第90話 解放
シルリネアとザフィルは、迷うことなく心臓に辿り着いた。
シルリネアの魔法は愚直に傷を探そうとしていたが、ザフィルが行き先を示して強制的に連れてきた。
改めて自分の心臓を見る。前回と変わらない。触媒は心臓とほぼ同一化していて、心臓を傷つけずに触媒を破壊するのは、難しそうだ。
ザフィルは、触媒の様子を詳細に探った。
全体の印象は、植物に近い。養分を吸って根を張り、成長し、外に伸びていく。
養分は主に魔力。補助としてわずかな血液。
「どうしたの」
動かないザフィルを見かねたのか、シルリネアが問いかけてきた。
「どうやって壊そうか、考えていた」
「何か思いついた?」
「……いや」
いくつか検討したが、どれも採用するには問題があった。
「普通にやる」
言葉と同時に、自分の痛覚を遮断した。心臓とその周辺を痛みから切り離し、孤立させる。
さらに魔力の流入を完全に断った。これで終わればいいのだが。
そうはいかないようだ。
心臓から魔力を吸えなくなった触媒が、養分を外部に求めて根を伸ばしはじめた。
「気持ち悪い」
ザフィルは吐き捨て、外に伸びようとする根を破壊した。その途端、別の場所からさらに根を伸ばす。
ずいぶん必死じゃないか。
内心で侮蔑しつつ、ザフィルは次々に伸びてくる根の破壊を続ける。細根の一本さえ逃さずに。
伸ばされた根の一部が、ザフィルに向けられた。
「へぇ」
小さく呟いた。おそらく大きな栄養源に見えるのだろう。つまり。
ザフィルはシルリネアに——彼女をかたどる魔法に防御結界を巡らせた。
「襲ってくる。気をつけて」
彼女に声をかける。根は癒しの魔法でも消せるようなので、問題はないだろうが。
伸びる根を次々に壊しながら、根の大元を探る。あいつが根を伸ばせなくなるまで、我慢比べをするつもりはない。
すぐに終わらせる。
******
シルリネアにも根が襲いかかる。
あのザフィルが見落としたのだろうか。いや違う。シルリネアは即座に否定した。
任された。
きっとそれが正しい。
ザフィルが張った防御結界と自分の魔法で、根を食い止めろということだ。
「意外と、人を使えるのね」
シルリネアは笑みを浮かべてから、根に手を伸ばした。根は、シルリネアの指先に集められた癒しの力で消滅した。
根の消滅と同時に、わずかな記憶が流れてきた。まばたきひとつ分程度の時間を切り取っただけの、かすかな記憶。あれは——。
「何か視えた?」
ザフィルが声をかけてきた。根を一筋たりとも逃さず破壊し続け、触媒破壊への道筋を探りながら、なおこちらの様子に気を配る余裕があるなんて。
シルリネアは、視たものをそのまま口にする。
「あなたが視えた。傷だらけ、仰向け、胸に穴があいていた。11、2歳ぐらい」
「そう……」
ザフィルの声が一段低くなった。元々の陰鬱さが、さらに濃くなる。
彼の口が小さく動いた。
******
ザフィルはシルリネアに、根を1本だけ向かわせた。期待通り、シルリネアは癒しの魔法で消滅させ——記憶の欠片を視た。
彼女が視たのは、触媒が埋め込まれた時の記憶だろう。
ザフィルは自分の年齢がよくわからない。だがメイランが25歳なら、22歳ぐらいだろうか。それを元にして逆算すると……。
アザルファのもとにいた頃だ。あいつを殺す少し前。特に酷かった時期が、確かにあった。あいつを殺そうと決めた時期でもある。
「アザルファ」
誰にも聞こえない声量で囁いた。呪詛を込めて、低く。
その時、探査の糸が反応した。心臓と同化しつつある根を追いかけ、終端に辿り着いた。
見つけた。
根の大元、触媒の本体だ。これを破壊する。
ザフィルは迷うことなく破壊の魔法を流し込んだ。心臓を壊しすぎないよう、慎重に破壊を進めていく。
根が苦しげに収縮しはじめた。収縮と同時に心筋が強く引っ張られ……破れた。何か所も、同時に破れていく。破れすぎないよう、心臓を魔力で支えた。
痛覚を遮断しているので、痛みは感じない。だが、かすかな息苦しさを感じた。根の収縮で心臓の拍動が乱されているせいだろう。
呼吸苦も邪魔だ。感覚を切り離す。
その後、ザフィルは収縮し続ける根を細切れにした。
根が動きを止める長さになるまで。何度も。何度でも。
