第88話 極限
ザフィルの言葉に、メイランはぶるりと震えた。
せっかく取り戻したのに。またこぼれ落ちてしまう。
怖い。
首を切ったばかりなのに。次は心臓を壊すのか。
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メイランの腕に抱かれているシルリネアは、彼の震えに気付き、ため息をついた。
「ねえ、ザフィル」
声をかけると、ザフィルはシルリネアに視線を向けた。
「なに」
「あなた、お兄ちゃん大好きよね」
ザフィルは少し考えてから、頷く。
「……そうだね」
否定する要素が見当たらない。
「じゃあ、お兄ちゃんを悲しませないで」
ザフィルは怪訝そうに眉をひそめた。
「メイランが、悲しい? なぜ?」
うつむいているメイランの顔を覗き込もうと、近寄ってきた。
メイランはシルリネアを片腕で抱き寄せる。
そして。
空いた手で、ザフィルの頭をはたいた。
「当然だ! 頭いいくせにバカだろお前」
ザフィルは驚いて目を丸くしている。シルリネアは思わず吹き出してしまった。
「お前は自分の死を前提にしねぇと動けねぇのか!」
「前提にしていない」
「してるだろうが!」
メイランの剣幕に圧されて、ザフィルはもう一度考える。
死ぬ可能性はある。だが、死なねばならない構造ではないはずだ。
それなのにどうして、メイランはこんなに怒っているのだろう。
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シルリネアが、メイランを抱きしめた。
頬をこすり合わせ、愛しげに微笑む。
「メイラン。私の大好きな、優しい人。大丈夫、怖がらないで。あなたはもう、なにも奪われない。ね、私に任せて」
彼の腕からするりと抜け出して、シルリネアはゆっくり起き上がった。
メイランの前に立ち、ザフィルと向き合う。
「メイランは、ずっとあなたを探していた。やっと見つけて、一緒にいられるようになった大切な弟。そうよね」
シルリネアはザフィルを見据えた。彼は、不思議そうにシルリネアを見ている。
言葉を続ける。
「それなのにザフィル、あなたは自分をメイランに殺させようとするし、自分で首を切るし、次は心臓を壊すと言う。どれだけメイランを悲しませれば、気が済むの? こんなに傷つけないといけないぐらい、メイランはあなたに酷いことをしたの?」
ザフィルは困惑して、首を横に振った。
「ちがう……メイランは、なにも……」
兄はいつも優しい。温かくて、大きい——どんな時だって。
シルリネアは、大きなため息をついた。
「あなたの提案、確かに私は損しない。きっとあなたも損をしないんでしょう。でも、メイランは損してる。大切な弟の心臓が、一度は絶対に壊れる。私が癒せなければ、メイランの大切な弟は死ぬ。癒せたとしても、私にどれぐらい反動がくるかわからないって、きっと思ってる。その恐怖を、あなたの兄だけが味わっている。その不公平さと酷さが、わからない?」
ザフィルは、言葉を失った。
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「シルリネア、ありがとう。もう落ち着いたから」
メイランは微笑み、シルリネアの後ろから腕を回した。
シルリネアをぎゅっと抱きしめて、すぐに解放する。
彼女の微笑みが、目の端に見えた。それだけで心が軽くなり、勇気づけられる。
ザフィルと目を合わせた。
「ザフィル、まずはごめん。お前の頭を叩いたのは、よくなかった」
頭を下げた。
ザフィルは呆然としている。
メイランは顔をあげ、言葉を続けた。
「心臓と触媒の話、正直、俺にはよくわからねぇし、役に立たねぇのもわかってる。でも俺が意見を言えるなら、お前の案には反対する。俺はお前もシルリネアも失いたくないし、傷つくのだってつらい」
言い切ってから、苦笑する。
「でも、それしか方法がないなら……。その時は、認めるよ」
シルリネアがメイランの横で、優しく笑った。
「だから、もうちょっと考えてみてほしい。完全に、俺の我儘だけど」
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ザフィルはひとり、考えに沈んでしまった。
座り込んで膝を抱え、うつむいている。
きっと、メイランに言われた通りのことをしているのだろう。
他の方法がないのか。その検討を。
シルリネアは、ザフィルをそのままにした。
少し離れた場所にいたメイランに近寄る。
「メイラン」
呼びかけると、メイランは微笑んだ。
「さっきは助かった」
シルリネアも微笑みを返す。彼を手助けできて、本当に良かった。
「私ができることなら、いくらでも」
メイランの手を取り、そっとさする。
シルリネアの両手は、痺れていて動かしにくい。ザフィルを癒した反動だ。
