第89話 破壊が繋ぐ
「はじめよう」
ザフィルが宣言した。
シルリネアは座っている。傍らには、メイランがいる。
「メイラン」
ザフィルが声をかけた。
「終わるまで、シルリネアと僕には触らないで。魔法を使うから」
「わかった」
メイランは緊張しながら、頷いた。
彼が触れることにより魔力が途切れると、危険な状態になりかねない。だから、メイランの了承を受けるのは必要不可欠だった。
まずシルリネアにかかっている、止血不能の呪いを解除する。
彼女が負傷することを、ある程度は許容できる状態まで持っていく。
だがザフィルは、呪いを解かない。
破壊する。
「解く」という概念に囚われすぎていたせいで、難しいと判断していた。
破壊ならば容易い。
「すぐに終わる」
シルリネアの身体に、ザフィルは探査の糸を滑り込ませた。
呪いの状態を確認する。
血管全体に、呪いが張り付いていた。
試しに、ごく一部だけ呪いを壊してみる。構造を少し崩しただけで、バラバラに砕けた。
「少し壊した。痛い?」
シルリネアに問う。彼女は首を横に振った。
「何も感じない」
「そう。痛かったら教えて」
シルリネアの頷きを確認したら、メイランの瞳が目に飛び込んできた。温かくて、優しい色だ。信頼と不安が半分ずつ宿っている。
瞳の中の不安の配分を、これ以上増やしてはいけない。
探査の糸を、シルリネアの血管に張り付く呪いに沿わせた。そこに、呪いを崩すための魔法構造を流す。
途端に、呪いが全身のあちこちで崩壊しはじめた。生命に影響しない末端の血管からはじめて、少しずつ中心部に、太い血管に進めていく。
シルリネアが苦笑して、軽く身をよじった。
「痛くないけど……ちょっとくすぐったいかも」
太い血管の呪いを崩すと、痒みが出るようだ。ということは、大血管や心臓に張り付いた呪いは……。
「次は、身体の中心に少し衝撃があるかもね。いくよ」
大血管と心臓に張り付いた呪いを、一度に破壊した。
シルリネアが、びくりと数度痙攣した。両手を地面につき、体を支えている。少し呼吸が乱れているようだ。
「おい」
メイランが声を出した。シルリネアへの呼びかけなのか、ザフィルへの呼びかけなのか、判断がつかない。きっとメイラン自身も、わかっていない。
メイランは、シルリネアに触れないことがもどかしいようだ。それでも彼は、ザフィルとの約束を守り、シルリネアに触れないようにしている。
ザフィルはシルリネアの体内に巡らせた探査の糸の密度を上げ、全身をくまなく確認した。
呪いはもう残っていない。手の血流と神経を妨げていた魔法的な障害も、ついでに壊した。きっとこれが、癒しの反動だろう。手が痺れていたに違いない。
この程度の反動なら壊せることを、ザフィルは理解した。だが、もっと大規模な反動だと……苦痛を和らげることしか、できそうにない。
「終わった。呪いはすべて壊した」
シルリネアは目を丸くした。
「もう終わったの?」
「手の痺れも取れたでしょ」
ザフィルの言葉に、シルリネアはまた驚く。
「……本当だ……」
シルリネアは目を丸くしたまま、手を動かした。
「破壊は得意だからね」
わずかに肩をすくめて、ザフィルは言った。
「メイラン、シルリネアに触ってもいいよ。落ち着いたら、次に進もう」
シルリネアの呪いを壊し、ザフィルはだいぶ気が楽になった。
次は自分の心臓だが、壊れたところで結局のところ——どうということもないのだから。
******
メイランはザフィルの許可と同時に、シルリネアを抱きしめた。シルリネアも嬉しそうに抱き返してくれる。幸せだ。それ以外の気持ちはない。
しかし。
彼女が呪いに侵されたのは、自分の我儘の、弱さのせいだ。
ザフィルの——殺しても飽き足らなかったはずの命を、救ったから。
自分のせいで、愛しい人をこれ以上苦しめるのは……耐え難い。
少しだけ身を離し、シルリネアの瞳を見た。いつも通りの、綺麗な薄荷色。宝石なんかよりも、ずっと美しくて魅力的だ。
愛おしさがあふれて、メイランはシルリネアの頬に口づけをした。シルリネアがクスクスと笑う。メイランはもう一度抱きすくめた。
「ザフィル、ありがとう」
顔をあげ、弟に礼を言う。ザフィルはわずかな間をあけた後、口を開く。
「僕が作った呪いだから」
礼には及ばないということだろうか。謙遜とも傲慢とも取れる様子に、メイランは苦笑する。
それと同時に、あの頃の弟がどれだけ死を望んでいたのかも、思い知らされた。出血が止まらない呪いを、自分に与えようとしていただなんて。
