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月白の魔法使いを黎明で殺す  作者: 二羽鳥ごまの
第11章 破壊の救済
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第87話 背中合わせ

 ザフィルの体は、以前よりもずっと傷が減っていた。

 良かった。シルリネアは胸をなでおろす。

 誰であろうと、傷だらけの人を視るのはつらい。

 前回は、とにかく首の出血を止める必要があった。首の出血を止めても、見渡す限り傷だらけで、とにかく見つけた順にすべて癒した。

 その時に比べれば、だいぶマシだ。改めて体を視る。

 手の状態が酷い。癒しきれていなかった。

 きっと、ザフィルに途中で切断されたからだ。シルリネアはもう一度、ザフィルの手を癒す。

 正しい形を伝え、導く。ザフィルの手は頑固だったが、それでも元の形に戻りはじめた。

 手の記憶が流れてくる。


 ******


 幼いザフィルは手を砕かれ、激痛に泣き叫んだ。

 穏やかな声でうるさいと言われ、指を折られる。

 その傷みで叫ぶと、またうるさいと言われた。穏やかに、次の指が折られる。

 繰り返し、繰り返し。

 ザフィルは叫ばなくなった。歯を食いしばり、耐える。

 壮絶な時間の後、魔族——アザルファは優雅に立ち去った。

 片手がまったく動かなくなったザフィルを残して。

 彼は必死に考える。

 どうしよう。明日この手が元通りになっていないと、また醜いと言われてしまう。

 また壊されてしまう。

 残された片手に、魔力を集める。

 集まった魔力を、動かない手に移す。

 魔力を使って、歪んだ手を整えてみた。残った手を参考に、見様見真似で。

 骨を動かしすぎたのか、皮膚が内側から破れた。慌てて魔力をあてがってみると、出血が止まった。

 これだ。

 ザフィルは閃く。

 これで手が直せる。きっと、全身も。


 何とか手を直しきり、出血を止め、アザや腫れも消し去った。少なくとも、表面上は。

 これで大丈夫。初めての作業に疲れきったザフィルは、豪奢なベッドに倒れ込んだ。

 広いだけの、空虚な空間に。

「……ルザ」

 もういない人、きっと自分が殺してしまった人の名前を呼ぶ。

 夢の中なら会えるだろうか。

 温かい、あの人に。

「にぃ、ちゃん……」

 いつしか彼は、泣いていた。


 目を閉じた直後、部屋の扉が開いた。

 ザフィルは恐怖で目を見開き、跳ね起きる。部屋の入口には、アザルファが立っていた。

「悪い子だ、ザフィル」

 穏やかに、アザルファが言う。

「眠る前に、やることがあったろう? おいで、もう忘れないように教えてあげよう」


 残った手も、壊された。


 繰り返される。

 何度も、何度も。

 何年も、何年も。

 様々な口実で、ザフィルの手は壊された。

 その度に、手を直す。治すのではなく「直す」。

 ザフィルは手を使わなくなり、傷みを感じなくなり、感情はすり減り消えていった。

 食事に不自由はしていなかったのに、体は痩せたまま。成長さえ奪われていく。

 淡い胡桃色だった髪は月白色になり、銅色の瞳は褪紅色に変わった。


 ******


 ザフィルの手の記憶を、シルリネアは抱きしめた。

 起きてしまったことを、戻すことはできない。

 彼が村を滅ぼしたことは、今でも許せない。

 それでも。

 同情すべきところには、同情する。

 癒すべきものは癒す。

 それが、私の矜持だ。


 ******


 手の記憶をなだめ、次に向かう。

 固く守られた胸の違和感。前回はそれだけしかわからなかった。

 まずは、この守りを抜けないと。

 守りの手前で、ゆらゆらと不気味に踊るものがいる。シルリネアは、それに手を触れた。

 途端に、それは霧散した。

 よかった。シルリネアは安堵のため息をもらす。ザフィルが胸の違和感に気付けなかったのは、こいつが原因だ。気を逸らし、惑わせ、あらぬ方向に導く。まるで砂漠の蜃気楼だ。

 霧散したものを踏み越え、卵のような形をした、守りの前に立つ。

 手を触れた。

 硬い。

 とにかく強固に。それだけを考えて作られている。

 壊せるだろうか。


 ******


 シルリネアの癒しの魔法の動きを、ザフィルは追う。

 最初に彼女は、手を癒した。温かくて気持ちがいい。同時に、手に関する記憶が引き出されていく。

 だが不思議と、嫌悪感はなかった。記憶ごと包まれる感覚が、快適とさえ感じる。

 シルリネアが引き出した記憶を、ザフィルも辿った。忘れて久しい感覚が、そこにある。

 兄を慕って泣くだなんて。

 今はもう理解できない。


 シルリネアが手から離れ、胸に向かう。その後をザフィルは追う。

 シルリネアは、あの隠蔽魔法をどうするのだろう。彼女の魔法の流れを観察していると——。

 隠蔽魔法らしき何かが、いともたやすく霧散した。

 何が起きた?