大したことはない。明日には元通りになるだろう。
「後で、ザフィルの手も見てね。ちゃんと全部、治したから。本来の姿に」
「そっか、ありがとう。そうする」
メイランが薄く笑った。少しつらそうに。
「何度も壊されたって、あいつ言っててさ。自分の手を見たくなさそうで、気になってたんだ」
「……そうね」
シルリネアは「視た」。だからわかる。あれだけ壊されたら、誰だって……。
そういえば。
「ねえ、メイラン」
「ん?」
「ザフィルのこと、少し話してもいい?」
「そりゃあもちろん。どうした?」
シルリネアは地面に座り込んだ。メイランも彼女に倣って座る。
「多分なんだけど。心臓にくっついてる触媒が、ザフィルの死にたがりの原因だと思う」
「え?」
メイランは驚きの声をあげた。シルリネアが頷く。
「彼、最初よりはだいぶ、死にたがりじゃなくなったと思わない? 少なくとも、自分の首を切るような雰囲気はない。あれね、前回は触媒が心臓を越えて、根を張り出していたの。癒した時にそれを視て、全部消して……だから、ザフィルの胸に、何かあるって気付けた」
メイランが考え込むようにうつむいた。その仕草が、ザフィルとよく似ている。
程なく、メイランは顔をあげた。
「……その張り出した根をシルリネアが消してくれたから、死にたがりが弱くなった?」
シルリネアは、もう一度頷く。
「多分そう。きっと触媒が育つたびに、死にたがりの病が悪化する。それに耐えられても、触媒の侵食が酷くなれば、今度は彼の身体が耐えられなくなって……死ぬと思う」
「何がどうあっても殺すつもりかよ、ふざけやがって」
メイランが吐き捨てるように言った。シルリネアもまったく同意見だが、今は言葉を続ける。
「とにかくあの触媒は、寄生先を、つまりザフィルを、死に追いやろうとする。触媒に侵されてザフィルが死んだ時に……彼の言う神降ろしが実現するのかも」
彼の死は鮮やかに開花し、神を呼ぶ。
呼ばれた神は、触媒ごとザフィルを乗っ取り——アザルファの望みが成就するのだろう。
アザルファの望みが何なのかはわからないが、良いものだとは思えない。
シルリネアは眉をひそめ、俯く。
メイランは苦々しく嘆息し……ひとつのことに気がついた。
「あれ、じゃあもしかして、あいつが首切ってそのまま死んでたら、やばかったって話になるのか?」
シルリネアは目を見開いてから、ふわりと悪戯っぽく微笑んだ。
「メイラン、あなた世界救ってるのかもね。私も、世界を滅ぼす手助けをせずに済んだのかな」
「マジかぁ」
メイランが笑うと、重苦しい空気が軽くなった。
シルリネアも嬉しくなって、笑う。
彼の笑顔は、世界を滅ぼしたり救ったりする話よりも、ずっと大切だ。
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メイランを悲しませず、傷つけない方法を、ザフィルはずっと考えている。
見当たらない。
どんな手段を使うにせよ、シルリネアの助けが必要だ。彼女の癒しの魔法が。
そうしないと、自分は死ぬだろう。
自分で直すのでは、間に合わない。それでは、メイランを悲しませることになる。
シルリネアの癒しの魔法なら、確実に間に合う。
だが彼女に反動がくる。それもメイランを悲しませる。
八方塞がりだ。すべての要求は満たせない。
だから、メイランの悲しみを最小化する方向で考えた。
シルリネアに頼る部分を、最小限にする。彼女の傷は、自分が直す。
それしか思いつかない。
兄の姿を探す。メイランは、シルリネアと楽しそうに笑っている。機嫌が良くなったのだろうか。
ザフィルは立ち上がり、ふたりのもとに歩を進めた。
「メイラン、シルリネア」
ふたりの名を呼ぶと、四つの瞳が揃ってこちらを向いた。
褐色の瞳と、薄荷色の瞳。色はまったく違うのに、よく似た温かさを感じる。
「決まった?」
シルリネアの言葉に、ザフィルは頷いた。
メイランが笑顔を向ける。
「じゃあ、俺はそれでいい。シルリネアがいいって言うなら、だけどな」
ザフィルは首を傾げた。
「まだ何も言ってないけど」
メイランが笑う。
「俺はお前に、もう一度考えてほしいって言った。お前は考えてくれた。だから、これ以上は望まねぇよ」
「そう……わかった」
ふたりのやり取りを見ていたシルリネアが、苦笑する。
「メイランはそれでいいかもしれないけど、私には説明して。私の力、必要なんでしょ?」
「そうだね」
ザフィルは素直に頷いた。彼女の協力は、どうしても欠かせない。
「シルリネアの負担は、できるだけ減らす。反動は僕が直す。基本的な流れは同じだけど……」
心臓を壊しても、シルリネアがいれば治る。それでいいと思っていた。
だが駄目だった。それなら、自分の負担を増やす。
髪の毛よりも細い根であっても、ひとつずつ丁寧に、すべて破壊し尽くしてやる。
「精密破壊の極限を、見せてあげるよ」




