔族たちと、同じように。
今すぐあの男を殺しに行きたい。殺せばどれだけ胸がすくだろう。
だが急に姿を消したら、メイランが心配する。兄の不安そうな表情は、あまり見たいものではない。
それに、シルリネアとささやかな幸せを分かち合っているところに「ちょっと殺してくる」と言うのも、おかしな話だろう。
だからザフィルは、話す機会を待つ。
監視用の小鳥にいくつかの能力を与え、より詳細な情報を集めることにした。
少し気になる魔力の反応がある。万全を期したい。
それに、あいつがこちらの居場所を正確に掴んでいるとしても、たどり着くまでに数日を要するはずだ。
山登りは、さぞ大変だろう。
******
シルリネアは近くの小川で水をくみ、炉に火をおこした。
メイランは水くみだけ手伝って、後は彼女に任せている。
手伝うつもりだったが、シルリネアがあまりにも幸せそうだったので、手伝うのをやめた。
炉の近くに座ってシルリネアの立ち働く様子を見ていると、彼女がどれだけこの小さな生活を愛していたのかが、ありありとわかる。
動作のひとつひとつが丁寧で、かつ手際がいい。彼女は水を入れた鍋を火にかけ、机を片付けて食器類を点検した。
その後、微笑みながら奥の扉を示し、口を開く。
「ちょっと食料庫見てくる。燻製肉は、まだ食べられると思うんだけど……」
どうやら夕飯を作るつもりらしい。メイランも微笑みを返した。
「わかった。暗くなってきたし、気をつけて」
炉から火種を取り、傍らに置かれていた小さなランタンを灯して、シルリネアに渡す。
「ありがとう」
シルリネアは笑顔を残して、食料庫に向かった。
「手持ちのやつで十分なんだけどなぁ」
メイランが呟く。とはいえ、今の彼女にはこの「かつての幸福な生活の再現」が必要なのだろう。
食料庫の奥から、あれこれ出し入れするような音が聞こえる。
「力仕事とか必要そうなら呼んで」
メイランはそう声をかけ、大人しく待つことにした。
開けっ放しの扉から吹き込む風に誘われ、ふと家の外を見る。夕闇の迫る中、ザフィルがぽつんと座っていた。
呼ぼうかと声を出しかけて、やめる。ここはシルリネアの家で、彼女はザフィルを招いていない。
彼女の気持ちを考えれば、当然だ。
メイランは腰を上げ、ザフィルのもとに向かうことにした。
「なにしてんの」
地面に座ってぼんやり遠くを見ているザフィルに、声をかける。
ザフィルはゆっくりメイランに視線を移し、感情の乗らない声を出す。
「害虫がいるから、様子を見ていた」
「害虫?」
怪訝そうな顔をしながら、メイランは弟の隣に腰を下ろした。
「そう。アザルファの……僕の『師匠』の信者。北大陸にいて、こっちに向かっている。僕を追っていると思う」
メイランの表情が固く凍りつく。ややあって、低く唸るように口を開いた。
「そりゃあ害虫だ。害虫は退治しねぇとな」
「……そうだね」
ザフィルは口角をわずかに上げて、頷いた。
「何日か待つことはできるよ。まだ万象の背骨にも辿り着いていないから」
「何人いる?」
「ひとり」
メイランが薄く笑う。
「あそこをひとりで山越えするのは、キツいだろうなぁ。かわいそうに」
山を貫く洞窟があるなんて、知るはずもないだろう。
北大陸の住民から、山の向こうに人が住んでいると教えてもらえたとしても、あの洞窟まで知られるとは思えない。
「明日あたりからお出迎えに行けば、間に合うかな」
「十分でしょ」
「じゃあそうするか」
メイランは立ち上がり、去り際にザフィルの頭を軽くかき回す。
細い月白色の髪が、何本かメイランの指に絡みついた。
できればシルリネアを巻き込みたくないが、状況の説明をする必要はあるだろう。
何といっても、ここは彼女の大切な場所なのだから。
これ以上、荒らす訳にはいかない。