 すぐに解析しきれない。この記憶を魔力に焼き付け、保管することにした。

 後で時間をかけて理解するために。


 隠蔽魔法が消え去ると、卵殻のようなものがあった。

 これが触媒を守っているものだ。強固なようだが、壊すだけならたやすい。

 そう考えて見守っていたが、シルリネアは破壊する気配を見せない。

 なるほど。

 ザフィルは理解した。

 シルリネアの魔法は、破壊ができない。

 ひどく滑稽だ。あの高度な隠蔽魔法を簡単に消せるのに、ただ硬いだけの守りを壊せない。

「どいて」

 シルリネアに——彼女の意識の乗った魔法に、声をかける。

「破壊は僕の領分だ」


 ******


 シルリネアは急に声をかけられ、驚いて振り返った。

 ザフィルがいた。

 どうやって……。

 考えかけて、シルリネアは自嘲した。癒しの魔法を追うことなど、彼にとっては簡単なことなのだろう。

 ザフィルは、卵のような守りの魔法に手を伸ばした。少し骨ばっていて、細く繊細そうな指が見える。

 あれだけ頑なに手を使わなかったのに。少し驚く。

 彼の手が触れた瞬間、卵は砂像のように崩れて消えた。

「……ね?」

 無造作に破壊を終えたザフィルは、シルリネアを見つめてから、ゆらりと煙のように消えた。

 破壊のためだけに、あの姿で現れたのだろうか。

 律儀で、魔法に関しては傲慢で、納得すれば素直で、少し調子はずれで——。

「ザフィルらしい」

 シルリネアはクスリと微笑んだ。


 ******


 守りの魔法が消えた先には、心臓があった。

 触媒は、心臓とほぼ一体化している。

 きっと時間をかけて侵食し、育ち、同化したのだろう。

 心臓の様子を詳しく視る。

 触媒が張り付き、心臓に根を張っている。剥がせば心臓が壊れる。

 なんて残酷なんだろう。

 ひとつひとつ丁寧に剥がせば、あるいは……。

 いや、だめだ。剥がすよりも穏やかな方法でないと、心臓が傷ついてしまう。

 触媒を指で辿ると、魔力の流れを感じた。流れを追ってみる。

 これは…………。

「シルリネア」

 ザフィルの声が聞こえた。

「一旦戻すよ」

 その言葉と同時に、シルリネアの魔法がぶつりと切断された。


 ******


「おかえり」

 シルリネアは、メイランの腕の中で目を覚ました。

「……ただいま」

 気恥ずかしさはあったが、嬉しさがそれを上回る。シルリネアはくすぐったい気持ちで微笑んだ。

 メイランが優しく抱きしめてくれる。気持ちよくて、幸せだった。

 幸せの余韻に浸りながら、起きたことを思い出す。

 そうか。ザフィルが突然魔法を切断したから。私はその衝撃で気を失ったんだ。

「たいした時間は経っていない」

 少し遠くから、ザフィルの声が聞こえた。

「もう少し休むといい。君の魔法は、酷く疲れるようだから」

「どうして切断したの」

 シルリネアが問いかける。

「あれを壊す方法を思いついた」

 淡々としたザフィルの言葉に、シルリネアは驚いて目を見開いた。

「まず、僕が君の止血不能の呪いを消す。その次に、僕があれを壊す。心臓も一緒に壊れるから、シルリネアが僕の心臓を癒す」

 シルリネアの全身に、ぞくりと悪寒が走った。荒業すぎる。

 だが、ザフィルはあくまでも冷静で、いつもの調子を崩さない。

「癒すのが嫌なら、僕が死ぬだけだから。シルリネアは損しないよ。どう」

 ザフィルが小首を傾げる。

 首の太い血管……一度は自ら切断した部位が、露出した。

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