シルリネアは「死にたがりの病」と言っていた。
メイランはあの頃のザフィルを、死にたがりの目をしていると思った。
「ザフィル」
シルリネアを腕の中に抱えたまま弟の名前を呼び、手招きする。ザフィルは兄の意図を読みきれず、首を傾げてから寄ってきた。
「なに」
「顔見せて」
ザフィルの眉がかすかに寄せられた。メイランは微笑み、弟の顔を、目を、じっと見つめた。
整った顔をしているが、美男子と言うには陰鬱さが強すぎる。儚げな美少年と言うには、知性が勝ちすぎる。さらに痩せすぎて、血色に乏しい。
特徴的な褪紅色の瞳は、生気に欠けている。多くの人は、瞳の色の珍しさや全体の美しさに気付く前に、不吉さや不気味さを強く感じるだろう。
それでも、かなりマシになった。
生気はなくとも、死にたがってはいない。
「シルリネア」
腕の中の愛しい人の名を呼ぶ。愛しい人が微笑む。
「ザフィルを助けてくれて、ありがとう。さっき言ってた話、わかった気がする」
あまりにも言葉足らずだった。それでもシルリネアは、メイランがザフィルの何を見ていたのか、理解したらしい。誇らしげに笑う。
「でしょ。あと少しだから。そうしたらきっと、あなたの弟を返してあげられる。待っててね、メイラン」
******
弟を返してあげられる。
シルリネアはそう言った。返ってなかったのだろうか、自分は。よくわからない。
だが、少なくとも彼女が「メイランの弟はまだここにはいない」と思っていることは、理解した。触媒が帰還を阻んでいると考えていることも。
小さなため息をつく。
「そろそろいい?」
楽しそうにくっついているふたりを妨げるのは気が引ける……はずだ。
だが、実感はない。
やはり欠けているのだろう。欠けているという実感さえなかったが。
「最後の確認」
ザフィルは淡々と言葉を紡ぐ。
「要領はさっきと同じ。触媒は僕が壊す。シルリネアには、僕が壊れたら癒してほしいけど、嫌なら放っておいて。僕の記憶は好きなだけ『視て』いい」
「癒さないはずないでしょ。今になって何言ってるの」
シルリネアが少し憤慨しつつ言った。ザフィルはあえて彼女の憤慨を無視する。ここで言葉の応酬をする気はない。
「メイランに頼みたいこともさっきと同じ。シルリネアと僕に触らないこと。たとえ倒れたとしても。ただし……」
一呼吸。
「シルリネアが危険だと思ったら、すぐ僕に触れて。それでシルリネアが戻れるようにする」
ザフィルはそう言って、シルリネアにいくつかの魔法を施した。
「なに、これ?」
シルリネアは、ザフィルから魔法的な何かを渡されたことを理解したが、それ以上のことはわからないようだった。ザフィルがふたたび口を開く。
「あなたの魔法の反動は、外見に出ないことがあるみたいだから。メイランがわかりやすいように、全部の反動が外に見えるようにした。出血として現れるはずだ」
シルリネアが目を丸くする。
「なにそれ、どうやってそんなこと……」
「魔力の流れ方を変えただけ。たいしたことじゃない」
シルリネアの驚きを受け流し、ザフィルはメイランと視線を合わせた。
「メイラン、これで彼女の反動は見えやすくなったと思う。もう一度言うけど、シルリネアが『危険』だと思ったら僕に触れて。それで彼女は僕から切り離される」
「わかった。でもお前は……?」
メイランの瞳に不安がよぎった。ザフィルは、やはり淡々と答える。
「わからない。ただひとつ言えるのは。シルリネアの『危険』さを無視すると……彼女が死ぬということ」
シルリネアが危険な状態に陥るのは、ザフィルを癒している時だろう。
だからシルリネアの癒しを強制的に中断すれば、ザフィル自身が死ぬかもしれない。しかしそのことを、メイランに言うつもりはなかった。
これ以上怖がらせる気はない。
「シルリネア」
ザフィルが声をかける。
「好きな時にはじめて。合わせる」
「わかった」
シルリネアはザフィルに頷いた後、メイランを見て微笑んだ。
「大丈夫。私もザフィルも、帰ってくるから。約束する」
メイランをぎゅっと抱きしめてから、シルリネアはそっと離れた。メイランも微笑む。つらそうではあったけれど。
シルリネアは何度か深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
精神を集中させてから、ザフィルを「視る」ために癒しの魔法を解き放つ。
ザフィルはシルリネアの魔法を追って、自身の中に潜り込んでいった。