これ以上心臓を壊されないように。シルリネアの負担を減らすために。
根の活動を完全に止めた後、触媒の核となっている部分を、ザフィルはすり潰すように砕いた。
触媒を完全に消し去り、ザフィルはシルリネアに目を向ける。
「破れを直せる?」
ザフィルの問いかけに、シルリネアは躊躇なく頷いた。
「任せて」
シルリネアは心臓に手を当て、癒しの魔法を与える。黄金色の光が心臓を包み、あっという間に癒えていった。
やはり速い。ザフィルは治癒の速度に感嘆した。
シルリネアの癒しの速度は、自分が使う修復魔法の比ではない。神官どもの使う治癒魔法よりも、さらに速い。
神官のように祈らず、自分のように傷をひとつずつ繋ぎ、貼り合わせることもない。ただ彼女の魔法が触れるだけで、癒える。
自己犠牲と引き換えに、速度と威力を極限まで高める手法。
これを上回るのは、神のみだろう。
シルリネアの癒しが完了したところで、ザフィルは彼女に声をかけた。
「帰ろう」
「そうね」
シルリネアが頷いた。
ザフィルは彼女の魔法を切り離してから、自分の意識や痛覚を戻していった。
******
地面に座っていたザフィルの体が、崩れ落ちるように倒れた。
メイランは反射的に支えようとして……どうにかこらえる。
——シルリネアと僕に触らないこと。たとえ倒れたとしても。
先刻聞いたばかりの、ザフィルの声が脳裏に響いた。
ザフィルは倒れることを織り込んでいた。だから問題ないはずだ。メイランは、懸命に自分に言い聞かせる。
倒れたザフィルの様子を見る。目を閉じているが、表情は穏やかだ。苦痛を感じているようには見えない。ほっとため息をつく。
その時、ザフィルの口が小さく動いた。声は聞こえない。だが口の形を読むと……。
「アザルファ」
そう言ったように見えた。
ざわりと胸騒ぎがする。メイランの心の中で、怒りと不安が混ざり合った。
弟はまだ、アザルファの亡霊に囚われているのだろうか。何もできない身がもどかしい。
続いて、ザフィルの呼吸が乱れはじめた。表情は穏やかなまま、呼吸だけが荒くなっている。何が起きているのか、理解が及ばない。
唇が青ざめたら起こそう。そう決めて、メイランはふたりを見守る。
「……っ」
座っているシルリネアが、目を閉じたまま小さく苦痛の声を漏らした。胸のあたりから血が滲み、衣服を濡らしている。
「まだ」
「まだ大丈夫」
「まだ死なない」
「まだ……!」
胸の傷でこの出血なら、たいした傷ではない。自然に止血するはずだ。
半分は冷静に、残りの半分は自分をなだめるために。メイランは呪文のように、何度も何度も口の奥で言葉を繰り返した。
シルリネアの胸の濡れた赤色が、どんどん服を染めていく。
それでもメイランは、動かなかった。
耐える時間が、どれぐらい続いただろう。
さすがに危険な出血量だと思いはじめた頃。
シルリネアがゆっくりと目を開けた。
「シルリネア!」
メイランが叫んだ。
「胸から血が出てる。服を切る」
出血している場所を探さないと、止血できない。
シルリネアはメイランの剣幕に驚き、自分の胸を見た。服の胸付近が血で濡れている。しかも、出血量がだいぶ多い。メイランの焦りを理解して、頷こうとした時。
「必要ない」
ザフィルの声がした。半身を起こし、こちらを見ている。
「今、僕が止血した。気になるなら確認するといい」
そう言ってザフィルは起き上がり、シルリネアに背を向けた。彼女が衣服の内側を確認できるように。
メイランも同じようにシルリネアから視線を外して、ザフィルに近寄った。
「お前は大丈夫なのか?」
メイランがザフィルをまじまじと見る。ザフィルは少し呼吸が乱れているが、それ以外に問題はなさそうだ。
ザフィルは頷き、握った左手を開いてみせた。手には、灰のようなものが握られている。
「なにそれ」
メイランが好奇心に駆られて尋ねると、ザフィルはうっすらと微笑んだ……ように見えた。
「触媒の成れの果て。いる?」
「いらねぇよ、そんなもん」
顔をしかめるメイランを見て、ザフィルはもう一度、淡く微笑んだ。今度は間違いない。メイランは目を見張った。
「だよね」
ザフィルは手のひらを下に向け、無造作に落とす。それを足で踏みにじり、蹴散らした。




