第85話 聖域の宝物
「中までこんなに広いなら、荷馬車が通せそうだな」
洞窟内を歩きながら、メイランが言った。
「冬の食料が足りない時は、荷車を引いて外に買いに行ってたから」
シルリネアも微笑む。
「食料を何と引き換えてたの」
メイランがさらに問い、シルリネアも穏やかに答える。
「毛皮と……あと、色のついた石? みたいなの。あんなのを欲しがるなんて、外には変な人がいるって思ってたんだけど」
「色のついた石?」
メイランが首を傾げた。シルリネアがクスリと笑う。
「宝石の欠片。村にはよく落ちていて、子供たちが拾って遊ぶの。メイランも拾う?」
メイランが目を見開いた。
「マジで?」
「もちろん」
シルリネアも、ただ色のついた石だと思っていた。だがメイランに連れられて諸国を歩くうちに、あの石が宝石と呼ばれ、磨かれ珍重されていることを知った。
子供たちが投げて遊んだり、宝物としてどこかに隠すような、ありふれたものなのに。
「あそこは宝物庫みたいな場所だ」
ザフィルがぽつりと呟いた。
「宝石だけじゃない。金の鉱脈もあるし、魔力銀も豊富だ。そのせいか、木々でさえ魔力を帯びている。誰もが欲しがるよ——あまり教えないようにね」
「わかってる」
シルリネアは頷いた。村のことを誰にも言ってはいけない。それは、村の常識だった。外に漏れたら村がなくなる。そう言われて育った。
だからシルリネアは、今まで何も言わなかった。村がなくなった後も、ずっと。
村人たちのことは話したが、メイランにさえ、村の詳細な話をしたことはなかった。
ここまで来たから、話しただけだ。彼らには、もう秘密にする意味がない。
メイランは微笑み、シルリネアに言った。
「宝石も金も魅力的だけど……持って帰るのはやめとく」
「どうして?」
シルリネアの肩を、メイランが軽く抱き寄せる。
「俺の宝物の宝物だから。ひとつも欠けない方がいいに決まってる」
彼女の頬に素早く接吻して、メイランは笑った。
シルリネアの頬が赤く染まる。熱を持った頬をメイランの胸に寄せて、こっそり隠した。
******
洞窟を抜けた。
冷たい風が吹き抜ける。シルリネアのよく知っている風だ。
眼下には——。
「……帰ってきた」
ポロポロと涙がこぼれた。あらゆる感情が、薄荷色の瞳からあふれていく。
震える吐息を吐き切って、拳を握る。手の甲で荒っぽく涙を拭ってから、シルリネアは決然と前を向いた。
「案内する。まずは聖域へ」
シルリネアは歩きはじめた。慣れた道、慣れた風景。
足元には、轍の跡が残っていた。
シルリネアは、舞い踊るような軽い足取りで山をくだる。
彼女の癖だ。慣れた場所では、いつもそうなる。シルリネアの背を見ながら、メイランは微笑んだ。
——本当によく知っている道なんだな。
微笑ましくもあり、哀しくもある。
横を歩くザフィルを見た。彼は相変わらず、つらそうに歩く。表情に乏しいが、眉が寄っているのでそれとわかる。
メイランの視線に気付き、ザフィルが顔を上げた。
「なに」
「お前さ、良心の呵責とかねぇの?」
シルリネアを視線で示して問いかけると、ザフィルは少し考えた。
「今のところは、ないかな。理屈では理解できるけど」
「そっかぁ」
メイランが苦く笑う。良心が咎めないのであれば、何を言っても響かない。ザフィルの罪について語るのは、少なくとも今ではないようだ。
ザフィルは小さく嘆息した。
「魔族の世界は、すごく単純なんだ。強い奴は弱い奴に何をしてもいい。それだけ。僕はその環境で育ったから、まだあいつらの規範がこびりついてる。あの頃は、もっと強く染み付いてた」
片手を出して眺め、すぐに引っ込める。
「その規範に従って、僕は師匠だったアザルファを殺したし、アザルファは弱くて無知だった僕を壊した」
メイランの体がぞくりと粟立った。ザフィルが壊される話は、何度聞いても慣れない。
「シルリネアの村も、その延長。彼らは弱かった。だから滅ぼされても仕方ない。今も、その考えは変わらない」
無機質に言葉が並べられる。
「でも、メイランの言いたいことも理解はできる。実感はないけど」
ザフィルの目が、シルリネアの背中を追った。黄金色の髪が、陽光を受けて眩しく輝く。
髪の合間で、薄荷色の髪紐が揺れている。
「……いつか、実感できればいいんだけどね」
ザフィルの口から、言葉がこぼれた。
メイランが微笑んだその時。
「ふたりとも早く。日が暮れる前に着きたいんだけど」
いつの間にか、だいぶ距離をあけていたシルリネアが、ふたりを呼んだ。
「今行く!」
メイランは笑い、ザフィルの手首を掴んで引っ張った。
「メイラ……!」
ザフィルが慌てる。メイランに触れられた途端、ずっと張り巡らせている探査の糸がすべて千切れた。これがないと、周囲の状況を確認できない。
手を離してほしいと訴えようとして……やめた。
——まあいい。
シルリネアがいる。彼女がすべて知っているだろう。
ザフィルは探査の糸を収めた。それは探査の糸を使えるようになって以来、初めてのことだった。
******
シルリネアは山を下り、森に入った。
何もかも覚えている。目を閉じても歩ける。それぐらい慣れ親しんだ場所だった。
木々をすり抜け、さらに奥へ。
体が軽い。いつまででも走っていけそうだ。
——ああ、ここが確かに、私の在るべき場所なんだ。
いつしかシルリネアは、笑いながら駆けていた。
「速っ」
メイランが口走る。こんなに軽やかに駆けるシルリネアを、初めて見た。
不安定な足元をものともしない。
ザフィルを見やる。自分はシルリネアに追いつけるが、この弟には厳しいだろう。
「背負っていい?」
メイランはザフィルに尋ねた。彼女に追いつくには、それしかない。
「いや、先に行って」
落ち着いた声で、ザフィルは言った。
「小鳥で追うから大丈夫。それより、彼女が怪我しないよう見ていた方がいいよ。血が出たら死ぬ」
メイランがビクリと震える。脳裏に浮かびかけた映像を、慌てて振り払った。
「……先行く」
メイランはシルリネアに追いつくべく、走る速度をあげた。ザフィルも、小鳥の魔法生物をシルリネアのもとに飛ばした。
******
「だいぶわかってきた」
ひとり残されたザフィルは、歩く速度を落として呟く。
小鳥がシルリネアに追いついた。彼女の速度に合わせて頭上を飛ばす。程なくして、メイランも追いついてきた。
シルリネアの移動が速い。まるで、何かに引っ張られているかのようだ。
故郷に戻った喜びとも取れるが、それだけではないだろう。
「生命の源……」
森の先に、それがあるのだとしたら。
「古き神……」
光の神などよりも古くから在ったとされる神。
既に信者はいないとされる。
きっと、それだ。
もしかしたら、シルリネアの癒しの魔法も。
シルリネアが立ち止まった。目の前には、淡緑色——薄荷色の水をたたえた湖がある。
彼女の瞳の色と、よく似ている。
やはりそうだ。ザフィルは確信した。
シルリネアは、神に捧げられた娘だ。
彼女自身が、聖域だ。




